世紀末の長い黄昏 H・G・ウェルズ試論 書評|宗 洋(春風社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年9月18日 / 新聞掲載日:2017年9月22日(第3207号)

世紀末の長い黄昏 H・G・ウェルズ試論 書評
本格文学研究でありながら一般読者も楽しめる稀有なバランス

世紀末の長い黄昏 H・G・ウェルズ試論
著 者:宗 洋
出版社:春風社
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シャーロック・ホームズを読んでいない学生はすでに珍しくないが、「SFの祖」H・G・ウェルズもかなり危うい状況にあるらしい。それでもまだウェルズは、一般読者に比較的親しまれている作家と言えるだろう。『世紀末の長い黄昏―H・G・ウェルズ試論』は、先行研究と文学理論を堅実におさえた本格文学研究でありながら、卓抜な作品のセレクションとコンパクトな体裁、ジャーゴンフリーで読みやすい文体(若干「こと」が多いきらいはあるが)で、研究者だけでなく一般読者も楽しめる稀有なバランスの書物となっている。ウェルズの「初期の作品を<観察>という視点から緩やかに結びつけて論じ」るのを目的とする本書で扱われる作品は、古典的SF作品の定番『タイム・マシーン』、『モロー博士の島』、『透明人間』、『宇宙戦争』、サイクリング・ロマンスの『偶然の車輪』、ウェルズの社会小説では最も評価の高い『トーノ・バンゲイ』である。

「観察」に加え「はじめに」で挙げられているもう一つの軸は、初等教育法の恩恵を受けて科学技術に関する教育を身につけた人々の間で、階級をまたがって共有されていた知識である。各作品にはそれぞれ一章が充てられており、概ねどの章も各作品の映像作品とのつながりや文学史での位置づけなど、作品の通時的なあり方の紹介で始まるが、本書の真骨頂は、ウェルズの言説が同時代に共有されていた言説に接続される時にある。作品内で些細な、あるいは矛盾して見えている事柄を足掛かりに、同時代に広がっていた言説空間に向かって著者の論は一気に拡張されてゆき、読者はその筆に導かれてその言説空間を遊泳する。反面、全体としてウェルズという作家その人に関しては、それほど記述は厚くない。

何を隠そう、評者も「あとがき」に登場する研究室の勉強会に参加したくちで、本書の引用と同じ箇所をいくつか拙著『妖精のアイルランド』で使った。(評者の場合は、暴力的なアイルランド人表象を『透明人間』ではなく『ユリシーズ』の第十五挿話に接続した。)アナーキストとアイルランドのテロリストのつながりを示唆するのにテニエルの「二つの力」で帽子に書かれていた言葉はどうだろうかとか、十九世紀の英国絵画の荒涼した風景に関してもう少しピクチャレスク美学についての説明が手厚くてもいいのではないか、等と読んでいて考えてしまったのは、著者の論の流れの多くに評者が完全に同意していたからに他ならない。(一点、第六章の優生学と身体修養については、帝国に必要とされた健康な兵士の肉体という観点を導入すれば、「矛盾」は解消されるように思う。)一九九〇年代に英文学研究者であった読者は、本書で『現代思想』を中心とした当時の「熱気」をきっと思い起こせるだろう。

我々研究者は学恩ある人々の影の下から生涯抜け出せないのかもしれないが、巣立ちの時は必ずやってくる。映像化された『フランケンシュタイン』のように、被創造者と創造者の関係が逆転する機会が訪れることもあるかもしれない。ぜひ、著者のさらなる飛翔を目にしてみたいと思う。

最後に細かい点。観察が軸であるので参考文献に『観察者の系譜』等、クレーリーの著作は欲しかった。PC的に微妙な言葉が終盤に一つ。また、ヴィクトリア女王の治世に「時代」、「朝」等どれを付すかは、明確な基準があった方がよいと思う。これは、恩師の一人の教えからである。ただしそのままではない。
この記事の中でご紹介した本
世紀末の長い黄昏  H・G・ウェルズ試論/春風社
世紀末の長い黄昏 H・G・ウェルズ試論
著 者:宗 洋
出版社:春風社
以下のオンライン書店でご購入できます
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