神田神保町の古書街は、なぜ空襲をうけなかったのか 逢坂 剛・金髙 謙二対談---「ウォーナー謎のリスト」公開を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年10月28日 / 新聞掲載日:2016年10月28日(第3162号)

神田神保町の古書街は、なぜ空襲をうけなかったのか
逢坂 剛・金髙 謙二対談---「ウォーナー謎のリスト」公開を機に

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東京・神田神保町は、世界有数の古書店街として知られる。文学・芸術から、政治・経済、法律、医療、映画・演劇まで含めて、広範の領域の古書を扱う店が集まっている。また「浮世絵」などの美術品も所蔵していることもあり、日本美術に興味を持つ海外旅行者は、必ずと言っていいほど、この街を訪れる。神田駿河台下から神保町の交差点まで、靖国通り沿いに集中する古書店であるが、この一角だけは、太平洋戦争中、なぜか米軍による爆撃を受けなかった。果たして単なる偶然なのか。一説によると、神保町古書店街に対しては、米軍による「爆撃禁止令」があったという。それは誰が、どのような理由で行なったものなのか。そこにはふたりの人物が関与していた可能性があり、この謎に挑んだドキュメンタリー映画『ウォーナーの謎のリスト』が、十月二九日から神保町シアターで限定ロードショー公開される(十一月四日まで、五日~十三日には、東京都写真美術館ホールで上映)。金髙 謙二監督と、神保町に長らく事務所を構える作家・逢坂 剛氏に対談をしてもらった。 (編集部)

『インディ・ジョーンズ』

逢坂
『ウォーナーの謎のリスト』を拝見して、相当の時間と労力をかけられていることが、よくわかりました。「文化財保護」という、なかなか難しいテーマを扱っているんですが、それをあそこまで見事にまとめた熱意と根性と執念、まずはそこにすごく感激しました。物を作るという点では、作家も映画監督も同じなんですけれども、フィクションと違って、ドキュメンタリーですから、ちゃんとした証拠を、ある程度提示しないと成り立ちませんよね。その点でも、かなりの証言を取られているので、説得力がある。中心となっているのは、ラングドン・ウォーナーという人物です。第二次世界大戦中、敵国である日本の文化財を守るために、一五一ヶ所に及ぶ施設の保護リストを作成した。そのリストがあったおかげで、多くの文化財が空襲を受けずに守られたと考えられているわけですよね。

また、神田神保町の古書店街が爆撃されなかったのも、アメリカの意図があったんじゃないかという仮説を立て、それを数々の証言から立証しようとされている。私も、この話は聞いたことがあるんです。昭和二十年三月十日の東京大空襲で、東京の下町はほとんど壊滅状態になってしまった。しかし、空襲を逃れた地域がいくつかあって、神田神保町もそのひとつだった。米軍は、なぜこの街を爆撃しなかったのか。貴重な書籍や文献が数多く集積された古書店街を破壊するのを避けたからだと。その話を聞いた時には、そんなことが実際にあったのかもしれないし、逆に都市伝説みたいなものなんじゃないかとも考えていました。金髙 さんは、まさにこの話をストレートに取り上げられた。果たして本当の話なのか、単なる都市伝説なのか、ミステリー映画を見るようで、一番興味が引かれるところでした。映画の中では、多くの人が証言しているんですが、色川大吉さんや山口静一さんは、わりと否定的な意見でしたよね。それなりの理由も話されていて、よく理解できる。ただ、神保町の古書店の人たちの話を聞いていると、爆撃されなかった裏には、どうもアメリカ軍の意向があったんじゃないか。そういう形跡のあることがわかる。映画では、否定的な意見、肯定的な意見、双方が紹介されていますが、そこは、あえて結論を出す必要はないと思うんです。映画を見た人が、それぞれ判断すればいいんじゃないか。

もうひとつ。日本の文化財を守るための指示を出した人たちが、アメリカ政府の中にいたとして、そうした良心的な動きがあった一方で、広島・長崎に原爆を投下して、何十万人もの人々を殺すことさえ厭わない。同じ人間の中に、保護・保存と破壊・殺戮という側面が同居している。私は、そこに驚きを感じたんですね。いわばブレーキを踏みながら、アクセルをふかしている感じがあって、大きな矛盾を抱えた存在として人間というものを描かれているんじゃないか。
金髙
それは僕も、映画を作りながらすごく感じていました。たとえば、ジョン・ダワーさんのインタビューが出てきますが、既にドイツの敗戦が濃厚であるのにもかかわらず、アメリカとイギリスは、ドレスデンを爆撃し、美しい歴史的な街を破壊してしまった。相手国の文化に対して、まったく関心を持たない。そういう一面があるのを痛感しました。ひとつの国の中に、文化財を残そうという人たちもいるし、戦争に勝つためには全面的に爆撃して、相手の国を破壊しつくしてしまおうと考える人たちもいた。常に、その鬩ぎ合いがあった気がしますね。
逢坂
そもそも、今回の映画のテーマにぶつかった、最初のきっかけは何だったんですか。
金髙
前作の『疎開した40万冊の図書』が公開された時、神田神保町にある八木書店の会長・八木壯一さんが見てくださったんですね。その時に、神保町の一角が戦災にあわなかったという話を聞いたんです。まったく知らない話で、今回取り上げた、もうひとりの人物セルゲイ・エリセーエフについても、八木さんにうかがいました。司馬遼太郎さんが『街道を行く』で、エリセーエフに関して、次のように書いている。「米軍による日本本土への爆撃がはじまったとき、エリセーエフ教授はマックアーサー将軍に進言して、神田神保町を目標から除外するよう忠告したといわれているのである。むろん証拠はない。周知のように、京都・奈良ははずされた。神田神保町は独立した都市ではないが、紙を切り抜いたようにそこだけが焼けのこった。エリセーエフ教授の進言によるものかどうかはべつとして、意図的だったと想像できる」。そうした話を聞いたのが、発端です。
逢坂
いつ頃の話ですか。
金髙
三年前ぐらい前の話です。それで調べはじめたら、エリセーエフのさらに上をいくような、ウォーナーという人間がいることがわかりました。彼こそが、爆弾を落とすべきではない一五一ヶ所のリストを作った人です。
逢坂
ウォーナーに関しては、史料が本当に少ないですよね。私も聞いたことがなかった。おそらく一般の人たちにとっても、馴染みのない人だと思います。そのウォーナーがどういう人物だったのか。人と業績を発掘した。この執念には、怖れ入りました。
金髙
調べていくと、びっくりすることばかりなんですよね。何よりも、ウォーナーという人間が、『インディ・ジョーンズ』のモデルのひとりだったということです。ルーカス・フィルムに問い合わせてみたところ、きちんと返事をくれました。「インディアナ・ジョーンズが明らかにウォーナーだとは言えない。モデルは何人もおり、その人間たちを合わせたものである」という趣旨のことが書いてありました。ただ「モデルになったひとりであるという話であれば、そう考えてもらって構わない」という答えでした。映画の時代背景と、ウォーナーが生きた時代は、まったく同じですからね。ウォーナー自身も、敦煌から壁画を剥がして持って帰って来たりしていて、これは『インディ・ジョーンズ』のエピソードそのものです。なおかつ、ウォーナーは当時、ハーバード大学で美術の教師をやっていて、設定としてはどんぴしゃりなんですね。
逢坂
あれは、原作の小説はあるんでしたっけ?
金髙
いえ、ないと思います。スピルバーグとルーカスの共同原案で、インディアナ・ジョーンズは架空の人間ですね。
逢坂
映画は面白かったですよね。よくできた作品だった。金髙 さんのおっしゃるように、ハリソン・フォード演じる主人公は、ウォーナーのキャリアと重なるところがかなりありますよね。そういう人物を探し出してくること自体、スピルバーグやルーカスはすごいと思いますね。現代史に相当詳しい人でも、そこまでは知らないですからね。私も、戦時中の軍事外交に関しては随分調べたことがあるけれど、文化財の保護についてまでは考えたことがあまりなかった。そういう意味では、自分の中でも空白になっていたところなんです。
金髙
敦煌の洞窟から壁画を剥がしてくる話なんて、今から考えると、とんでもないことなんですが、あの頃は、ほとんどの人が、同じように盗掘まがいのことをやっていた。美術史家からしてみれば、こんな粗末なところに置いておくよりは、ちゃんとした場所で保管した方がいいだろうということなんでしょう。
逢坂
独善的ではあるが、理屈はわからないでもない。
金髙
そういう意味で言えば、大英博物館やルーブル博物館でも、ほとんどが略奪品で成り立っているわけですからね。歴史的に見て、略奪の積み重ねで作られている。
「占領地図」の作成

逢坂
つい先日、ナチスの財宝を載せた「黄金列車」に関する番組をやっていましたよね(BS―TBS『ヨーロッパ財宝ミステリー』)。西島秀俊が案内人になって、その黄金列車がどこにうまっているか、ポーランド人とドイツ人の研究者が推理をしていく。美術品に対しては特別な思い入れが生じるものであって、そうした感情を抱く人間は、美術品を保存したいと思う。逆に、どちらかと言えば、軍人は、そういう思いはあまり持っていないんじゃないか。考えてみれば、美術品と人間の命とどちらが大切かと言うと、人命の方が大切だと、理性ではわかる。でも、人間はいずれ死んでいくし、代わりは生まれてくるけれど、文化財は替えがきかないから、美術品の方に重きを置く気持ちもわからないでもない。一律にどちらがいいとは言えないのが難しいところですね。
金髙
ええ。
逢坂
神保町の一角が空襲にあわなかったという話は、最初にちょっと言いましたが、『イベリアの雷鳴』からはじまるヨーロッパ大戦のシリーズ物を書いていた時、聞いたことがあるんです。スペインに駐在していた中野学校出身の男の物語で、終戦後、日本に帰国する。その時に、焦土となった東京の街について書く必要があって、随分調べました。その過程で知ったんですね。金髙 さんの映画の中にも出て来ましたが、爆撃された街を示す地図があって、どこに爆弾が落とされたのかが、一目でわかる。あれを見ていると、神保町のほかに、現在の明治大学がある近辺も無事だった。比較的空襲の被害を受けていない。少なくとも、現在の山の上ホテルは爆撃にあっていないんですよ。あの建物も、占領軍が接収する目的で残したと見られていて、ホテルの旧館は、元々「佐藤新興生活館」という文化施設だったんですね。そこに主人公が収監されるという話を、小説で書きました。それから、私の勤めていた博報堂も無事で、戦前のままの建物が残っていました。入社した時、上司が「会社から神保町までは焼け野原で、先までよく見渡すことができた」と言っていましたから。ただ仮に軍の上層部から、「神保町は爆撃するな」という指令があったとしても、現場のパイロットのあいだで、それがどこまで徹底されていたのか。また、たとえ命令が徹底されていたとしても、そんなに正確に爆弾を落とせたかどうか。そこは甚だ疑問が残る。だから、「神保町が焼けなかったのは偶然じゃないか」と証言する人が、映画の中にも何人かいましたよね。
金髙
これは最終的にはカットしてしまったんですが、色川大吉さんがこんな話をされているんです。アメリカ軍内部では、「戦後、東大を接収する」という話が、相当前から出ていた。広大な敷地で、あれだけの建物がありますから、占領軍としては利用価値が高い。だから東大を残すために、本郷は爆撃候補地から除外された。神保町もその除外地の円の中に入っていたという話を、色川さんがしていました。ただ、神保町から本郷の東大までの地域で、爆撃を受けている場所がいくつもありますよね。そういうことも考え合わせると、「東大を残すために、神保町も残した」とまでは言い切れないんじゃないかと、僕は思ったんですね。つまり、神保町の古書店街から南は皇居ですよね。そのあいだの、さくら通りやすずらん通りより南、皇居までの区画は燃えていて、ピンポイントで靖国通り沿いだけを残したんじゃないか。東京だけで百回ぐらい空襲があり、それでも残っているわけですから、そう考える方が理屈に合うと思ったんですね。
逢坂
それほどの爆撃を免れたとすると、やはり、ただの偶然とは思えないですね。
金髙
そう思います。映画の中で、銀座の服部時計店(現在の和光)とか、戦後に接収された建物をいくつも紹介していますよね。アメリカ軍は、太平洋戦争がはじまって一年か二年ぐらい経つと、既に「占領地図」を作っているんです。戦争が終わって、日本を占領した後のことを、もう考えていたわけです。たとえ占領したとしても、いくつか建物を残しておかないと、進駐がうまくいかないと、そこまで考えて戦争をしていた。
逢坂
皇居を残したのはわかりますよね。皇居に爆弾を落としてしまったら、日本国民が怒って、決して降伏しない。徹底抗戦する。ジョン・ダワーも、映画の中で、そのような証言をしている。ただ、アメリカは本当にそんなことまで考えたのか。皇居を爆撃すれば、ははーっと怖れ入って、すぐに降伏するんじゃないか。そう考えるのが普通だと思うんですね。でも、皇居を爆撃することはなかった。この辺りが、私もよくわからないんですよ。
金髙
これは想像にしか過ぎないんですが、アメリカにおいて日本をもっともよく知る人物、エリセーエフがOSS(アメリカ戦略諜報局・CIAの前身)で、スパイ活動の顧問をしていたわけですね。そういう人たちに意見を求めると、皇居に爆弾を落としたら、日本人は絶対にギブアップしない。そのような答えが返って来たんじゃないかと思うんですね。
逢坂
そうとしか思えないですね、一方で「皇居に爆弾を落とせ」という意見もあったと思いますが、日本人の心性をよく知る人間の意見が通ったということなんでしょう。
金髙
それは、ウォーナーの一五一ヶ所のリストを見ていても、本当に日本人特有の心性を理解していることがうかがえますよね。高輪・泉岳寺の赤穂浪士の四十七士の墓まで、爆撃除外のリストに入れているわけですから。なぜここをリストに加えたのか。それはやはり日本人の心、精神的な部分をよく知っていたからだと思うんです。
逢坂
四十七士の討ち入りは日本人的な事件であり、江戸の庶民も賞賛した。ウォーナーという人は、その辺のこともよく知っていたんでしょうね。この人は、自伝は残していないんですか。
金髙
それに近いものはあります。英文で書かれているもので、翻訳はされていません。アメリカのコーディネーターを通して入手しました。
逢坂
そういう文献を、日本の現代史の学者は目を通していないのかな。「戦時における文化財保護」とか、面白そうなテーマなわけだから。太平洋戦争の歴史の中で、そこに触れた研究があってもよさそうなものなんだけれど、私の読んだ限りではないですね。
金髙
ウォーナーが日本の文化財保護に関与したという話までは、書いている人はいるんです。ただ、彼が朝河貫一と手を組んで、ルーズベルト大統領から昭和天皇への、戦争回避のための親書の草案を作成したことまでは、誰も触れていません。そこを今回の映画で初めて繋ぎ合わせたというか、ウォーナーは文化財を残すことだけを考えていたのでなく、実は戦争回避を一番望んでいた人だったことを明らかにしようとしたわけですね。
昭和天皇への親書

逢坂 剛氏
逢坂
私も、朝河貫一のことはある程度知っていたんですが、ウォーナーとの関りについては、文献として見た覚えがありません。
金髙
僕が調べた限りでも、ほとんどなかったと思います。昭和天皇への親書は、元々はウォーナーの発案なんです。日米関係がこれほど悪化してしまっては、必ず日本とアメリカは戦争に突入する。そういう状況を鑑みて、ウォーナーから朝河貫一に、親書の草案を書いてもらえないかという話がいった。
逢坂
その話はまったく知りませんでした。しかし、あの親書は送られたんだけれど、軍部が天皇に届けるのを遅らせてしまったんですよね。
金髙
そうです。随分前に出されているのに、ハワイ真珠湾に奇襲するたった三〇分前に、天皇に届けられた。しかも、朝河貫一が書いたオリジナルの文面から大幅に書き換えられていた。外務大臣レベルに対して出すような、事務的なことしか書いていない。だから、それを読んだ天皇は、黙殺してしまった。あの親書は、日本側もアメリカ側も、双方対応を遅らせた。もしもっと早めに対応していれば、そして書き換えていない朝河貫一の文書がきちんと天皇に届けられていたとしたら、戦争は回避できたかもしれない。そんなストーリーを、僕は思い描いてみたんですね。
逢坂
歴史に「イフ」は付き物だけれど、戦争回避のために尽力していた日本人とアメリカ人がいた。ドラマ仕立てで再現されていて、そのことは、映画を見ていてよくわかりました。戦前、神保町の巌松堂で働いていた人の話も、再現ドラマ風に描かれていましたよね。藤井正さんと言いましたか。昭和十九年に召集されて、岩国の航空隊に赴任する。そこの部隊で知り合った上官の計らいによって、戦地に行かなくて済んだ。あのふたりの会話する場面も、いいシーンでした。靖国通り沿いにある古書店の名前を、三省堂側から神保町の交差点のところまでずっと挙げていく。一誠堂、小宮山書店、今でも残っているお店はたくさんあります。小宮山健彦さんもインタビューを受けていましたよね。あの親父さんは、私もよく知っています(笑)。
金髙 謙二氏
金髙
小宮山さんは、神保町の生き証人ですよね。終戦の時には、小学校五年生ぐらいだったと思います。
逢坂
もう八十歳ぐらいにはなっているのかな。小宮山さんの話も、興味深かったですね。貴重な本だけを選んで、別の場所に保管していたら、そちらが空襲を受けて全部燃えてしまった。神保町のお店に置いたままの本は、焼けずに残った。本当に紙一重だったわけですよね。小宮山書店の裏側も全部燃えてしまったのだから。あんなふうに古本屋があるところだけベルト状に残っているというのは、やっぱり偶然とは考えられませんね。爆撃した人が生きていれば、むしろその人たちの話を聞いてみたいですね。
金髙
早乙女勝元さんが話していたんですが、最初はかなりの高度で、一万メートルぐらいから爆撃していたそうです。でも戦争末期になっていくにしたがって、どんどん低空爆撃になったらしいですね。高射砲が全然効かなくて、パイロットの顔が見えるぐらいの低空から爆撃していた。そうすると、かなり精密に落とすことできたと思うんですね。
逢坂
素人考えだと、飛行機が爆弾を落としたところと、実際に落ちるところはずれるわけですよね。でも、その辺りは、パイロットもきちんと計算できるんでしょうし、道のこちら側だけを避けて、あちら側だけに爆弾を落とすぐらいのことは、可能なんでしょうね。
金髙
以前テレビ番組で、接収された建物の特集番組をやったことがあるんです。今の銀座ライオンは戦前もビアホールだったんですが、接収された建物のひとつで、戦後は進駐軍専用のビアホールになる。あそこも道路を挟んで、反対側は全部燃えているんです。おそらく接収した後、娯楽施設として利用することを考えて、爆撃しなかったんだと思います。
逢坂
そういう国と戦争をして、勝てるわけがありませんね。よくもそんな国と戦争をしたもんだと、今から冷静に考えると、つくづく思いますね。
金髙
そのままビアホールに使うなんて、僕らには考えつかないですね。
人間の業を見る

逢坂
最初の話に戻りますが、映画を拝見して強烈に思ったのは、アメリカの連中が、文化財を守ろうと言いながらも、原爆を落としてしまう。その矛盾というか、人間の奥底にある心性を覗くような気がしたということなんですね。いいことをしながら悪いことをする。人間というのは、真っ白いだけの人間はいないし、真っ黒なばかりの人間もいないことはわかる。しかし、戦争みたいな力学が働くと、とんでもない事態を生じさせてしまう。それが痛切に感じたことです。「反戦映画」を謳っているわけではないけれども、そういうことを考えさせられる映画だったと思います。人間の業というのかな。そんなことまで考えました。だから、若い人たちにも是非見てもらいたい。もちろん神保町に親しんでいる人には、よりわかりやすい話であり、貴重な映像がたくさん出て来ますし、歴史秘話としても非常に興味深い作品になっていると思います。
金髙
ありがとうございます。
逢坂
先ほどちょっとおっしゃっていましたが、前作が日比谷図書館の蔵書の疎開に関する話で、元々本がお好きなんですか。
金髙
はい。
逢坂
前作を撮られたのは、どういうきっかけだったんですか。
金髙
車を運転している時に、偶然ラジオのニュースで、戦時中にあった本の疎開の話をしていたんです。あれほど大変な時代にも、図書を疎開しようとした人たちがいた。それも数が四十万冊というから、そんな映画みたいな話があるのかと思って調べはじめたんです。
逢坂
四十万冊もの本が、どこにあったんですか。
金髙
日比谷図書館が持っていたのが、二六万~二七万冊です。それに加えて、個人の蔵書家が持っていたものを、東京都が買い上げるんですね。当時図書館長だった中田邦造が指揮を取り、爆撃にあったら大変だからと説得して、個人が持っていた貴重本を集めたわけです。それらを含めて、奥多摩と埼玉県志木に借りた蔵に収めたわけです。結果として、日比谷図書館は昭和二十年五月の空襲で焼け、二十万冊以上の本が燃えてしまった。疎開した本だけが助かったんですね。
逢坂
本の疎開の話は、どこかで聞いた覚えはあるんですが、具体的に、どこにどう収蔵されたかは、私もまったく知りませんでした。
金髙
本の疎開は、大学の図書館とかが中心になって、日本全国でやっていたようです。ただ、国にお金がないので、それぞれの図書館にすべて任されていました。あの映画を撮っていた時も、ドラマチックな話をたくさん聞きました。本を荷造りして、翌日疎開予定だったのが、その夜に爆撃があって全部燃えてしまったりとか。
逢坂
スペイン内戦の時も、プラド美術館から、美術品が随分疎開しているんですよね。マドリッドが共和国政府の本拠地で、フランコが反乱軍として南から攻めて来る。もちろん自国の財産が収蔵されている美術館に爆弾は落とさないでしょうけれど、それでも共和国政府は爆撃を恐れて、絵を疎開させた。そういう文化財に対する思いは、人間の根源にあるものなんでしょうね。古いものを守るためには、最善を尽くす。
金髙
そうだと思います。
『諸橋大漢和』を映画に

逢坂
話は変わりますが、今回の映画、私が拝見したのは一三〇分のバージョンだったんですけれども、最終的には何分ぐらいになったんですか。
金髙
一一六分です。前作が一時間四十分で、今回は、入れる要素が多かったこともあって、少し長くなりました。自分自身では、七〇分から九〇分ぐらいが一番見やすいのかなと思っています。ただ、どうしても、あれも入れたい、これも入れたいと思うと、長くなってしまいますね。
逢坂
そのお気持ちはよくわかります。私も小説を書いていると、本筋に関係ない世話物とか、ちょいと書くと、それが面白くて、つい筆が乗っちゃうことがよくあります。本にする時にも、これはいらないなと思いながらも、やっぱり削れない。でも、それは無理に削らなくてもいい気がしますね。そこに、また新しい情報が入っていることもありますから。池波正太郎さんの小説を読んでいても、そういうところが結構ありますよね。物語とは関係なく、茶屋に入ってメシを食ったりする。でも、その献立を見ると、これがすごく面白い。あの人のおばあさんは江戸生まれで、池波さんも、江戸料理については詳しいんです。小説に出て来る献立を見ていると、どういうものを食べていたかがわかる。そういう情報は、なるべく価値判断をしないで、知っていることは全部入れるぐらいに考えてもいいと思いますね。ところで、次の映画の企画は決まってらっしゃるんですか。
金髙
あるにはあるんですが、スポンサーを見つけるのがなかなか大変なんです。映画はお金がかかりますし、スタッフがいないとできませんから。やりたいものはいくつかあって、文化財という観点から言うと、前作と今回で、二作つづけて作ったので、もうひとつ作りたいと思っています。本当は、今回の映画の前に、別の企画があったんですよね。今は立ち消えちゃっているんですが、戦災で、すずらん通りから南が燃えてしまった、その一角に大修館書店の社屋があったんです。
逢坂
以前は博報堂の隣にありましたね。
金髙
今は御茶の水に移転して、大きなビルが建っていますが、その大修館が戦前、諸橋轍次さんの『大漢和辞典』を出すことになったんです。全十三巻に及ぶ壮大な出版企画です。第一巻は活版印刷で、鉛の活字で組んであった。それを組み置きしてゲラ刷りまでしたんです。そのゲラが三部だけ残っていた。既に紙が統制になっていたので、印刷に回すことはできないんですが、一応作っておいたわけです。二巻以降に関しても、活字は組んでおいた。それが空襲で社屋が燃えて、活版が溶けちゃったらしいんですね。
逢坂
それはもう首を括りたくなりますね。
金髙
戦後になって活版印刷から写植の時代になって、大修館の社長・鈴木一平さんが、今ならばできるんじゃないかと考えて、『大漢和辞典』の制作を再開する。この話がすごくおもしろいんです。ドラマチックで、もしかしたら劇映画にした方がいいかもしれません。ただ、制作費が集まらなくて……。書物にまつわる話としては、それが次にやりたい企画ですね。
逢坂
おもしろい話ですね。
金髙
今回の映画も、実はスポンサーがなかなか見つからなかったので、神田古書店組合の皆さんにご協力いただいたんです。少しずつ出資してもらって、あとは個人に呼びかけて、クラウドファンディングみたいな形で資金集めをしました。
逢坂
出版界も不況で大変ですが、映画作りも大変ですね。なおかつ映画の場合、一本撮るのに、準備も含めて、かなりの時間がかかりますからね。『ウォーナーの謎のリスト』の場合、どのくらいかかりましたか。
金髙
二年はかかっています。
逢坂
それに見合うだけの興行収入の見込みがないと、作るのはなかなか難しいでしょうね。
金髙
いわゆる商業的なラインに乗る映画じゃなければ、製作自体不可能に近いですね。ただ、僕は新藤兼人さんの助監督をしていて、四本ぐらいチーフ助監督をやったんですけれども、今でも新藤さんに言われた言葉が忘れられないんですね。「頼まれた仕事だけをやっていたら駄目だ。自分が「これを撮りたい」と思う作品を時々発表しないと、作家として腐ってしまう」。そんなことを言われたんです。つまり僕らの仕事って、テレビの番組にしろ、やっぱり依頼されてはじまる仕事が結構多いんですよね。でも、それだけ撮っているだけでは、作家とは言えないと思うんですよ。生活のことを考えれば苦しいこともありますが、やりたい企画は、なんとしても実現したいと思いますね。
逢坂
そうでしょう。単にメシを食うだけのためにやっていたのでは、しょうがない。

金髙
新藤さんと初めて仕事をした時、新藤さんはもう七五歳ぐらいだったんですが、とてもお元気でした。僕が運転をして、助手席に座られることもあって、スタッフが後ろの席で寝ている時も、新藤さんだけはいつも寝なかった。「なんで寝ないんですか?」って聞くと、「きみの運転が危なっかしくて怖いから」とおっしゃった後に、「もったいないからね」と言われたことを覚えています。「窓の外に映っている景色とか、いろんなものを見られないのがもったいない」と。七五歳になっても、そんなことを言えることに、僕はびっくりしたんです。
逢坂
新藤さんは、おいくつで亡くなられたんですか。
金髙
百歳です。九九歳まで映画を撮っていました。
逢坂
そういう人こそ長生きするんですよね。うちの親父も、ちょうど一年前に、一〇四歳で亡くなったんですが、亡くなる一年前までは、私の書いた時代小説の挿絵を画いていました。若い頃は、池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』シリーズの挿絵を画いたり、池波さんが亡くなった後は、北方謙三さんや乙川優三郎さんの小説の挿絵を画いたりしていた。百歳を過ぎても、新藤さんと同じように、物事に対する興味は、一切なくさなかったですね。編集者の若い女の子が来ると、「きみ、ちょっとスケッチさせてくれ」とか(笑)。それだけじゃなくて、デイケアの施設に行っても、介護してくれている女性に声をかけて、スケッチをしていました。そういう気持ちを持っていると長生きしますよね。おそらく新藤さんもそうだったのかなと、金髙 さんの話を聞いていて思いました。私も間もなく、金髙 さんが初めて仕事をされた頃の新藤さんの歳に近づきつつありますが、いつまでも精力的に仕事をしないといけませんね。
ウォーナー・リストに載った施設


弘前城(青森)/中尊寺・金色堂(岩手)/青葉城(宮城)/瑞巌寺(同)/諏訪神社/善光寺/神明宮(以上長野)/東照宮本殿(霊廟)(栃木)/富士ヶ岳神社(山梨)/鹿島神宮(茨城)/出雲大社本殿(島根)/大垣城(岐阜)/永保寺開山堂(同)/名古屋城天守閣/真福寺蔵書/熱田神宮(以上愛知)/円覚寺舎利殿、大仏/益田私設コレクション/最乗寺または道了権現(以上神奈川)/福山城(広島)/岡山城(岡山)/吉備津神社(同)/姫路城/鶴林寺本堂/明石神社(以上兵庫)/金剛寺(大阪)/建水分神社(同)/住友私設コレクション/阿部孝次郎私設コレクション/村山長拳私設コレクション(香雪美術館)(以上兵庫)/伊勢神宮(三重)/瑠璃光寺(山口)/厳島神社(広島)/広島城(同)/永福寺(山口)/功山寺仏殿(同)/松山城(愛媛)/高知城(高知)/熊野神社(和歌山)/筥崎宮/香椎神社/種宗像神社/九州帝国大学・図書館/太宰府天満宮(以上福岡)/富貴寺(大分)/宇佐八幡宮本殿(同)/宇和島城(愛媛)/崇福寺(長崎)/熊本城(熊本)/首里城(沖縄)/延暦寺(滋賀)/仁和寺(京都)/園城寺(三井寺)/稲荷神社/石山寺多宝塔(以上滋賀)/醍醐寺五重塔/桃山城/万福寺総門/平等院(以上京都)/大阪帝国大学、図書館/大阪市立図書館/大阪城/四天王寺(以上大阪)/薬師寺東塔/金堂の薬師三尊像/東院堂内立像(聖観音像)/法隆寺(伽藍)/夢殿の7世紀初期木造九面観音像/当麻寺/室生寺金堂、五重塔、九世紀三木像(以上奈良)/根来寺(大伝法院)/弘法大師によってひらかれた30の寺院/金剛峯寺/御影堂(以上和歌山)/上賀茂神社/修学院離宮、庭園/大徳寺唐門(僧門)/大谷大学、附属図書館/賀茂御祖神社本殿/鹿苑寺金閣(金閣寺)/北野神社本殿(天満宮神社)/同志社大学、図書館/京都帝国大学医学部/妙心寺/桂離宮/京都帝国大学、東方文化学院図書館/慈照寺(銀閣寺)/二条城書院、障壁画、庭園/住友私設コレクション(泉屋博古館)/壬生寺(十世紀能面のコレクション)/建仁寺/八坂神社本殿・五重塔/知恩院(寺院残存建築)本堂/西本願寺・竜谷大学図書館・障壁画/東本願寺/豊国神社/京都帝室博物館/清水寺本堂/三十三間堂/京都市立美術館/智籍院/東寺金堂(伽藍)/泉涌寺/慈照寺東求堂/竜安寺(以上京都)/秋篠寺/法華寺(尼僧寺/中宮寺の弥勒菩薩像/東大寺正倉院/奈良女子師範学校と図書館/東大寺大仏殿/東大寺法華堂/唐招提寺金堂と小礼堂/興福寺五重塔/奈良帝室博物館/春日大社/新薬師寺本堂(以上奈良)/護国寺/東方文化学院図書館/東洋文庫(岩崎久弥のアジア学の図書館)/早稲田大学・仏教図書館と博物館/東京帝国大学・図書館及び文学部史料編纂所書庫/上野公園/東京美術学校/東京帝室博物館・青銅彫像/寛永寺/浅草寺本堂/皇居/明治神宮/団伊能私設コレクション/大倉私設コレクション(大倉集古館)/赤坂離宮/日本民芸館/根津嘉一郎私設コレクション(根津美術館)/増上寺/帝国ホテル/慶應義塾大学・アジア研究用図書館/四十七士の墓(泉岳寺内)/井上侯爵私設コレクション/岩崎私設コレクション(静嘉堂文庫)/前田侯爵私設コレクション/細川私設コレクション(永青文庫)(以上東京)/原富太郎私設コレクション・臨春閣、臨秋閣のニ建築(三渓園)(神奈川)
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