美しい距離 書評|山崎 ナオコーラ(文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年8月19日 / 新聞掲載日:2016年8月19日(第3153号)

美しい距離 書評
わかりやすい物語へ回収されない小説的な試み

美しい距離
出版社:文藝春秋
このエントリーをはてなブックマークに追加
同調圧力、は、もはや時代のキーワードなんじゃないかと思う。みんな自分と同じであれ、異なる考えは非常識として叩きのめす。特にインターネット世論が幅をきかせ始めてから、そういう傾向が強く、何かと息苦しい。人の認知の傾向として、初めて知ることを、自分の知っているものに引き寄せて理解しようとするというのがある。そして自分の知っているものは素晴らしく価値があり、知らないものには偏見むき出しになり排除しようとする。「わかりやすさ」や「共感」ばかりもてはやされ、理解できないものは「常識」を武器に炎上させられる。そんな圧力と闘う手段として小説なのだ、という気概が感じられる作品に出会えた。それが『美しい距離』である。

この小説は、わかりやすく言えば若くしてがんを患った妻を夫が看病する話だ。しかし、そのわかりやすさに回収されないように、さまざまな抵抗がはりめぐらされている。

まず、夫は妻の病を自分の理解に引き寄せて因果づけようとする人たちにいちいち苛立ちを覚える。もちろん心の中でだけで、だが。相手に悪気はないのはわかっているが、「点と点を結んで」(この「点」とは彼らの知識や理解の中にある選択肢である)物語を作って安心したがる人々にことごとく毒づき、批判することで、わかりやすい物語へ巻き込まれることを回避しようとしている。この気持ちがこの小説の核になっていると言えるだろう。

そして、個性を徹底して尊重する。妻の病名を医師から告げられるとき、「同じ病名の他の人と同じ物語が始まったとは思えなかった」という夫の感覚は、誰しも固有の生を生き、他人の領域に引き寄せられる必要はないという強い決意に満ちている。そもそも夫だって生命保険会社に勤める、いわゆる「平凡な男」と括られてしまいがちな属性なのだが、そうならないために、彼がいかなる動機でこの職に就き挫折を感じもしたがやりがいを見出すきっかけをつかみ現在に至るかを描くのに繊細な筆が費やされている。妻の個性の証であるサンドウィッチ屋の仕事関係者とのつながりも然りであり。すべての「描写」は小説を小説たらしめる重大な要素であり、この小説におけるさりげない個性の描写も、一つひとつが小説の根幹に有機的に働きかける重要な表現である。

もう一つ注目したいのは「動き」である。この小説は冒頭で宇宙的な視点での動きについて触れた後、病院に見舞いに行く夫が階段で飛び跳ねる動作にはじまる。以後もそういった細かな動きを丁寧に描きこんでいる。動きを追い、捉えるのも描写の一つの大切な役割であり、大変に小説的な試みである。動きはまた距離を生む。その距離を敏感に捉え、対象との距離感をうまく測りながら語るのも小説には欠かせない視点だ。小説の終盤で、夢や生活の中での妻との距離がどんどん離れていくのを感じながら、宇宙の膨張になぞらえて永遠に刻み続けられる運動として象徴的に描かれる、その描写もまた小説の本質をついている。

見舞いに訪れるたびに交わされる「来たよ」「来たか」というやりとりがとても好きだ。病床の妻としてはややそっけない印象すら与える言葉遣いは、ドラマティックな感傷に引き寄せられることを見事に拒否し、この夫婦の固有性や距離感を絶妙に表現し、毎日のように繰り返されるのにふさわしいシンプルな運動性を兼ね備えている。そんなさりげなさをコツコツ、コツコツと描写し続けること、それが小説家としての山崎ナオコーラの決意表明に思えてならない。
この記事の中でご紹介した本
美しい距離/文藝春秋
美しい距離
著 者:山崎 ナオコーラ
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
このエントリーをはてなブックマークに追加
神田 法子 氏の関連記事
山崎 ナオコーラ 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 日本文学関連記事
日本文学の関連記事をもっと見る >