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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年8月12日 / 新聞掲載日:2016年8月12日(第3152号)

書評
出来事の編 纂 新国立競技場問題から「祝祭都市構想 プラットフォーム2020」へ


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サブタイトルにある通り、時事問題を主題とした時評の書籍化で、磯崎の膨大な著書目録を眺めても、ここまで一事に集中して編まれた単著は珍しい。そして、一九八三年代にザハ・ハディッドの国際的なデビュー(香港のピーク・レジャークラブのコンペ)に一役買い、二〇〇六年には「福岡オリンピック構想」を監修した磯崎が、新国立競技場問題にどのような一石を投じるのか? 誰もが耳を澄まして注目していたことは間違いなく、極めて時宜に適った出版物といえるだろう。私も、そういった観点で、『現代思想』連載時から毎号貪るように目を通し、その批判の戦略(ロジスティクス)に舌を巻いていた。

書評に際して、とりまとめられた一書を再読し、これらの論考から浮かび上がってくるのは、時事問題に対する意見という側面よりも、磯崎新というアーティスト・アーキテクトが実践する思想的な手法論(喧嘩術と言ってよいのかもしれない)のエッセンスだ。

本書は、新国立競技場問題の論述自体を、神宮外苑の「空地」と皇居前「広場」を接続した磯崎の最新作、「祝祭都市構想 プラットフォーム2020」の起源として編纂してみせる。換言すれば、時事問題をスプリング・ボードに、それに重畳する日本文化の来歴、オリンピックが表象してきた首都=近代国家の有様、近現代を動かしてきたテクノクラシーの劣化といった問題設定を否定的媒介に、磯崎自身をクライアントとするプロジェクトを提案してみせるのだ。

一見、「こうなったらやけくそだ!」と言わんばかりのプロジェクトだと指摘したくもなるところだが、豈図らんや、これを看過してはなるまい。「成都の巨大建築(新世紀還球中心)とザハ・ハディト案」と「祝祭都市構想」の2枚のフォト・コラージュが本書の前半と後半それぞれの最後に挿入されているが、この判じ絵の提案こそが、「アンビルト」を深化させたアーティスト・アーキテクトによる常套手段であり、本気の「イメージゲーム」の試合開始なのだ。

本書の核となる論考「ハイパー談合システム」は、現代社会が高度に成熟したテクノクラシーによって、「責任者の所在が明らかにできない」インフラストラクチャーを完成させていることを指摘する。この論考によって、責任者不在、クライアント不在、審査委員不在、デザイナー不在、市民不在を宣告し、すべての役割りを自らがひきうけて、言わば出来事を編纂し、「祝祭都市構想」というシャドーボクシングのリングを準備してみせた。

ハイパー化しつつある問題の分析=解体を通じて、その原因をプロジェクトによって可視化してみせるこの手法こそが、磯崎新というアーティスト・アーキテクトの真骨頂なのである。

処女作にすべてが含まれるとは月並みな言い回しだが、翻ってみれば、本書の読後感には、四十五年ぶりの『空間へ』(最初の単著、一九七一年、美術出版社刊)と言いたくなる刺激を感じる(もちろん 『空間へ』は私が生まれる以前の著書で、私が読んだのは十年ほど前だが……)。

『空間へ』で提示された「未来都市は廃墟である」「闇の空間」「見えない都市」といった思想が、今回「空地」「広場」「祝祭」を起動する手立てになったと解読できることは興味深い。

磯崎の思想的な手法論は、その時代毎の「見えないもの」を批判的に暴き出し、その力の解体を通じて、リアルに、ヴァーチャルに、時には宗教的に再構築させる「始源のもどき」なのだ。

本書には、放っておいても時事問題への発言として注目されるはずだが、図らずも、マスコミで共有された時事問題を通じて、磯崎の解体構築術が開陳されている。磯崎自身による磯崎入門となっている点を強調しておきたい。多くの方々に、出来事の編 纂を堪能して戴きたい。
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