寄稿 劉暁波の死をきっかけに  羽根 次郎|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年8月29日 / 新聞掲載日:2017年8月25日(第3204号)

寄稿 劉暁波の死をきっかけに 
羽根 次郎

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劉暁波が亡くなった。西欧のメディアに較べればまだ大人しいほうだが、それでも追悼ムード一色だ。ノーベル平和賞受賞者なのだから知名度も極めて高く、これだけの騒ぎになるのも予想できないことではなかった。

中国政府の言論弾圧に逆らい続けた英雄。人権尊重を訴え続けた不屈の知識人。民主化運動の闘士。――日本では『東京新聞』や『朝日新聞』までそうした論調だ。記者が中国に取材に行けば規制に出くわすのは日常茶飯事だろうから、その不自由さゆえに劉暁波を祭り上げたくなるのも、真摯な職業精神の現れなのだろう。

ただ、テレビ、新聞、雑誌を問わず、劉暁波にとっての民主主義が頑ななまでに向米一辺倒であったことを報じるものはいない。残業代ゼロ法案に反対しつつ劉暁波を祭り上げる新聞社は、「〇八憲章」では土地私有制導入や民間への金融規制緩和が強調された一方で、労働者の権利に触れられなかったことをまさか知らないとでも言うのか。そして、アフガンとイラクへの侵略戦争を無邪気なまでに全面支持したことを「黒歴史」にしてまで全面評価を装いたいのはなぜか。毛沢東ですら「功績七割、誤り三割」だったのに、だ。

「〇八憲章」の当時、私は中国に住んでいた。劉暁波らが強調する「普遍的価値」は心中ではいやがうえにも、同時期の自民党政権が強調していた「価値観外交」の印象とクロスせざるをえなかった――自民党が強調していたのもまさに「普遍的価値」だったのだ。もともと米国ネオコンに源を有する反共色強い価値観外交は、中国にいる限りは中国囲い込みの地政学的戦略にしか見えなかった。

むろん、「敵」を作り出すのが目的のネオコン式価値観外交と劉暁波にとっての普遍的価値を同列に並べるな、という声も聴こえてこよう。それは劉暁波の主観においてはきっとそうだったろう。しかし、「私には敵はいない」と述べる普遍的価値に群がるのは、普遍性を認めない人びとを「敵」と見なす思考しか持てない勢力でしかなかった。

いうまでもなく「敵」は中国政府である。今回の訃報に接したノルウェー・ノーベル賞委員会委員長は「早すぎる死の責任は中国政府にある」(東京新聞)との声明を出し、「敵はいない」と語った劉暁波の「敵」として中国政府を早速用意した。思えば、「平和的返還」の風呂敷で反共核密約を包み隠した佐藤栄作もまたノーベル賞受賞者だった。

「〇八憲章」の発表当時、中国の人文の広さと深みに魅せられた私は研究者としての永住も検討していた。実感としては、反体制の言論は確かに厳しく取り締まられるのだが、民主をめぐる言論までもが取り締まられるという危機感はなかった。それは私の甘さだったのかもしれない。

だが、その甘さにも背景というものがある。物価の高騰だ。研究者といえども、相当の経済環境に恵まれていない限りは現実の経済に超然とはしえず、私にとって中国で研究を続けるにも値上がりを続ける物価についていくだけで精一杯であった。それに連動する経済格差の拡大、これこそが大きな問題であり、それゆえ甘さは甘さとして残ったのだろう。

今回の追悼の盛り上がりで、甘さに気づけたのが正しければ、追悼は意義なしとはいえない。ただ、気になるのは、かくも追悼に奔走するメディアがこの数年間、劉暁波を忘れていたことだ。劉暁波の死に現代的意義を見出すとしたら、それは「言論の自由と戦った闘士」という反権力の言説に回収することより、「逮捕されてから死ぬまでの間忘れ去られていたこと」なのではないのか。この「忘れられていたこと」すら私たちは忘れたフリをするのだろうか。それはまさに忘却の忘却でしかない。劉暁波を追悼するのであれば、追悼する前に、この忘却に向き合うべきである。
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