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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年8月12日 / 新聞掲載日:2016年8月12日(第3152号)

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作中に響きわたる歌声 読後感として残る静かな慰謝の念


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『ジャッカ・ドフニ』――何という印象的なタイトルだろう。意味はわからない。まるで人の名前のようでいて、どうやら違う。でも、その響きは、不思議とこちらの心に滲みこんでくる。なぜだろう。ヒントは、この長編小説の頁をめくりはじめてまもなく与えられる。「ジャッカ・ドフニ」とは、もともとトナカイ遊牧民ウィルタの言葉で、「大切なものを収める家」を意味するという。

作品は、「あなた」と呼ばれる主人公が二六年前に訪れたジャッカ・ドフニを想起するところから始まる。かつてそこではごく小さなスペースに囲炉裏が切られ、アイヌ独特の木彫りの守り神や木幣、民族衣装、楽器、ソリなどがならんでいた。館の主はこんなふうに「あなた」に語りかけてきた。「そこら辺に置いてあるものには、どんどん触ってください。ここは、そういう方針なんです」。ジャッカ・ドフニは資料館であり、一種の慰霊碑、墓でもあるが、同時に過去に直接、手を伸ばして体感する場所でもあった。そこはさまざまな人の幻影がよみがえってくる場所なのである。

しかし、ジャッカ・ドフニはすでに閉館されてしまった。主のゲンダーヌも亡くなった。かわりに主人公が訪れるのは立派な「北方民族博物館」。入り口の天井は高く、凝ったつくりの廊下を進むと、よく磨かれたガラスケースの中にかつて「あなた」が目にした民具や楽器やソリが整然とならんでいる。「あなた」は違和感を覚える。

「あなた」は二六年前にはそこにあった何かを失ってしまった。ただ、この喪失感を出発点にして、つまり失われた過去を思い出すという「あなた」の想起の行為をきっかけにして、物語は動きはじめる。記憶の糸は東北大震災や「あなた」の個人史を越え、第二次世界大戦とシベリア抑留、さらには数百年の時の向こうにある一七世紀のキリシタン来訪の時にまで及ぶ。そこに浮かび上がってくるのは、アイヌと日本人の間に生まれたチカップという名の少女と、ジュリアンという青年の物語である。

カトリックの信者である津島佑子が、遺作となった長編の素材に選んだのは、自らの精神のルーツとも言えるキリスト教伝来の物語であった。時は動乱の世。チカップとジュリアンはキリシタンに助けられ、苦難を乗り越えてマカオにたどり着く。言葉を持たなかったチカップが少しずつ自ら語る術を覚え、周囲とコミュニケーションをとれるようになるプロセスに、彼女が兄と慕うジュリアンが寄り添う。しかし、やがて二人はマカオにいられなくなり、離ればなれとなる……。

この壮大な歴史物語の骨格をなすのは意表をつくようなプロットやアイロニーやひねり、サスペンスではない。読後感として残るのは、むしろ静かな慰謝の念。運命に翻弄されるチカップの物語はたしかに悲哀と苦難に満ちたものではあるが、決して運命と対決するわけではない。彼女は何かを赦し、また赦されていたのではないだろうか。「……おら、ハボの歌をうたいとうなってきた。なあ、うたってもよいか。うたうよ」言葉が得意ではなかったチカップだが、歌ならば次々に口をついて出てくるのである。「――ルルル、ロロロ、モコロ、シンタ、ランラン、ホーチプ、ホーチプ!」

「あなた」が北海道の民俗資料館を訪れる冒頭部でも、印象的にアイヌの歌は響いている。「ノックルンカ 今年という年は/ノックルンカ ひどい山津波と/ノックルンカ はげしい山津波とが/ノックルンカ 両方から襲来/ノックルンカ するであろう。……」津波の歌は古人から伝来された知恵であり、聞く者を恐怖に陥れたり、悲しませたりするものではない。そして決して流麗な歌声ではないのに「……柔らかい静かな声は森の静寂に溶けこみ、あなたはノックルンカの話にすっかり引きこまれた」。

「あなた」が北海道で耳にする歌もチカップの口をつく数々の歌も、運命の重い影を背負ってはいても、運命と闘ったり抗ったりすることはない。むしろ苦しみをほぐし、やわらかく生きやすいものへと変換する。たくましくもあるし、やさしく慈愛に満ちてもいいるような精神のあり方がそこには宿っている。作家がアイヌとキリスト教とを結びつけた意味もそこにあったのではないかと思う。カトリックもまた歌と祭りの宗教である。チカップが出会ったキリシタンたちには弾圧され、殉教する者も多かった。作品中にも死と犠牲の匂いが濃厚に漂う。しかし、死も犠牲もつねに歌と祭りを伴っている。決して狂気じみた死との向き合い方ではない。悪意や攻撃性はこの作品の中にはほとんど出てこない。受難の中でどう苦しみをほぐし、受けとめるのか。「ジャッカ・ドフニ」という美しい響きを通して開かれた私たちの耳は、読み進めるほどに作中に響きわたる歌声の、その意味以前の意味を聞き取るようになっていくのではないだろうか。
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