キャサリン・マンスフィールド傑作短編集 不機嫌な女たち 書評|キャサリン・マンスフィールド(白水社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年10月14日 / 新聞掲載日:2017年10月13日(第3210号)

キャサリン・マンスフィールド傑作短編集 不機嫌な女たち 書評
経験的に追認できないような未知の微妙な気分こそが仄見える

キャサリン・マンスフィールド傑作短編集 不機嫌な女たち
出版社:白水社
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久しぶりにキャサリン・マンスフィールドの本を手にしたとたん、ラヴェンダーの花の香りを追うような気分が動いた。
「ガーデン・パーティー」の最初のあたり、天蓋張りの職人が身をかがめ、親指と人差し指にはさんだラヴェンダーの匂いをかぐ。このさりげなく挿入された場面が素晴らしいので、キャサリン・マンスフィールドが好きになった、と述べた日本の女性作家がいたはずだ。あれは誰だったのか、そのことを紹介したエッセイもあったような気がするが、いずれも思い出せない。今となっては、ラヴェンダーの淡い香りを呼び戻す気分だけが揺れている。はたして、記憶はよみがえるだろうか。

ニュージーランド生まれの女性作家キャサリン・マンスフィールドといえば、モーパッサン、チェーホフと並ぶ短編小説の名手として、文学史的に重要な位置が与えられてきたことは周知のとおりだ。チェーホフに関しては、強い影響を受け、剽窃を指摘された作品もある。しかし、マンスフィールド論で批評家として出発した江藤淳によれば、影響はごく表面的なもので、「剽窃するにはあまりに独自な資質」をこの女性作家は持っていたし、チェーホフから自由でいるためには「あまりにも職業作家的なあく・・の強さがなさ過ぎた」と言う。

マンスフィールドの翻訳に関しては、他の二人とくらべ数的には遜色なくさまざま日本語訳が試みられてきた。しかしながら、二度ほど全集まで出ているにもかかわらず、必ずしも翻訳に恵まれてきたとは言い難い。さらに短編集ともなれば、魅力的な作品選択が実現されているか否かの問題もある。それだからこそ、本書に期待するものは大きかった。

結果として、訳文に緊密な質感があり、選ばれた短編小説も組み合わせに妙趣を感じさせ、この作家に親しむ貴重な一書の出現となった。人間の多彩な生の姿に向けられた労わりと辛辣さ、悲哀とユーモア、繊細な描写の力を味読するには好適な作品集であると言えるだろう。このような作家的資性からすれば、たとえば今日の文学としてカナダの名短編小説家アリス・マンローのような作家と併読しても、その鋭敏な感覚は独自の光彩を放つにちがいない。

構成は、5つのセクションにそれぞれ3作ほど集められている。〈宴の後〉に「幸福」「ガーデン・パーティー」「人形の家」、〈満たされぬ思い〉に「ミス・ブリル」「見知らぬ人」「まちがえられた家」、〈冒険の味〉に「小さな家庭教師」「船の旅」「若い娘」、〈勝気な女〉に「燃え立つ炎」「ささやかな過去」「一杯のお茶」、〈男の事情〉のみ「蠅」一作を収録している。生と死をアイロニカルに凝視する有名作「蠅」を最後に置く試みは、それ自体がアイロニカルで興味深い。ちなみに、この短編は横光利一、ピランデルロの同名作と対比的に読むのも面白い視点が浮かび上がる。

アンソロジーの要諦は、同居する作品間の響き合いにあるが、本書の採ったセクション分けによる隣接作の置き方の工夫は思わぬ効果を上げている。例えば、いささか個人的な判断に立ち入ることになるが、私には凡作に感じられる「ミス・ブリル」が、平穏な日常に射し込む微妙な違和の影を描いた同じセクッションにある二作を並列したとき、老女の凡庸なセンチメントもまた必然的なものに感じられたりするのだ。

マンスフィールドの初読者に、とりあえずの一作を薦めるとすれば、「船の旅」であろうか。母親を亡くした少女が父と別れ、祖父の待つ別の島まで祖母と一緒に夜の船の旅をする。五感豊かな描写と生気にみちた巧みな人物造型を味読でき、庄野潤三も繰り返し読んだという紛れもない傑作だ。

こう記してきて気づくことだが、悲喜にせよ哀歓にせよ愛憎にせよ、これらの作品群は一義的な感情のテーマのもとに集約できるはずもなく、むしろ経験的に追認できないような未知の微妙な気分こそが仄見えていると言える。

ラヴェンダーの匂いにまつわる記憶は、やはり戻ってこない。いずれにせよ、多くの魅力的な小説がそうであるように、マンスフィールドの短編もまた細部の描写あるいは小道具の卓抜な働きに興趣がある。私が大いに笑ってしまった小道具に、「ささやかな過去」(本邦初訳)の最後のシーンに現れる「大瓶に入ったユーカリオイルと清潔なハンカチ二枚」というものがある。それは身を熱くし生き返るような経験をしたその夜の妻にとって、どれほど恐ろしい代物であるか、種明かしはしないほうがいいだろう。(芹澤恵訳)
この記事の中でご紹介した本
キャサリン・マンスフィールド傑作短編集 不機嫌な女たち/白水社
キャサリン・マンスフィールド傑作短編集 不機嫌な女たち
著 者:キャサリン・マンスフィールド
出版社:白水社
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