対談=野矢茂樹×難波博孝 言葉が変われば日本が変わる 『大人のための国語ゼミ』(山川出版社)を基軸に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年11月9日 / 新聞掲載日:2017年11月3日(第3213号)

対談=野矢茂樹×難波博孝
言葉が変われば日本が変わる
『大人のための国語ゼミ』(山川出版社)を基軸に

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第3回
国語から始めよう。

難波 
 新共通テストのモデル問題を見たとき、どう感じましたか。
野矢 
 今は、小説を読解できる学生、評論を分析できる学生よりも、こうした基礎学力のある学生を欲している大学の方が多いでしょうね。だから、この変化は適正なものだと思う。だけど、こうした問題を誰が作っていくのかが、気になりますね。現在の国語の問題は、主に国文科の先生が作成していると思いますが、先ほどのモデル問題のようなものは、国文、古文、漢文の専門家だから作れる、という類のものではないですから。
難波 
 確かに日本語で表現できる全てのジャンルが問題になりますからね。
野矢 
 それで、これは哲学者の出番かもしれない、と思っているんです。哲学者は、文学作品や日本語の専門家ではないけれど、思考・論理の専門ですから。だから、哲学者を統括役に、法律の先生や、場合によっては理系の先生など様々なジャンルの人を招集して、科目の垣根を取っ払って、皆で問題を作っていくのが現実的なのではないかと。そういう体制が必要だし、その意識の変化は高校・大学の国語の授業も変えていくだろうと思うんです。
難波 
 哲学者もごまんといますから、誰にでもできるとは限りませんけどね(笑)。でも基本的に、哲学者が国語教育をすることに、違和感はありません。フランスでは、国語の教科教育を研究する人間も、まず哲学を学びます。大学の学部生までは哲学を学び、マスターで国語を学ぶ。そういう仕組みになっています。そもそもフランスの中等教育レベル認定の国家資格・バカロレアでは、国語に当るのが、日本でいう哲学なんです。リセの卒業生が通う専攻科の授業も見ましたが、テキストに様々な哲学者の文章があって、それを要約しなさい、というような内容でした。だから、哲学の先生が国語教育をするのは理にかなっていると思うんです。が、日本の哲学科では、哲学の訓練をしているんですか?
野矢 
 そりゃ、してますよー(笑)。哲学の訓練は、大まかにいって二つありますが、一つはテキストを読むこと。哲学のテキストは、普通の文章のようにサラサラとは読めないでしょう? 極端にいうと、たった一つの語句について、その文脈でどのように使われているのか、行ったり来たり前後を眺めて、うねうねと読むわけです。他のジャンルでは、テキストからある程度必要な情報を収集すればいい、という場合が多いと思うのですが、哲学の場合は、立ち止まって、突っかかって、分析するという、極度に緻密な読み方を身につける必要があります。

それからもう一つは、議論する力。哲学では、たいていの主張にはそれと反対の主張があって、教師に対して学生が反論することもあるし、カントの議論にさえ反論が出てくる。必ず様々な考えが出てきて、議論でやりあうんです。しかも哲学は浮世離れしているので、対立しても相手の人格を傷つけることなく、やりあえる。そういう経験が哲学の学生には、ふんだんにあるべきだし、事実あると思うんです。

今こそ哲学者の出番と、けっこう本気で思うのだけど、いずれにせよ、大学教育の大きな問題点は、大学に国語の先生がいないことだと思っています。国文の先生はいるけれど、「国語」という科目がないでしょう。大学にも「国語」という科目が必要だと思いますね。
難波 
 確かに。
野矢 
 しかし国語教育は学校に限る話ではないですよね。『大人のための国語ゼミ』の執筆の目的は、冗談にしか聞こえないかもしれないけれど、「日本を変えたい」ということ。いや、これは政治に関わりたくない私としては、言ってて口が痒くなるような言葉なんですけれど(笑)。
難波 
 折しも今日は衆議院選挙投開票日ですね(笑)(対談日は十月二十二日)。
野矢 
 でも真面目に、国語教育が変わることで、日本が変わりうると思っているんです。例えば、何かトラブルが起きたときに、その状況を適切に言語化して伝えられるかどうか。きちんと言葉にできれば、状況を変える可能性が生まれる。人間関係も、相手を慮って聞こえのいい言葉を上乗せしなくても、それ以上でも以下でもない、的確な言葉を伝えられれば、問題がふっとほどけることが、多くの場面であると思う。逆にいうと、うまく言葉にできないことで、トラブルを処理できず、あるいは人間関係がぎくしゃくしたり、関係を断ち切ることになってしまったり。一番まずいのは、自分の言葉が通じる仲間内だけで、物事を済ませようとしてしまうこと。「おともだち」の範囲で閉じて、他の意見を入れず、きちんと伝えようともせずに、分断の壁がだんだん厚くなっていくこと。
難波 
 日常的な人間関係でも、政治の場でも、対話や議論が成り立たず、「おともだち」の範囲で閉じてしまうのは、なぜなんでしょう。今の日本はどんな状況になってしまっているのでしょうか。
野矢 
 未熟なんでしょうね。仲間内や「おともだち」の中だけで閉じるのは。先ほどお話しした私自身の経験からいっても、閉じていたときは今よりずっと未熟だった。人間が成熟してくるということの大きな側面は言葉が成熟するということです。言葉が未熟だったら、人間も未熟なままです。日本の人たちが、私も含めてもっと成熟していくには、言葉が成熟していかなければいけない。仲間内で閉じている、あるいはSNSなどでは、分かりやすくて短いフレーズの、コピーアンドペーストで拡散しやすい言葉ばかりが流通していく。そういう状況に楔を打ちたい、というのがこの本のもくろみです。
難波 
 国語教育の整備、あるいは、学びをサポートする野矢さんの『国語ゼミ』や僕が監修した『論理力ワークノート』など、言葉を成熟させるための仕組作りは大切ですが、そうはいっても人はなかなか変われない、と思うんです。

キーガンという教育学者の『なぜ人と組織は変われないのか』という本には、人間には「免疫」があるのだと書かれています。心の免疫は外からやってきたものを、とりあえず外敵として排除してしまう。だから、もともと自分の内に持っている要素しか取り込まないのだと。そうした変わりたくても変われない深層心理を、「免疫マップ」と呼ぶのですが、それをいかにして壊すかが重大事なんです。「免疫マップ」を越えなければ、言葉は届かない。相手に届くような言葉を身につけると同時に、瞬発力というのか、自分の内にある免疫マップを壊すエネルギーも持たなければいけない。こういう力を育てるのも、国語教育の役割なのではないか、と思います。
野矢 
 今の話に重ねて言えば、私は多くの人の本の読み方に対して悲観的なんです。本から共感できるものだけを受け取り、自分と違う考えは受け入れない、そういう読み方をしている人が多いんじゃないかと。自分をうち破るようなものに対して、それを排除する免疫が働くとしたら、本を読んでも「自分」は変わっていかないでしょう。読書が自分を変えるのではなく、補強するばかりなら、つまらないですよね。

人がなかなか変われないというのは全くその通りなので、だからこそまず、言葉から変えていこうよと。
難波 
 まず道具を持たせる、ということですね。
野矢 
 そう。本の中で、「正のスパイラル」という書き方をしたけれど、言葉が強くなれば人間関係も少しやりやすくなる。人間関係が少しやりやすくなれば、言葉が強くなっていく。というふうに、まず言葉をもう少し鍛えて、この正のスパイラルへと一歩を踏み出してほしいんですよ。
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この記事の中でご紹介した本
大人のための国語ゼミ/山川出版社
大人のための国語ゼミ
著 者:野矢 茂樹
出版社:山川出版社
以下のオンライン書店でご購入できます
なぜ人と組織は変われないのか ハーバード流 自己変革の理論と実践/英治出版
なぜ人と組織は変われないのか ハーバード流 自己変革の理論と実践
著 者:ロバート・キーガン
出版社:英治出版
以下のオンライン書店でご購入できます
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