一句頂一万句 書評|劉 震雲(彩流社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年10月14日 / 新聞掲載日:2017年10月13日(第3210号)

一句頂一万句 書評
独特で非凡な語る技術 
人との繋がりを強く求める人間の姿を描く

一句頂一万句
著 者:劉 震雲
出版社:彩流社
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一句頂一万句(劉 震雲)彩流社
一句頂一万句
劉 震雲
彩流社
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劉震雲は、本作も含めて、その小説が映画化、ドラマ化され、また中国作家協会主催の茅盾文学賞を受賞するなど、中国国内で人気の高い作家だが、日本では『ケータイ』(桜美林大学北東アジア研究所)、『盗みは人のためならず』、『わたしは潘金蓮じゃない』(いずれも彩流社)、『人間の条件1942』(集広舎)などの邦訳がすでにあるものの、余華や閻連科と比べると知名度がそう高くない。その落差が生じる所以に、この作家の特徴があるように思う。もちろん、中国作家に対する日本社会の特殊な期待値があるのは事実だが、本作のように社会的批評性が薄い小説を面白く読ませるには、非凡な語る技術が必要だろう。その点が中国で評価される作者の個性かもしれない。

この小説は作者の故郷でもある河南省の田舎町を舞台に、庶民の日常を詳細に描きながら、登場人物の名前を覚えるのも大変なほど数多くのエピソードを集積した物語となっている。時代背景はここ百年だが、実は古代でも中世でも構わない物語である。この小説は、歴史が物語の外に排除されている印象を持つ。内容は家族・友人・仕事の三要素からなる人間関係を中心とするが、そもそも人間同士を結び付けるものは、他にも言語・思想・宗教など数多くある。だが、ここでは三要素を中心とすることで、深い内面よりも願望に支配される人間の姿が浮き彫りになる。個々のエピソードは、豆腐屋、鍛冶屋、床屋などが登場する庶民の日常生活の中で、友を求め、家族を形成し、生計手段を探す人々の姿を饒舌に描くが、ノーベル賞作家莫言のように驚天動地の物語を編み出すわけではなく、また余華のように鋭い人間観察や生の動態への強い関心を示すわけではない。ありふれた世俗人情を描くだけでは、これだけの長編小説を最後まで読ませることはできないが、独特の語り方に中国で読者を惹きつける力があるのだろう。

例えば「主を信じれば、自分が何者で、どこから来て、どこへ行くのかが分かるようになる」と説教する宣教師に、「俺はブタ殺しで、曾家荘から来て、各村にブタを殺しに行くんだ」とすぐさま切り返す、掛け合い漫才のような話術にその一端が窺える。また弁才とは「どれだけ喋らないでいられるかということである」、或いは一日に二万回目をしばたく者を例に「目を盛んにしばたく人はいろいろ考えをめぐらすことが多い」など、くすっと笑わせる表現が随所に見られる。他にも、県長が同性愛者であるエピソードを入れるなど、性への俗っぽい興味を惹く術にも長けている。

ただ、エピソードは多くても、この物語は統一テーマを持った群集劇ではない。それが分かるのは、前半が一人の男が町を出るところで終わり、後半が娘の義父への慕情を中心に展開する構図にある。この小説は、ひと言で言えば、人との繋がりを強く求める人間の姿を描いているのである。人を結び付けるのは家族・友人・仕事だとする考えを前提とすれば、逆にそれ故に、血縁関係を持たない父と娘が互いを慕う情が切ない。誘拐されて陝西省で暮らす娘が、義父の消息を求めて河南省の町へ「帰還」しても、そこには期待する救済や幸せはなく、結局自分の人生を営む現在の町へ戻る姿は、幸せは夢のままにするしかない現実をあぶり出しているように見える。

最後になるが、題名の『一句頂一万句』は日本語に訳す方が読者に親切だと思う。ふつうに日本語読みできない本を探すのも、注文するのも不便である。(水野衛子訳)
この記事の中でご紹介した本
一句頂一万句/彩流社
一句頂一万句
著 者:劉 震雲
出版社:彩流社
以下のオンライン書店でご購入できます
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