塔と重力 書評|上田 岳弘(新潮社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年9月18日 / 新聞掲載日:2017年9月22日(第3207号)

空性への志向とそれと共に顕在化する抵抗

塔と重力
著 者:上田 岳弘
出版社:新潮社
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塔と重力(上田 岳弘)新潮社
塔と重力
上田 岳弘
新潮社
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「塔と重力」とみて真っ先に思い浮かぶのは、物理学の「最終結論」を導くはずの重力研究、その端緒を開いたガリレオによるピサの斜塔の実験だろう。もう一つはバベルの塔である。かつて人類は思考密度の果てない向上によって、天に届く残り僅かまで塔を伸長させたが、神の手による「言葉の混乱」がそれを挫いた。著者が過去の作品で用意してきた舞台は、常にそのような天と地(斥力と引力)の鬩ぎ合いを活力とする神話的枠組に囲われている。

ネット社会による新たな生存形態への扉を開いた人類は、いまはGoogle翻訳ばりに支離滅裂の途上にありながらも、再び完全言語を取り戻しつつある。やがて個々人を棄てた一つの生命体として、身を失い、高次元の座標と化した存在に辿り着くだろう。その空性くうしょうへの志向を「塔」と呼ぶなら、共に顕在化する抵抗・・は「重力」に他ならない。だが現在、増大する人間達の思念を蓄積し、各人の「小窓」を通して他者の意識に自在に出入りできるSNSが、来たるべき「共感」の世界を映し出しつつある。リツイートといいね!だけをしていれば個性を取り替えながら無為に過ごすことのできる離人症的感覚の「楽園」。いずれ我々人間が〈やり残したこと〉はなくなるほかない。

三十八歳の「僕」こと田辺は、実人生において相似の終了感を抱いている。田辺は恋人セフレの葵との関係を「終わりが近い」とみている。飽き・・が関係を浸潤しつつあるからである。セックスの最中に「終わってるね」と互いに声を掛けて高め合い、諦観の反動で生きながらえること(それは現代文学の延命の仕方の寓意でもある)。介入してくるのは、十五年ぶりに再会した水上という大学時代の友人だ。

田辺は神戸の高校生だった時、予備校仲間との合宿中に阪神・淡路大震災に遭い、ホテルの倒壊で生き埋めとなりながらも助かったのだが、「初体験の相手」となるはずだった美希子は死んだ。学生時代も合コンのアサイン能力に秀でていた水上は、再会後、田辺の「美希子」への心的固着を解消するために、毎回新たな女性を「美希子」と称して引き合わせる。しかし、それは反対に、田辺に瓦礫に埋もれた記憶の上書きを促し、決して愛してはいなかった「美希子」を、「終わり」のない「失われた可能性の象徴」に仕立て上げていく反作用と不可分である。田辺の思考回路をなぞれると主張し、田辺を主人公とした小説をFacebookに上げる水上は、一種の別人格オルター・エゴであり、田辺を三人称で捉える視点であり、田辺の「僕」という一人称の視点を補完する存在である。両者の統合の先、人類を全一体としてみる「神ポジション」の完成形に向かって、水上はいわば「塔」を建立する共同作業に田辺を導いていく。ところが現実には、両者の同調性は多分のずれを孕まざるをえない。田辺は落涙を制御できない昔の症状を再発し、水上はチックや原因不明の吐き気を抑えられないのだ。吐き気が鎮まるのは、いずれ人類が獲得するはずの完全言語的「共感」を「拒む・・ための言葉」として小説を「書く」時のみである。彼らの言動に捻れを起こす力、それを重力(あるいは小説の力)ということもできる。

ちなみにヒロインは、思考実験のアンカーのようなものに過ぎない美希子ではなく、葵である。田辺と葵の関係の結末は少々安易に映らなくもないが、これが葵の意図したことか偶然なのか、そして田辺にとって結局抵抗・・なのか諦め・・なのかはよくわからない。さしあたり、世界から重力が完全に失われる時機は、そう簡単には来なそうだ。
この記事の中でご紹介した本
塔と重力/新潮社
塔と重力
著 者:上田 岳弘
出版社:新潮社
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