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読書人紙面掲載 書評
2016年8月19日

語りの迷宮をさまよう さまざまな語りの叙述形式を駆使


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スーザン・ソンタグは、一九三三年にリトアニア・ポーランド系のユダヤ人移民の子どもとしてニューヨークに生まれた。『反解釈』『写真論』『土星の徴しの下に』『エイズとその隠喩』『この時代に想う テロへの眼差し』『他者の苦痛へのまなざし』といった評論集で、日本語圏でも多くの読者を獲得し、その大胆な筆致によって二〇世紀のアメリカ合州国を代表する批評家の一人とされているが、その一方で『夢の賜物』『死の装具』『火山に恋して』といった小説作品は、いまひとつ人気がないかもしれない。その彼女が、二〇〇四年に他界する前、一九九九年に公刊した長編小説が、本作『イン・アメリカ』である。

この小説のもととなった歴史的史実は、ソンタグ自身の序によれば、以下のようなものだ――「『イン・アメリカ』の物語はポーランドでもっとも高名だった女優ヘレナ・モジェイェフスカが一八七六年、夫のカロル・フワポフスキ伯爵、十五歳の息子ルドルフ、若きジャーナリストで後に『クオ・ワディス』などの作品をものして作家となるヘンルィク・シェンキェーヴィチ、それに数人の友人たちと共にアメリカを目指して国を出たことに触発されて書かれた――一行はカリフォルニア州のアナハイムにしばらく滞在しているが、その後モジェイェフスカは、ヘレナ・モジェスカの名でアメリカの舞台劇の世界で活躍し、大成功を収める。」このように記されているので、読者のなかにはヘレナ・モジェスカ(小説のなかでは、マリーナ・ザウェンジョフスカ、あるいは女優名としては「マリナ・ザレンスカ」)を主人公とする一九世紀末からのポーランドからのアメリカ合州国移民を焦点とする歴史大絵巻を期待する向きもあるかもしれない。しかしながらその期待はおそらく裏切られる。なぜならこの小説は、良くも悪しくも一人の作家の超越的視点から俯瞰された「物語」というよりは、マリーナを含むさまざまな登場人物たちのミクロな心象風景を次々と、時には唐突に語り手を変えながら点描していく「語り物」だからである。その意味では、自らの叙述や方法に意識的な優れた批評家が物した「反小説的な」小説であると言えないこともない。

たしかにソンタグ自身の出自を反映して、飢餓や戦争のために多くの人びとがアメリカ合州国を始めとした海外に移住した一九世紀後半のリトアニアやポーランドの社会状況がまったく描かれないというわけではない。しかし、それはあくまで登場人物――-しかもその多くはフランス語やドイツ語を話す裕福な上流階級だ――の会話のなかで言及されるだけなので、そこにドキュメンタリー的な展開を求めることはできない。また、アメリカ合州国への移民が小説中の大きな出来事であるから、たとえばやはり人口の多くが移住したアイルランド移民が置かれた航海中の悲惨な状況を窺うことはできる。しかしそうした社会的背景も、あくまでマリーナや彼女を囲む登場人物たちの行動や意識の範囲内において点滅するだけである。

何より興味深いのは、この小説が駆使する語りのメディアの多様性だろう。まるで作者が一九世紀のポーランドの上流社会に紛れ込んだような「演劇的な」一人語りの観察から始まる第一章から、最後の第九章のアメリカの名優エドウィン・ブースが酔ってマリーナに語る長々とした独白まで、小説は日記、電報、独白、会話、劇の台詞といったさまざまな語りの叙述形式を引用し駆使しながら、非直線的に進んでいく。日本語訳で読んでいる私たちは、必然的に女言葉や男言葉、あるいは階級や出自を示唆する表現によって、誰が語り手なのかを推察することができるが、それがより困難な原語(英語)では、まるで語りの迷宮のなかをさまようような面白さがあるだろう。

マリーナたちは最初カリフォルニアに移住して、農園主として生計を立てようとするが挫折し、マリーナはいったん故郷ポーランドと共に捨ててきた舞台女優としての道を再び歩み始める。そのとき、彼女がアメリカで舞台デビューする作品として選ぶのは、シェイクスピアではなく、『アドリエンヌ・ルクヴルール』や『椿姫』であった――ポーランド訛りの彼女の英語が、こうした翻訳作品ならばシェイクスピアよりも観客の気にならないだろうという思惑のゆえだ。そしてマリーナは「シェイクスピアの本場」であるイギリスでは、アメリカほどの成功を収めることはできなかった。ここには植民地主義とシェイクスピアとの切っても切り離せないつながり、あるいはアクセントと人種主義との隠微で暴力的な絆という主題が見え隠れする。マリーナ自身がくりかえしシェイクスピアやその他の古典的劇作品からの引用を交えて語るように、西欧の古典演劇を自らの身体に具現したポーランド女優も、結局ポーランドの演劇を自国以外では演じることが許されなかった。風景よりも言語を、現実よりも心象を優先しながら、視点の遠近法とも言うべき枠組みの多様性を意識した演劇的なブリコラージュのようなこの小説は、植民地主義における翻訳の力学を内包した、最晩年の意志強固な批評家の方法論的独白のようにも読める。(木幡和枝訳)
2016年8月19日 新聞掲載(第3153号)
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