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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年8月19日 / 新聞掲載日:2016年8月19日(第3153号)

元憲兵の慰霊と鎮魂の戦後 本書は日本の若い人たちへの遺言である


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「絶対に戦争を起こさないように、日中友好のために、力を尽くしなさい 父より」

そう最期に言い遺した元憲兵隊長(上坪鉄一)がRKB毎日放送のプロデューサーを務めた上坪隆(故人)の父親でもあったことに気付いたのは、読み進めてすぐだった。次男・隆と著者の伊東秀子とは兄妹。つまり、遺言を残した父は、隆が制作したドキュメンタリー「戦犯たちの中国再訪の旅」(一九七八年)に登場する同じ人物だった。

日本による侵略戦争という加害の視点が弱い「八月ジャーナリズム」の中にあって、同番組はその意義が再評価されている。鉄一が番組内で明かした、生体実験を秘密裏に行っていた七三一部隊に中国人を送りこんだ自らの戦争犯罪。シベリヤ抑留された後、中国の撫順戦犯管理所に移送された鉄一に対する判決は、禁固一二年。二二人が犠牲になったと断罪された。本書によれば、死刑も覚悟したというあの元憲兵の戦後は、慰霊と鎮魂に尽きるのかもしれない。

ところで、私の個人的なことだが、大学の講義では、学生にこうしたドキュメンタリーを視聴するように勧めているし、教室で見てもいるが、学生が綴る感想文に戸惑っている。

「日本軍も悪いことをしていたのですね」「日本軍は、なぜ捕虜や住民を処刑するのですか」

戦争に対する今の学生のイメージは、原爆が投下された広島・長崎、大空襲のあった東京といった悲愴な被害だ。中学の歴史教科書から、今では慰安婦という言葉が消えるなど加害の記述が減る流れの中にある教育の結果なのだろうか。

今年五月に現職として初めて広島を訪問したオバマ米大統領の演説では原爆投下は、空から死が落ちてきた、と表現された。戦争犯罪に今もなお向き合えない米国社会の現実を見せつけたが、それは日本の写し鏡でもある。

「戦争は時の為政者の考え方次第で、時代の衝動のように、突然、起こる。そしていったん戦争が始まったら、もう、誰もそれを止めることはできない」

「どんな真面目な人間でも、戦地では平然と人を殺し他人の物資を奪い女を見れば強姦する」

鉄一は、繰り返し家族にそう語っていた。伊東は心配し過ぎと感じたのだろう。ある時、「憲法九条があるから日本は戦争をすることは絶対にない」と反論したという。

一九八七年に鉄一が亡くなってから約三〇年。中国で「認罪」し、帰国を果たせた元戦犯を「アカ」と呼び、奇異な視線を浴びせてきた日本は安全保障法制を整え、改憲勢力は国会の三分の二以上を占めた。その九条改正も視野に入った。

隆は生前、「戦争の悲劇は人を殺すことを強制されることだ」と新聞にコメントしている。悲劇の当事者はその後の人生をどう生きるべきだったのか。伊東は「聖戦だった」「私個人は悪くない」と言いつつ一生を終えたとしたら、と問かけ、こう結んでいる。「人間としてこれ以上の『絶望』はない」。

本書は、上坪家だけでなく、日本の若い人たちへの遺言でもある。
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