東京モノクローム 戸田 達雄・マヴォの頃 書評|戸田 桂太(文生書院)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2016年8月19日

特別な<時代>とその只中で青春を送った<青年>の物語

東京モノクローム 戸田 達雄・マヴォの頃
出版社:文生書院
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芸術が時代の変革を象徴、むしろ牽引することがある。大正期新興美術運動の代表的団体だったマヴォがそうだ。大正十三(一九二四)年、関東大震災の年の六月、ドイツ帰りの新進美術家・村山知義を中心に旧未来派美術協会の柳瀬正夢、尾形亀之助らによって結成されたマヴォは、挑発的な宣言や過激な展示活動で既存の美術界を攪乱しつつ、その一方で斬新な詩やデザインを提示しながら、日本アヴァンギャルド芸術運動の黎明を大きく切り開いた。活動期間こそ二年間と短かったが、震災後の人々に破壊がもたらす文化的創造性というものを示す役割を担ったマヴォは、今日でもしばしば神話的な響きを持って語られることが多く、五十殿利治『大正期新興美術運動の研究』(スカイドア、一九九五年)は膨大な資料と精緻な分析を駆使してそうした神話を丁寧に検証し、この分野の研究を大きく前進させた。マヴォのメンバーだった戸田達雄を取り上げた本書もまた、これらマヴォと大正期新興美術運動の解明に寄与する一冊なのだが、所謂“評伝”とは違ったユニークな仕上がりになっている。

明治三十七(一九〇四)年、群馬県前橋市に生まれた戸田達雄は、中学退学後にライオン歯磨広告部に職を得、やがて丸ビルのライオンショールーム勤務となるも、震災を機に退職、結成から間もなく一年が経とうとしていたマヴォのメンバーとなる。岡田龍夫と同年の二十歳で、最年少メンバーだ。しかし翌年夏にはマヴォが解散、戸田はライオン時代の仲間と広告会社「オリオン社」を立ち上げ、しだいに過激で前衛的な美術活動からは遠ざかっていく。本書は、青年戸田達雄が関東大震災の災禍をくぐり抜け、やがて遅れてきたマヴォイストとして青春の血を荒らし、再び広告図案という自分の創作の道へと戻るわずか五年余りを扱ったものだ。そこが通常の評伝や大正期新興美術運動の研究書とは異なり、関東大震災後の不思議な昂揚感とダイナミズムに溢れた特別な〈時代〉とその只中で青春を送った〈青年〉の物語として上手く仕上がっている。

著者の戸田桂太は戸田達雄の息子で、本書のベースとなるのは達雄の回想録『私の過去帖』(私家版、一九七二年)である。つまり本書は、父が残した回想録に対して、息子が様々な文献を用いながら私注をほどこし、父が情熱を燃やした新興美術とそれを可能にした時代精神の解読を試みたものだ。ドキュメンタリー番組のカメラマンの経験をもつ著者らしく、身内贔屓に陥らないよう、本文では戸田達雄は「タツオ」と記号的に表記され、執筆する上で客観性が保たれるように工夫されているのも好もしい。戸田達雄はマヴォ以外にも竹久夢二や徳川夢声らとも交友があり、大正・昭和の文化的水脈を再発見する上でも復刻予定の『私の過去帖』と併せて読みたい。
この記事の中でご紹介した本
東京モノクローム 戸田 達雄・マヴォの頃/文生書院
東京モノクローム 戸田 達雄・マヴォの頃
著 者:戸田 桂太
出版社:文生書院
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2016年8月19日 新聞掲載(第3153号)
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