美しき闘争 書評|タナハシ・コーツ(慶應義塾大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年8月21日 / 新聞掲載日:2017年8月18日(第3203号)

美しき闘争 書評
「ストリート」はどこにでもある 
「闘争」と無縁でいられる「人間」などいない

美しき闘争
著 者:タナハシ・コーツ
出版社:慶應義塾大学出版会
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『美しき闘争』(原著は二〇〇八年出版)は全米図書賞(ノンフィクション部門)を獲得した『世界と僕のあいだに』(二〇一五年)で我が国でも広く知られるようになったタナハシ・コーツの第一作である。主に大学入学以降の青年期を扱う受賞作が、息子への手紙というスタイルで、コーツという「大人」の書き手の思想をふんだんに開陳しているのに対し、「大人未満」の少年期を扱う本書はそうした思想を持つに至るまでを提示する。つまり、本書は著者が著者にならねばならなかった必然性を示唆するものとなっているのだ――文学者の優れた自伝が常にそうであるように。

ただし、その「必然性」は、「なるべくして作家になった」という予定調和では決してない。生まれついての物書きなどいない、というだけのことではない。治安の極めて悪いウェスト・ボルティモア――評者が同地で立ち寄ったマクドナルドは薄暗く、カウンターが鉄格子で仕切られていた――で黒人として育つことは、知的欲求を強く抑圧されることを意味するからだ。小学生にして「僕たちに残された時間は短い」と宣告される子供の胸に刻まれるのは、未来志向を前提とする知的向上心ではなく、不透明な現在に場当たり的に対処するための「ストリート」のタフな掟なのである。

したがって、少年期の回想につきものの抒情性が、本書においてはあまり目立たないのも当然だろう――「失われしもの」への郷愁が抒情を生むとすれば、「未来」を持たぬコーツの少年時代はあらかじめ失われているのだ。しかも厄介なことに、「少年」でいられないからといって、子供はただちに「大人」になれはしない。「大人」になるには経験を積み、「知識」という鎧で身を固めなくてはならない。だが、黒人男性としての「知識」は、それがどうしようもなく重いものであるために、「子供」を疲弊させてしまう。そして「生存」と「仲間からの敬意」を確保するためだけの醜い闘争に従事させ、「残された時間」をさらに短くしてしまうのだ。

「知識」という「鎧」が「枷」になるというジレンマは、ストリートの「掟」に完全には順応できないタナハシ少年を宙吊りにしていた。勉強には身が入らず、黒人の文章を復刻することを目的とする出版社を営む父(元ブラックパンサー党員)が与えてくる本(「知識」の源)にも手が伸びない。しかしながら、そこで彼はヒップホップに出会う。謎めいた歌詞に夢中になり、そこからメッセージを読みとっていく――「ゆっくりと僕はどうしてこれらの少年たちが強さを示すマントや仮面や筋肉をつける必要があるのかわかるようになった。ゆっくりと僕は、怖いと思っているのは僕だけではないと感じるようになった」。

本書の中盤で起こるこの感動的な「出会い」は、12歳のタナハシ少年に「知識」の重さを支える「意識」を与えた。自分でもノートに歌詞を書き始めた彼は「意識の高い人」である父を理解し始め、自発的に本を読み始める。もちろん、そこからの人生も順風満帆ではない。だが、「ヒップホップの保護のもとでは、誰も一人で生きているのではなく過去とつながっている」ことを理解した少年にとって、「闘争」はもはや「無意味」な「醜い」ものではなくなったのだ。

文学者の優れた自伝は、必ず「言葉の力」を信じる気持ちに貫かれている。この信頼が人を「書き手」にするのだし、黒人文学の文脈においては、「闘争」に身を投じられるだけの主体性を備えた「人間」にするといってもいい。その意味において、『美しき闘争』は著者を19世紀のフレデリック・ダグラスや20世紀のリチャード・ライトの系譜に連ならせるのだが、本書の意義を文学史的重要性にのみ回収すべきではないだろう。コーツという「書き手」が刺戟するのは我々の「意識」なのだから――「ストリート」はどこにでもあり、「闘争」と無縁でいられる「人間」などいないのである。(奥田暁代訳)
この記事の中でご紹介した本
美しき闘争/慶應義塾大学出版会
美しき闘争
著 者:タナハシ・コーツ
出版社:慶應義塾大学出版会
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