「知の巨人ポール・ド・マンを脱構築する」巽孝之×土田知則|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年8月12日 / 新聞掲載日:2016年8月12日(第3152号)

「知の巨人ポール・ド・マンを脱構築する」巽孝之×土田知則

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6月24日、東京堂ホールで『盗まれた廃墟』刊行記念「知の巨人ポール・ド・マンを脱構築する」トークセッションが開催され、本書著者で慶應義塾大学教授巽孝之氏と千葉大学教授の土田知則氏、我が国におけるド・マン研究の最前線に立つ両名による熱い議論が繰り広げられた。そのイベントの一部を抄録する。

また、本紙8月5日号にて成蹊大学教授の下河辺美知子氏による『盗まれた廃墟』の書評も掲載しているのでそちらも合せてご一読いただきたい。 (編集部)

ポール・ド・マン 研究の最前線

土田
巽先生、力作の刊行おめでとうございます。
僕はテクスト自体を評価するというアプローチで研究をしますので、ポール・ド・マン自身についての考察はあまり出来ておりませんでした。ド・マンは1948年にベルギーからニューヨークへ渡り、その後アメリカで脱構築(ディコンストラクション)の一大ムーブメントを引き起こしますが、それ以前のベルギーでの活動や活躍に至るまでにどのような人間関係を構築していったか見当がつきませんでした。この部分が埋まらないと研究の両輪であるテクスト論とコンテクスト論が揃わないわけですが、この『盗まれた廃墟』では特にド・マンのアメリカ時代における人間関係が詳細に描かれているので、見事に穴を埋めてくださいました。本書はポール・ド・マン研究における記念すべき一冊だと思います。
土田先生、過分なお言葉をありがとうございました。
昨今、ポール・ド・マンは研究がさらに進み、2012年には彼の主著『読むことのアレゴリー』(土田知則訳/岩波書店刊)と『盲目と洞察』(宮〓裕助・木内久美子訳/月曜社刊)が我が国でも刊行されました。翌年には『思想』(2013年7月号)誌上で「ポール・ド・マン―没後30年を迎えて」という大特集が組まれるなど、再評価の機運が高まっています。さらにマーティン・マックィランというイギリスの学者がポール・ド・マンのアーカイブから未発表論稿などを刊行し続けており、ド・マン研究がますます盛り上がりを見せています。このマックィランの手によって2年前には『ポール・ド・マンのノートブック』というド・マンの残した文字どおりの講義ノートや授業、単行本の企画書メモなどを一切合切集積した巨大スクラップブックも出ました。
実はマックィランが出した本の中に本書『盗まれた廃墟』の第二部「水門直下の脱構築―ポー、ド・マン、ホフスタッター」にあたる論文を書くためのヒントがあったのです。ド・マンとジャック・デリダがウォーターゲート疑獄のさなかにこの問題について熱く書簡を交わしていたという事実が、それです。リチャード・ニクソン大統領が民主党オフィスへの侵入と盗聴によって重要機密を盗み、その「盗まれたテープ」が発覚して辞任に追い込まれたこの政治スキャンダルは1972年に発覚して大統領が辞任に追い込まれる74年まで続くわけですが、その直後といってよい75年にデリダがポーの『盗まれた手紙』解釈をめぐってラカン批判を行った論文を発表し、翌年ド・マンがラカン=デリダ論争を承けるかたちで「盗まれたリボン」という論文を書く。これらの底流にはウォーターゲート疑獄に対するデリダとド・マンの大変なこだわりがあったのではないか、という視点から、ニクソンの代名詞でもあった反知性主義の文脈における脱構築の意義について、再検討してみた次第です。
巽 孝之氏
しかしここまで研究が進んでも、ベルギーではとくに文学研究の専門教育を受けたわけでもないド・マンが、戦後アメリカでのキャリアを書店員からスタートさせ最終的にイエール大学最高位のスターリング・プロフェッサーなる冠教授にまで昇りつめるまでの歩み、どのような人間関係を経てその地位に至ったのかは、いまひとつわからなかったのです。ところが2014年にド・マンのコーネル大学時代の同僚だったイヴリン・バリッシュという女性の英文学者が『ポール・ド・マンの二重生活』という分厚い伝記を出版し、彼女がド・マンゆかりの全ての場所やベルギーの家族についてなどを詳細にリサーチし明らかにすることで、ようやく彼の足跡が見えてきました。何よりも、ド・マンを一書店員から大学教師に仕立てあげたアメリカ文学史上の重要人物メアリ・マッカーシーとニューヨーク知識人のサークル内におけるド・マンの立ち位置をバリッシュは徹底的に洗っています。これこそは、マッカーシーの伝記をどんなに調べても――おそらくは箝口令が敷かれて――出て来なかったコンテクストであり、わたし自身が長年不思議に思っていたことでした。バリッシュは時に推測がエスカレートすることもありますが、その点を割り引いても、ニューヨーク知識人関連への取材から有益な証言が取られていることは否定できません。そしてこれがわからなければ本書を書くこともなかったでしょう。

悪名高き対独 協力記事の真相

土田知則氏
巽 ポール・ド・マンは1983年に亡くなりますがそれ以降もイエール学派の影響力は絶大で、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』が特集記事を組むほど、ディコンストラクションは全米で猛威をふるいました。しかし1987年にド・マンが戦時中にナチス・ドイツに加担した証拠として、ユダヤ人差別を示唆すると見られる記事が発覚し、一転ディコンストラクション叩きに繋がります。存命中、全米で神格化されていた彼が、この記事をきっかけに一気に脱神話化されてしまったわけですね。しかし、実際のところその内容はどんなものなのか。ド・マンの対独協力記事を日本語に翻訳した土田さんにお尋ねしたいと思います。
土田
ド・マンがベルギー時代に書いた記事は全部で216編あります。その多くは『ル・ソワール』というベルギーの代表的な新聞に掲載されたもので、署名のない記事などを合わせ、計186編あります。そのほか母語のフラマン語の新聞や雑誌にも寄稿しています。問題の対独協力記事らしきものは、実は1941年3月4日付けの『ル・ソワール』紙に載った「現代文学におけるユダヤ人」という記事1編だけです。
当時ド・マンは21歳で一児の父です。その頃のベルギーはナチズムが席巻し、自由に動けない状態で、加えてド・マンを取り巻く記事の書き手たちは非常に辛辣なユダヤ批判を繰り広げています。その中で、ド・マンはユダヤ批判をしているかのような文章を苦労しながら練り上げます。この記事の有名な出だしには「卑俗な反ユダヤ主義は~」とあります。この「卑俗な」という形容詞はどこにかかるのか。ここにはのちのド・マンの批評戦略につながる重要な問題意識が垣間見られます。
またこの記事の中には「マダガスカル計画」、つまりユダヤ人をまとめてマダガスカル島に移住させようという内容のことが書かれていますが、これはド・マンの発案ではなく、当時のイギリス首相とローマ法王が話し合って決めたことであり、ド・マンはその情報をそのまま伝えているだけです。それがあたかもド・マンの意見として捉えられています。この部分は慎重に読みなおすべきだと思います。
ド・マンは『ジュディ』という新聞に「戦争をどう考えるか」というヒトラー、ナチズム批判を窺わせる記事を寄稿しています。これは第二次大戦が勃発した1939年の文章ですが、この2年後に彼の考えが真逆に転じると考えられるでしょうか。ベルギーにいた当時は確かに親ナチ的なそぶりを見せたかもしれません。しかし彼は友人のユダヤ人を自宅にかくまい、シャルル・ペギーというドレフュス派の詩人を非常に高く評価する記事を書いています。つまりユダヤ人を擁護しているわけです。これらは全て同じ時代の話です。
確かにド・マンがナチに加担したと揚げ足をとられそうな内容の文章は土田さんがおっしゃった通り膨大な記事の中の唯1編だけです。しかし残念ながらこれだけが誇張して語られているのが実情ですね。彼は後にハーバード大学の指導教授になる比較文学者ハリー・レヴィンと交友を結びますが、この人物も名前からわかる通りユダヤ人です。レヴィンは「ポール・ド・マンという男はユダヤ人の友達が多かったね」と回想もしています。イエール学派に限っても、ブルームやハートマン、それにもちろんデリダ自身がユダヤ人でした。彼はむしろユダヤ人にシンパシーを感じていたのではないでしょうか。
ド・マンは48年にアメリカに渡って以来、ユダヤ系の多かったニューヨーク知識人のサークルに入り込むために対独協力記事といったことについて一切口を噤みました。彼らの主要雑誌つまり『パーティザン・レヴュー』誌にド・マンは華々しくデビューしようと画策し、同誌のヨーロッパ知識人向けのエージェント役をも務めようと計画していたほどです。結局この思惑は頓挫しますが、しかしただひとつ、ジョルジュ・バタイユのエージェントとして振る舞ったことだけが功を奏し、ようやくニューヨーク知識人の中に食い込むことができました。
メアリ・マッカーシーをはじめとする戦後のニューヨーク知識人たちは当時のヨーロッパ思想をよく知らず、またヨーロッパを代表する人間に接するとコロッと参ってしまうという、二重の意味での弱さがあったんですね。その点ド・マンはヨーロッパの文学、哲学に非常に造詣が深く、加えて彼の伯父ヘンドリック(アンリ)・ド・マンの存在は欠かせなかった。ベルギー社会主義政党の党首でまさにベルギーのトップであり、しかもナチス・ドイツと密接だったその名前は、国内外に知れ渡っていました。それにも関わらずニューヨーク知識人たちはド・マンの出自を疑うことなく、ヨーロッパ思想の最先端を教えてくれる人物として温かく受け入れていきました。
この記事の中でご紹介した本
盗まれた廃墟  ポール・ド・マンのアメリカ/彩流社
盗まれた廃墟 ポール・ド・マンのアメリカ
著 者:巽 孝之
出版社:彩流社
以下のオンライン書店でご購入できます
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