彼方への忘れもの 書評|小嵐 九八郎(アーツアンドクラフツ)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2016年8月19日

あの時代を生きた者の「世代」的責任を問う

彼方への忘れもの
出版社:アーツアンドクラフツ
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一九七〇年前後の「政治の季節」=学生叛乱・全共闘運動体験を基にした小説は、三田誠広の『僕って何』(七七年)を始め兵藤正俊の『死閒―全共闘記〈その五〉』(七七年)、立松和平の『光匂い満ちてよ』(七九年)や「盗作・盗用」問題を引き起こした『光の雨』(九三年中断 九八年完成)、更には桐山襲の『パルチザン伝説』(八三年)等々、この時代に「青春」を送った作家たちによって、これまでにも数多く書かれてきた。

本書も、一九六〇年代後半から始まる早稲田大学の学費値上げ反対・学生会館の管理運営権闘争(世に言う「早稲田を揺るがした一五〇日」)やその後の学生運動=学園紛争・全共闘運動と伴走したノンポリ(党派に属さない一般学生)を主人公にした物語という意味で、あの「政治の季節」から四〇数年経って書かれた、『僕って何』などの「全共闘小説」に連なる一作、と言うことができる。

物語は、一歳半の時長崎で被曝し新潟県村上市で育った大瀬良騏一(主人公)が、高校時代に出会った親友の姉青木芙美子を追って、一浪後に芙美子が近くに住む早稲田大学に入学し、そこで学生運動(早大闘争)に巻き込まれながら、卒業するまで学生運動=全共闘運動の周辺で過ごしたその「青春」を巡って展開する。主人公が恋い焦がれた芙美子は躁鬱病を病み、主人公の早大卒業を待たずに自殺してしまうが、主人公の早大在籍中の五年間は、時代を映す全学スト、全共闘の誕生、日大・東大闘争(安田講堂攻防戦)、10・21国際反戦デー(新宿騒乱)、神田カルチェラタン闘争、革マル派、中核派、ブント、社青同解放派、三派全学連、麻雀、公害(水俣病・イタイイタイ病・等)、任侠映画(高倉健・鶴田浩二)、サークル活動(映画研究会)、三島由紀夫(『仮面の告白』)、大江健三郎(『個人的な体験』)、寺山修司(歌集『田園に死す』)などの言葉が如実に示すように、まさに「疾風怒濤」としか形容し得ない激動の時代であった。

とは言え、本書はあの時代から四〇数年経って書かれた故なのか、これまでに書かれた多くの「全共闘小説」とは一味も二味も違った小説になっている、と言える。一つ目の特徴は、本書が一歳半で被曝した青年を主人公にしているからか、「核」問題(被爆者・原爆病への怖れ、核の平和利用、等)が通奏低音のように全編に流れ、ヒロシマ・ナガサキから七一年、フクシマから五年の現在の核状況(核意識)を意識せざるを得ない構造になっていることである。二つ目は、全編「~ら」や「らろう」というような語尾で終わる村上弁を使用することで、あの「政治の季節」=学園紛争が将来を「夢」見て上京した学生や勤労青年によって支えられていた事実を、改めて確認するような仕掛けになっていることである。三つ目は、本書では多くの人が知る作家自身の履歴(早稲田大学政経学部時代から社青同解放派の活動家として活動し、通算約四年の服役経験を持つ)とずれた「ノンポリ(無党派)」の学生を主人公とすることで、あの「政治の季節」=青春時代の意味とは何であったのか、そしてあの時代(青春)を必死の思いで生きた世代(団塊の世代=全共闘世代)の現在における「生き方」はどうあるべきなのか、を問いかけていることである。

つまり、本書はあの「政治の季節」に青春を送った者の単なる「体験記・見聞記」、ノスタルジア(郷愁)を超え、あの時代を生きた者の「世代」的責任を問う物語になっているということである。そして最後に、評者の思い込みかも知れないが、本書からは「恋と革命」に生命を賭けたあの時代の「青春」=学生時代に比べて、就職できるか否かにばかり執心しているように見える現代の学生・青年は「軟弱」なのではないか、「強権に確執をかもす意識」(大江健三郎)が欠けているのではないか、と「憤怒」と「嘆き」を交えて問いかけている点にも本書の特徴がある、ということである。実に面白く、身につまされる小説であった。
この記事の中でご紹介した本
彼方への忘れもの/アーツアンドクラフツ
彼方への忘れもの
著 者:小嵐 九八郎
出版社:アーツアンドクラフツ
以下のオンライン書店でご購入できます
2016年8月19日 新聞掲載(第3153号)
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