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読書人紙面掲載 書評
2016年8月19日

迷宮のようでいて明晰な思考 長い間、邦訳が待たれていた書き手


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読むこと、引用することによって元の著者に憑依され(とりつかれ)るタイプの思索者がいる。また同様に調査する地域や対象に埋没し、その文脈や地平にすっかり生を移してしまうようなフィールドワーカーがいる。おそらく長い間、邦訳が待たれていた、このマイケル・タウシグもそんな書き手の一人である。

コロンビアなど南米をフィールドとし、ベンヤミンなど批判的マルクス主義の議論や概念を駆使しつつ、深くまたドープですらあるシャーマニズム体験や各地の民衆の生活にふわりと浸透していく身ぶりは、その思考においても十全に力を発揮している。ときおりバロウズやガルシア=マルケスの小説のように読めるスリルが彼の書きものにはある。とりわけ本書は――実際に一九三〇年代のパリで交流もあった――ヴァルター・ベンヤミンやジョルジュ・バタイユの関わりを、様々な出来事や現象に言及するなかで幾重にも語りなおし、およそ飽きさせることがない。

これまでに多くの著作をもつタウシグだが、いくつか基本となる概念がいつも彼の仕事には呼び出され、本書もまた例外ではない。たとえば「神経システム」nervous system(過去の同名の著作も面白い)や「公然の秘密」public secretといった概念や言葉はカギとなる。前者は本書冒頭でも言われるように、言葉が指示することがらを「本当であると信じているようなふりをして同時にそのごまかしを認識することである」(一七頁)。後者は一般的に知られているにもかかわらず、はっきり言えない(分節化しえない)ことを指している(四四、二四九頁)。「空気を読む」同調圧力が、今の沖縄で見られる警察や政府の横暴と見事にかみ合ってしまっている日本語環境でこそ、このシステムと秘密は徹底して問われなければならないのではないか? インチキや詐術と知りつつ、これを信じる、という身ぶりの政治性は現代社会においても通底する。

だからこの二つの概念を通して、タウシグは呪術=魔術における生成や同化と、資本主義による物象化をほとんど同じ地平で語ろうとする。この「ほとんど同じ」という言い回しも、三〇年代のシュルレアリストやフランクフルト学派が共通して関心をもっていた模倣(ミメーシス)や擬態(ミミクリ)の概念から引きだされている。かくて著者はベンヤミンの墓探しに「公然の秘密」の不可視性をうきぼりにし、バタイユの非生産的消費や消尽と、政治的な出来事の底をともにつらぬく「静止のリズム」「弁証法的イメージ」(ベンヤミン)を見いだし、バタイユが「ドキュマン」誌に遺した「花言葉」というエッセイにみちびかれて着地する。彼が本書で向かう対象や事象は本書でも彼自身の調査フィールドをこえて実にはば広い。 

秘密を隠すこととあらわにすること、禁忌と侵犯、警察(というオバケ)の神話的(国家創設の)暴力と無産階級の神的暴力……の間のめまぐるしい往復を見つめる著者は、現在や過去の出来事をこえて「有史以前の過去」においても同じような交替=対立を、つまり人間のいない世界にもメシア的な静止の時間、「圧縮され、静止画になった映画のような」(一七七頁)出来事を追いつめていく。陸と海の汀、砂と波の綾なす浜辺が、人間に対するモノの「先史性」としていくつかの章で喚起的に召喚されている理由は、こうした考え方による。人間とモノ、文明と未開、政治の宇宙と生態系の宇宙……の対立と共鳴を「今ここ」に受けとめるセンスが、迷宮のようでいて明晰な思考によって読者のうちにも鍛えられていくだろう。

二カ月ほど前、この著者の私的な集まりで数日間、議論や発表、水泳や散策、調理などしながら合宿する機会に恵まれ、著者のしなやかな思考と生活のスタイルをつぶさに共有することができた。

このとき、近いうちに、この日本群島のどこかで彼とともにもう一つの批判=批評的な「巡礼=ワークショップ」をする約束ができた。タウシグ好きの方々はアンテナを張って待っていてもらいたい。(金子遊・井上里・水野友美子訳)
2016年8月19日 新聞掲載(第3153号)
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