呼吸器の子 書評|松永 正訓(現代書館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年8月21日 / 新聞掲載日:2017年8月18日(第3203号)

多様な人々が共に生きることの意味を問いかける一石に

呼吸器の子
著 者:松永 正訓
出版社:現代書館
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呼吸器の子(松永 正訓)現代書館
呼吸器の子
松永 正訓
現代書館
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生まれながらに心臓疾患などがあり、心臓手術、脳梗塞など命の危機を乗り越えてきた男の子がいる。その母親から「息子が小学生になった」と聞いたのは今年春のこと。嬉しい知らせでありながら、やはり驚きもあった。

男の子は肢体不自由と知的障害を抱え、気管切開しているので人工呼吸器と胃ろうの処置も欠かせない。そうした医療的ケアが必要な子どもは公教育の現場で受け入れが難しく、家庭で訪問授業を受けるケースが多いと聞く。それでも両親は学校へ通わせたいと力を尽くし、特別支援学校への入学が叶ったという。

入学当初は親がずっと付き添い、今でも食事の注入に通う。自宅で介護する大変さも聞いていただけに、家族の日々はいかなるものかと案じていたが、母親は「毎日が楽しい」と朗らかにいう。なぜ、そう思えるのだろう――そんな疑問に答えてくれたのが本書だった。

小児外科医の著者がその母子と出会ったのは二〇一二年。九歳になる凌雅君の病気は、先天性代謝異常のゴーシェ病・2型である。生後二カ月で異変を生じ、糖脂質を分解する酵素が欠損しているため、消化すべき糖物質が脳や肝臓、脾臓、骨に溜まる大変難しい病気と告げられた。ゴーシェ病の中でも2型は最も予後が悪く、日本では患者数がわずか二〇人弱という。凌雅君は精神の発達が滞り、自分の力で呼吸できない。在宅で人工呼吸器を付け、寝たきりの生活が八年間続いていた。

著者はそれまで人工呼吸器を付けている子どもを何百人と見てきたが、集中治療室か病棟の重症個室でのこと。我が子を自宅で介護している家庭はめったになく、その母親に話を聞かせてほしいと頼んだ。重症児の受容とはいかなるものか、どういう心理的な変遷をたどるのかを知りたかったからと顧みる。

そこで引っかかったのは、凌雅君が五歳になった頃から「今の在宅人工呼吸器の生活が楽しいと思い始めた」という言葉だ。その気持ちは本当だろうか……だが真意を問うことなく終わり、二年後に再会。さらに明るく輝いていた母の姿に「今の生活が楽しい」という言葉が甦る。この家族はいかに毎日を楽しんでいるのか、著者も体感しようと決めた。

凌雅君の自宅を訪れるようになり、一家の日常をとりまく人々と出会う。在宅人工呼吸器の子どもの家族会では、共通する悩みや情報を分かち合い、仲間の輪を広げている母親たちの笑顔があった。凌雅君が入学した特別支援学校では友だちや教師と交流を深め、新たな自分の居場所も見出していた。

さらに在宅医療を担う医師や看護師、訪問リハビリの理学療法士など、凌雅君を支える人たちがどんな思いでその成長を見守っているのか――。障害者問題を語るときによく使われる「自立」と「共生」という言葉。それは相反するものでなく、「自立とは一人で孤立して生きることではない。社会の中に入って、多くの人と共に生きること、つまり共生することを決意することである」と著者は語る。

我が子の障害を受け容れ、前向きに生きることを決断した家族は、共に支え合う関わりを築くなかで「今の生活が楽しい」と思えるようになる。呼吸器を付けても余命は五歳までと告げられていた凌雅君は、多くの人の愛情に包まれて、確かな成長の軌跡を刻んでいた。

こうして一家との付き合いが四年を超える頃、神奈川県相模原市で障害者施設殺傷事件が起きた。「障害者は死んでくれたほうがいい」という犯人の動機が社会を震撼させたが、一方で新しい差別の芽が生まれるのではないかと著者は不安を持つ。だからこそ、凌雅君の物語を世に問いたい。最重症の障害児がどう生きているのか、家族がいかに楽しい毎日を過ごすことができるようになったのかを多くの人に知ってほしいと願う。それは障害者のみならず、多様な人々が共に生きることの意味を問いかける一石にもなるはずだ。
この記事の中でご紹介した本
呼吸器の子/現代書館
呼吸器の子
著 者:松永 正訓
出版社:現代書館
以下のオンライン書店でご購入できます
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