溝口健二論 映画の美学と政治学 書評|木下 千花(法政大学出版局)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年8月12日 / 新聞掲載日:2016年8月12日(第3152号)

溝口健二論 映画の美学と政治学 書評
画期的な溝口健二論 複層的視点から明快に語る

溝口健二論 映画の美学と政治学
出版社:法政大学出版局
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六〇〇ページ以上ある大部の本。こんなにおもしろい映画研究、いままでにあっただろうかと唸らせる記述にみちている。

まず、溝口健二をめぐる事実の実証的追求が見事である。評伝をめざしているわけではないが、わかることは知って役に立てるという態度が貫かれている。効率よく資料にあたりながら、安易に定説に与しない。同時代の証言や先行する批評への敬意の一方で、それらに呼び戻し的スウィングをかけるのを忘れていない。本書の土台は、シカゴ大学大学院に提出した英語による博士論文だそうだ。アメリカでなされてきた研究の成果をよく吸収している。日本文化、日本映画、どう特異なのか。診断的な視点の設定は、文化研究の基礎のそなわったアメリカの方が得意なのだ。その紹介は紹介として、著者木下千花はこれにも気合い負けしていない。
「間メディア性」という用語が出てくる。ちがうジャンル、ちがうメディアが「接触し、混淆し、浸蝕し合うことによって」おこる事態を指す。それを繰り込んで考えることで、映画がその初期から発展してきた過程が立体化する。溝口健二という存在が、日本の近代に作用したどういう力の相克の「結節点」となったのかも、鮮明になる。「本書が試みるのは間メディア美学としての溝口論である」と言う。軽く聞こえるかもしれないが、そうであることで作品史に即して拾いあげている収穫がたくさんある。それがカッコいい。

実は、「美学」とともに副題におかれている「政治学」の独特さと威力に鮮度がある。端的な例をあげると、「溝口健二ほど徹底して、執拗に、女性の交換を介した権力関係のダイナミクスを描き続けた映画作家はいない」。物語と演技と画面をただの映画通の手で撫でる批評からは出てこない指摘だ。

ここにある「政治学」は、状況と表現の関係を語るという以上のものである。溝口健二の演出(本書では「ミザンセヌ」とルビが振られる)における選択と不可避性の交点をたどって、作家論や作品論に収斂しない「世界批判」へとにじりよる。映画学とは、どういう全体を相手にすべきなのか。溝口作品への愛をおきざりにすることなく、その全体を大きくかつ緻密につかまえている。

たとえば、一九三〇年代のトーキー化をとりかこんだ状況について、本書のように、全体的な見取図とともにひとりの映画作家にとってのその意義を解明した例を、私は他に知らない。戦争期、占領期、ポスト占領期を生き抜いた溝口健二の、それぞれの局面での「どう女性を描いたか」を、従来注目されてこなかった作品群も対象にして、回路を入りくませながらスリリングに論じる。そこに必ず現在からの目がある。個々の作品論に立ち入る余裕はないが、とくに目覚しいのは「妊娠の身体」についてだ。「欲望と贈与交換の主体たらんとする女性」がそれをもつことで「受動性を発現する」という着目。そして「受動的なイメージの領域」の両義性にこそ溝口映画の「魅惑」があるとする。溝口作品の技法的トレードマークたる縦構図の長回しでの、「ショット内モンタージュ」というべき効果の分析も、図像を用いて過不足ない。

よく言われる溝口健二のリアリズムとはどういうものか。「抽象的な理念が剥き出しになった『ありそうもない』内容を、ほとんど幾何学的といってよい空間構成と、綿密な演出から匂い立つ情緒と、そして俳優の語りの力によって有無を言わせず納得させることである」という説明で切り抜けているが、これは少し食い足りない気もした。人物の一部に授けられる「見抜く力」のリアリズムがそういう方法に先行するのではないか。

それはともかく、この著者の言い抜く力は圧倒的だ。『シネマ』のドゥルーズにも怯んでいない箇所があり、愉快だった。映画、女性、日本。複層的視点からつねに明快に語り、結果として溝口健二をよろこばせている本だ。
この記事の中でご紹介した本
溝口健二論 映画の美学と政治学/法政大学出版局
溝口健二論 映画の美学と政治学
著 者:木下 千花
出版社:法政大学出版局
以下のオンライン書店でご購入できます
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