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更新日:2016年11月11日 / 新聞掲載日:2016年11月11日(第3164号)

日常から再発見する谷川晃一の”雑めく"技法   エッセイ集『雑めく心』刊行/展覧会『陽光礼讃』開催を機に

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対談=谷川晃一×柏木 博

画家の谷川晃一氏がせりか書房より『雑めく心』を刊行した。本書は著者が日常生活をおくりながら、思わぬ発見へといたる有用、無用の「雑めき」を綴ったエッセイ集となっている。また十月二十二日から神奈川県立近代美術館 葉山では谷川晃一・宮迫千鶴展「陽光礼讃」が開催されている(~二〇一七年一月十五日まで)。刊行と開催を機に旧知の仲であるデザイン評論家・武蔵野美術大学教授の柏木博氏と対談をお願いした。 (編集部)
とにかく「雑」が好き。つい脇道に逸れてしまう

柏木
谷川さんのエッセイ集『雑めく心』を読ませていただきましたが、谷川さんご夫妻と一緒に行ったカナダでサーモン釣りをした話も書かれていて、よくこんなにも覚えているなと思いました。あの時、谷川さんはサーモンだけじゃなくて、一畳くらいもあるオヒョウを釣り上げましたよね。読んで色々と思い出してきました。
谷川
一畳はおおげさだけど、腕前も経験もゼロ。ただビギナーズ・ラックです(笑)。
柏木
色々な指摘がされていてその度に考えてしまいました。全体を読むと前半部分は旅のこと、テレビや本から思い出したこと、谷川さんが関わっている伊豆高原アートフェスティバルのことなどが広がりを持って書かれていて、後半部分は近くにおられた井上洋介さん、浜田剛爾さん、藤富保男さん、加納光於さんといったクリエイターのことが書かれています。エッセイ集のタイトルになっている「雑めく」ですが、冒頭で「雑めく心とは何か」で説明されています。
谷川
ええ、「雑めく」は僕の造語です。ときめく、春めく、きらめくってなんとなく恥ずかしいじゃないですか(笑)。でもそれが混じり合ったような言葉ですね。とにかく「雑」が好きで、「その他」や「脇道」といった印象ですよね。僕は道を歩いていてもついつい逸れてしまう。
柏木
あとがきで夢のことを書かれていましたね。「一本の道がある。目的地に到達するために、ひたすら道を歩いていかなければならない。(略)別の道が現れる。(略)さあ、どうする、そうだ少しだけ行ってみよう。(略)もうちょっと先まで行こう」と。「その他」に気を取られて深みにはまる(笑)。実際に谷川さんは画家だから絵も描くけれど、焼き物もするし衣服やポスターもデザインする。それからエッセイや批評も書くのでジャンルが多岐に渡っているから「雑誌」みたいですよね。だからその「雑めく」なのかなと思ったんです。
谷川
それもありますね。ハッと気がつくんですよ。これは面白いと思うとそっちに行ってしまう。
柏木
前半で幼さや絵本のこと、児童画のことを書かれています。それからパンダです。確かにパンダは突然現れる。一体いつからいたのか。
谷川
故宮博物館の図録を見ている時に雑めいたんです(笑)。龍と虎が喧嘩している絵はたくさんあるけれど、龍とパンダが睨み合っているものはないでしょう。要するにパンダのイメージがないんです。これを誰も指摘していない。日中国交正常化以降にパンダは当然のように現れた。象や駱駝や鹿のイメージはたくさんあるけれどパンダがもし近代以前にいたとすると絵や香炉といった工芸品に残っているはずですよ。色々調べたけど残っていない。だから知っている人がいたらぜひ教えて欲しいんです。
柏木
確かに見たことがないですね。中国の十二支にもパンダは出てこない。
谷川
物語や詩歌にも大熊猫という文字も残っていないんです。珍獣や妖怪が登場する「山海経」に髑髏熊というのが出てくるけれど、それがパンダとは断定出来ていない。
柏木
そうですか。聖書にノアの方舟があるけれど、絵本に描かれている動物が国によってずいぶん違うんです。例えば、ドイツでは熊が出て来るし、オーストラリアではカモノハシが出てくる。中国の絵本でノアの方舟にパンダがいたという話は聞いたことがありませんね。不思議な動物ですね、パンダって(笑)。
谷川
だから僕は毛沢東が親善外交のために作ったバイオかと思った(笑)。これで面白い説が立てられると思ったらやっぱり違いましたね。一八六九年に最初に発見されたと言われている。そのことについてはいろいろな人が言っているけど、近代以前、中国四千年の歴史の文物の中に、なぜパンダのイメージが無いのか、またそのことに誰も何も言っていないのは不思議です。

「雑めく」は物事の糸口がすっと開く印象

柏木
もう一つ、児童画です。児童画がいつから児童画として描かれているのかは僕も意識していなかった。児童画が歴史的に残されていない、という指摘を読んで、ああそうだったと思いました。
谷川
これも初めは、レオナルド・ダ・ヴィンチが幼い頃にどんな絵を描いていたんだろうと思ったんです。有名な絵描きのでなくてもいいから、ルネサンス時代の子どもの絵が残っていないかと調べたけれど残っていない。他のどの時代でも子どもの絵が残っていない。それとそのことについて、つまりヨーロッパに児童画が残っていないことを誰も言っていないのはおかしいですよね。これは歴史学者のフィリップ・アリエスも書いていない。
柏木
『〈子ども〉の誕生』を引用されています。これは子どもの発見ですよね。発見されないと児童画は注目されないんですね。
谷川
ブリューゲルの絵を見ても、子どもがたくさん描かれているけれど、着ている服が大人と一緒です。要するに「かわいい」という概念がなかったのではないかと思いました。
柏木
児童画を含めて、子どもの表現や子どものことを記録に残すのは近代になってからかもしれないですね。
谷川
学校ができてからでしょうね。僕は随分と児童画を見ていますけれど、四~六歳くらいだと良い絵が出てくるんです。それ以上になってくると、大人の常識が入り込んであまり面白くない。
柏木
大人の常識とは他人の目を意識することですか?
谷川
それもあります。ワークショップをやると親が口を出すんですよ。「こんな真っ青な犬なんかいない」と言うから、「児童画は何を描いてもいいから黙っていてください」と親に言う(笑)。
柏木
確かに常識にとらわれてしまいますね。児童画とパンダの指摘は非常によく似ていて、通常僕らは常識的にあるものとして受け流してきましたけれど、そこに視線が行くのが面白い。エッセイにも書かれているけれど、NHKの教育テレビの「趣味悠々」で大人の絵画教室の番組をやったテン末を書かれていて、画用紙に何本も縦横の線を引いて、空間が出てきたら違うテクスチャーのストロークを入れたり点を入れたりすると抽象画ができあがるのはわかるんです。だけど、画用紙にずっと点を描いていくうちに「だんだん犬が見えてきますよ」と暗示にかけるでしょう(笑)。
谷川晃一(雑木林の生命)2015年 アクリル、紙パネル」

谷川
番組が全九回だったから何をしようかと思っていて、始まってから思いついたんです(笑)。
柏木
それを思いつく手掛りが、雲を見ていて何かに見えるという見立てを基本にしている。
谷川
そうです。参加した親子で娘の方は見えてくるけれど、お母さんはなかなか見えなくて焦っていましたね。でも、見えなかった時は雲の見立てと同じだと言って終わりにするつもりでした。子どもの頃に眠りにつく前に天井板を見ていると顔に見えたりしましたよね。
柏木
うちのトイレの床は御影石なんですけど、時々おじさんが現れる(笑)。それも「雑めく」ことなんですね。それによって物事の糸口がすっと開くような印象を受けました。
谷川
僕は「雑めく」という言葉を思いつく前から、本道から逸れて違う道に行っちゃうなと思っていたんです。
柏木
絵描きの中にはスタイルも変えないでメディアも変えない人もいますね。いつ描いても同じ絵を描いている。逆に言うと辛いと思いますけれど。
谷川
すごいけどね。辛いとも言えるし楽だとも言えますね。でも民芸になると同じスタイルで器に描いていくでしょう。手慣れてくると筆が決まってくる、これは熟練の職人です。最短距離ですね。
柏木
人間は最短距離を目指しますからね。これは人間の性。谷川さんの場合は回り道をしているけれど、回り道だと認識していない(笑)。
谷川
他の方に興味が行ってしまうんですよ。でも嫌なことは止めますから。

やらなければ何も始まらない

柏木
「幼稚な知性」という言い方をされていて、幼稚なことと知性的なことが矛盾しないのも僕はなるほどと思いました。
谷川
それは澁澤龍彥(仏文学者)と松山俊太郎(インド哲学者)が、どっちが幼稚かを自慢し合っていた時に気がついたんです。あんなに知性のあふれる人が幼稚さを競うなんて面白いじゃないですか。幼稚性を持っていないと笑いがないですよ。ノーマン・カズンズ(医療ジャーナリスト)が「笑いには治癒力がある」と言っている。笑いは免疫力や治癒力を高めるけれど、日本人はくだらないことを言ってなかなか笑わないでしょう。昔、東京ボードビルショーの舞台を見に行った時のことを書きましたけれど、冒頭すぐに農作業姿の男女が出てきて畑を耕しながら、「姉さん、自由って何?」と叫ぶ。僕は大笑いしたけれど周りは誰も笑っていなかった(笑)。
柏木
やっていることと言葉がそぐわないから面白いんですよね。そういう瞬間は時々あるけれど、真面目に考え込んじゃうと笑えない。
谷川
笑いがないと臨機応変に物事が運ばないんじゃないかな。
谷川晃一(春の陽光)2013年アクリル、紙パネル

柏木
出会い頭の瞬間に出てこないと笑いがなかなか作れないですよね。谷川さんもおかしな俳句を作って、エッセイ集の終わりにもたくさん並べられていましたね。力が抜けますよ。
谷川
そうでしたか。あれもフッと思いつくんです。臨機応変と言えば、柏木さんの『家事の政治学』(岩波現代文庫)を読んで思ったけれど、今は災害の頻度が激しくなってきているでしょう。災害が恒常化してきた時に、避難所となる公民館で寝起きする。公民館では煮炊きはなかなかできないから、キッチンなどはマクドナルドといったファーストフードを給食センターとして使ったりすることを行政がやらなければ駄目なんじゃないですか。
柏木
共同キッチンですよね。アメリカのエレン・リチャーズが共同キッチンを提唱して、貧しい人に栄養価の高いものを早く渡すことを考えた。そのアイデアを真似したのがファーストフードです。だから元に戻すと共同キッチンになる。みんなで使えるとずいぶん違いますよね。例えば、バーベキューをやりたい時に道具を持っていない場合は持っている人を連れてくればいい。横に結ぶという考え方がないと成り立たない。谷川さんのアートフェスティバルもそうですよね。横に緩やかに結ばれている。ある季節、ある時間帯だけだけれど、物を持っている人を中心にして集まって何かやろうとか。

数年前に刊行されたレベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』(亜紀書房)が面白かったのは、災害が起きるとみんなが協力しあってユートピアができる。落ちつくとそれが消えていくというテンポラリーさが良いなと思ったんです。だから伊豆のフェスティバルもある期間を決められているから良いんですよね。
谷川
これは観光イベントではないからできる。
柏木
東日本大震災の時にもフェスティバルをやめようという意見が出たことが書かれていましたね。
谷川
大きな災害があった時に笑ってはいけない、お祭り事をやってはいけないという自粛モードがあるでしょう。
柏木
あまり楽しい話ではないですよね。日本の物事の考え方の根底にあるんですかね。自己規制ですよね。でも谷川さんはフェスティバルを開催して、お客が来なくても、みんなでお互いに見ればいいと。
谷川
一〇〇ヶ所をお互いに見れば一〇〇人が行き来するわけだから一万人ですよね。いつもそれを言っているんです。誰も来なくてもいい、自分たちが楽しむためにやろう、ということを趣旨にしている。観光イベントになると売上がなくては駄目だし、売上も去年より今年、今年より来年が多くなくてはならない。
柏木
やっている連中は面白いんですよね。
谷川
やることが大事ですよ。僕は、寺山修司の「やらないことはいつも不毛だ」という言葉をたびたび思い出します。やるかやらないならばやる。自滅してもいいから(笑)。だってやらなければ何も始まらないから。

エジプト文明、半身半獣、次元上昇、LSD

柏木
話は変わりますが、エジプト文明で残された文物のほとんどが死と関わりがあるという指摘も面白かった。僕もエジプトに行ったことがあって、博物館もピラミッドも見たことがあります。その時は何も思わなかったけれど、確かに死にまつわる物が多いですね。
谷川
全部が死ですよ。
柏木
谷川さんも作品のモチーフにされるエジプトの半神半獣が次元上昇と繋がっているとの考えも気になりました。
谷川
エジプトにはジャッカルの頭部を持つアヌビス神やライオンの頭部を持つセクメト女神、といった半神半獣の神像があるけれど、違う次元、つまりあの世には実際にいるんじゃないですか。古代エジプト文明はおよそ三千年とも四千年とも言われているし、まだ説がはっきりしていないけれど最近では一万五千年とまで言われる。でもこの間に神様の数が増えていない。数千年に渡って作り続けられたのなら、もっとバリエーションが増えてもいいはずです。

グラハム・ハンコック(考古学者・ジャーナリスト)の説では半神半獣たちは実際に古代エジプト人が異次元で出会った高度な知的存在ではないか、というものです。僕は死後の意識存続を願っているので、興味深いですよ。ハンコックは次元上昇があると本に書いているけれど、アマゾン漢方薬の一種であるアヤワスカを使って南米の先住民たちは人々の病気や心の苦しみを癒やしてきたように、変性意識状態になるような薬で急速に知恵を得たことがあるかもしれない。だからあんなにも巨大なピラミッドが作れたのではないか、と考えると面白いじゃないですか。ハンコックは本の中で、DNAの「二重らせん構造」を発見したフランシス・クリックは、その発見の過程は強力な幻覚剤LSDによって変性意識状態になって異次元で啓示を受けてきた、と書いている。
柏木
不思議ですね。知覚はどうなっているんでしょう。
谷川
正常な時の視覚や触覚ではないでしょうね(笑)。まだ科学的に解きほぐされていないから不思議ですよね。
柏木
LSDや幻覚の話を読んで思い出したのはコナン・ドイルが向こうの世界に興味を持ってしまったが故に、周りからバカにされて忘れられてしまう話です。ドイルはエジンバラ大学の医学部で学んで、ジョセフ・ベル教授の助手をしていた。そのベルは患者の手の皮膚状態を見て、「あなたはリノリウムの工場で働いていますね」といった具合に当てて行くそうです。そのベルがシャーロック・ホームズのモデルになっている。つまり見えている部分から見えない部分を探っていくのが本来の医学ですよね。

或いは一九世紀イタリアにいたジョバンニ・モレッリは美術館に掛かっている絵と作者が一致しないと真贋を見分けます。ディテールを見ると画家の手のストロークや癖で分かるそうです。それを読んだフロイトが、モレッリは自分と同じことをやっている、と言ったそうです。フロイト、モレッリ、ドイルに共通しているのは三人とも元は医者です。

「陰影礼讃」よりも「陽光礼讃」に

宮迫千鶴 (田舎の神様)2005年ミクストメディア
谷川
見えない世界を診断するんですね。探偵もそうだ。
柏木
そうですね。だから多くの人が見えない世界への興味を持っているのではないか。それから見えない世界の問題と私たちの記憶の問題も深く関わっていると思うんです。記憶違いもありますけれど、見えない世界が見えてしまったこととか、元々の記憶がごちゃ混ぜになってしまったとか、そういうことも関連しているような気がしています。シュルレアリスムの本を読んでいて意外だったのはドガが記憶実験をやっているんです。物を見て描いた時と、記憶してから描いた時がどのように違うのかを実験したそうです。記憶してから描くと省略してしまってどこかが抜け落ちてしまう。その抜け落ちた部分を確認したそうです。それは見えない世界を見ることとどこかで繋がっている気がしてならない。
谷川
シュルレアリスムだけじゃなく見えない世界を見ることは結構ありますね。見えるふりをして描いているシュルレアリスムもたくさんあるけれど。
柏木
シュルレアリスムというのは今日の美術にすごく深く関わっていたんだと改めて思います。「発見されたオブジェ」なんて、要は転がっているものを飾るわけでしょう。ピカソが自転車のサドルを持ってきて牛にするのも見立てですよね。
谷川
子どもがやっていることと同次元で見立てというのが創造力の根元にあります。
柏木
そうすると記憶や想像力が見えない世界とすごく関わっているような気がするんです。想像することと記憶することと、見えないものを見ようとすることがうまく説明できないけれど、どこかで接点があるような気がします。美術家はそのあたりに関わっているんでしょうね。
谷川
小説家もそうじゃないですか。
柏木
ありえないことをあるかのように造形するのは小説家の力ですものね。
谷川
谷崎もそうですよね。『陰翳礼讃』を読むと陰影よりもむしろ闇に惹かれている。何も見えない方がかえってよく見えるんじゃないですか。『陰翳礼讃』は建築論から闇の話になっていくでしょう。〓燭の明かりが天井まで届かないことに、「こんな闇は自然界でもない」と書かれている。
柏木
暗い中でじっとしていると、だんだん見えてきますよね。僕は年寄りになったので見えてくる時間が長いけど(笑)。
谷川
谷崎は実際の目よりも純粋なイメージですよ。
柏木
イメージで見えないものを見ているんですね。でも谷川さんは闇より光の方がお好きで、「陰影礼讃」より「陽光礼讃」ですね。
谷川
ええ、闇も光も夢も幻も興味深いですが、いま描いているのは伊豆半島の陽光礼讃です。伊豆高原に越してから三〇年になるんですけれど、例えば東京から伊豆に行くと明るさが違うんですよね。植物のせいだと思うんです。植物がキラキラと光っているんです。それが都市の光とは違うんですね。
柏木
土やアスファルトは光を吸収しますよね。伊豆高原に越してから光を好ましく思うような変化がありましたか。
谷川
ありましたね。僕は東京・日本橋に生まれ育っているけど、伊豆高原に行って初めてビリビリと地霊を感じました。ゲニウス・ロキです。伊豆高原でアニミズムにめざめました。
柏木
場所が変わったり、家が変わったりすると感覚が確実に変わると思いますね。僕も以前住んでいた所から現在の所に引っ越すと緑が増えたので明るく感じるんですね。その明るさもあって、日常的な感覚や物の考え方が変わるというのは何度か意識したことがありますね。その「陽光礼讃」と題した展覧会を葉山でされるんですね。現時点では展覧会の全容はわからないですが、楽しみです。
谷川
葉山は三浦半島の西海岸で伊豆高原は伊豆半島の東海岸で、相模湾を挟んで両方とも明るいんですよ。だから神奈川県立近代美術館の葉山ですることになりました。

暮らしながら絵を描くことをモットーに

宮迫千鶴 (ママ・アフリカ)2001年アクリル、紙
柏木
数年前に大岡信ことば館でおこなった「これっていいね雑貨主義」展ではものすごい量の雑貨を展示されましたね。雑貨は当初、男が排除するものだったとか。僕も雑貨が好きなんだけど。
谷川
男権主義だと余計な物を置くなということです。『陰翳礼讃』の最初の部分ですよ。日本の伝統建築には定められた様式があったので、雑貨といったものを置く余地はなかったんですね。
柏木
「玩物喪志」という言葉があって、物を弄ぶ人間は志を失うという意味です。僕はそれに引っ掛けて『玩物草子』(〓凡社)という本を出したことがあります。そういう思想があるんでしょうね。
谷川
余計な物にとらわれるなという精神主義ですよね。
柏木
あの展覧会を見た時には驚きましたね、玩物の多さに。
谷川
自分でも驚きました(笑)。ぎゅうぎゅうに家に詰め込んでいたんでしょうね。あれも雑めいたんです。雑貨たちが「閉じ込めないでください」と言っているな、と。
柏木
木の扉みたいな板がありましよね。いい板だなと思って見ていたんです。
谷川
柏木さんも部屋のことや家のことをたくさん書いていますね。
柏木
やっぱり玩物に手を出しますね。
谷川
柏木さんはどうして家のことを書くことが多いんですか?
柏木
英語の「インテリア」には精神的な、内面的な、という意味もあるんです。ジョセフ・コーネルが箱の中に色々と詰めて作品を作りますよね。宮迫さんも作っています。あれは自分の精神性みたいなものが出て、ある種の圧縮された部屋ですよね。だから美術家でなくても部屋を持つとそこに色々な物を入れ込むから、一種のコラージュ空間が出来上がります。それを覗くと、ある種の精神の断面が見える気がする。
谷川
個人主義ですよね。でも、家は個人で住んでいるとは限らないから家族がいてごちゃごちゃになりつつ折り合いをつけるのでしょうね。
柏木
その折り合いも含めて、内側の世界が広がっているので僕は興味を持っているんです。
谷川
折り合いを付けないと個人美術館になってしまう。
柏木
宮迫さんがおられた時は二人の美術家が家におられたわけだから、お互いが混ざり合わさった状態でしたよね。
谷川
でもスタティックな個人美術館にはならなかったですね。
柏木
なりゆきもあるけれど、室内がある意味で内側を見せている感じがして、そこからデザインを考えることが僕は多いですね。料理を作るとか、テーブルウェアや椅子という自分の生活に関係している日常を基準にしてデザインを見ていないと手に負えない。「陽光礼讃」展は雑貨も展示されるんですか?
谷川
今回は絵が中心だけど、コラージュや宮迫のボックス・アートもあります。二人で約一三〇点だから大展覧会ですよ。僕の作品はそんなに大きくないですからね。
柏木
今は大きい作品を描く画家が増えていると書かれていましたね。あれはどういうことですか。
谷川
アメリカの影響ですよ。要するに美術の中心がパリからアメリカに移ったでしょう。抽象表現主義になってとにかく大きい作品を作るようになった。だけど日本では無理ですよ。作品の規模も大きくなってきて美術館でもしまう場所が少ない。
柏木
日常生活の中に美術作品を置くことができないですよね。特殊な空間じゃないと置けない。コレクターもそれを置けるような空間に住んでいる人も稀ですから。
谷川
僕らの世代は一九六〇年代と言われているけれど、五〇年代まではほとんどの作品は小さい。大きくなってもいいけれど、大きくなってくると小さい作品が持っていた感性の良さを表しにくい場合もあります。
柏木
特殊な現象ですね。
谷川
それからさらに変わってきて、現在はインスタレーションになって平面から空間になってきた。日本でも全国的にビエンナーレやトリエンナーレをやっていますけれど、多くがインスタレーションですよね。どんどん巨大化していくし、外国人作家も招待して、地元の作家たちもほとんど出ていない。
柏木
美術館のあり方やインスタレーションに対応する特殊な空間を利用していくこととリンクしながら表現が変わってきていますね。
谷川
表現欲求があるからやっているわけではなくて、場所に合せて新しい表現が出てくる。それはそれで良いことです。僕らがやっている伊豆高原アートフェスティバルは予算規模も二八〇万円くらい。出展者もほぼ地元の人たちで、中高年の女性たちが手芸作品を展示している(笑)。普通、絵描きは生涯をかけて絵を描いているから絵を描くために生きて、ついでに暮している。僕のモットーは暮しながら絵を描いていくことです。暮しというのは家事ですよね。
柏木
それは僕も同じで生活と共存しているのがいいと思うんです。でも雑めくっていいですよね。
谷川
ええ、ロビンソン・クルーソーは「雑めく心」で生き延びたんですから(笑)。

谷川晃一・宮迫千鶴展「陽光礼讃」

開催中~2017年1月15日/神奈川県立近代美術館 葉山(神奈川県三浦郡葉山町一色2208―1〓046―875―2800)/月曜日休館(ただし1月9日は開館)、12月29日~1月3日休館/9時30分~17時開始/一般1200円

◇関連企画プログラム◇
◎谷川晃一氏によるアーティスト・トーク
「雑めく心」11月13日/「陽光礼讃」12月3日
各日14時~15時30分
◎対談=谷川晃一氏×原田光氏(美術評論家)
日時:2017年1月14日14時~15時30分
<イベントはともに、神奈川県立近代美術館葉山講堂、定員70名(当日先着順)。*申込不要、参加無料>
この記事の中でご紹介した本
雑めく心/せりか書房
雑めく心
著 者:谷川 晃一
出版社:せりか書房
以下のオンライン書店でご購入できます
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