焼け跡のハイヒール 書評|盛田 隆二(祥伝社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年11月18日 / 新聞掲載日:2017年11月17日(第3215号)

焼け跡のハイヒール 書評
鎮魂の家族史 
どんな時代の中でも懸命に生きた人間の姿

焼け跡のハイヒール
著 者:盛田 隆二
出版社:祥伝社
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父親と母親がいて自分が生まれる、そのような果てしない血の連鎖を考えることがある。この小説もそのような血族に対する問いかけから書き始められている。

「一九九六年の冬の夜、母はファミレスにぼくを呼び出して、「私が間違っていたのかもしれない」と言った。「死にたい」とも漏らした。」というなぞかけの言葉で、小説は始まる。続いて「二十年も経ってしまうと」と記され、語り手が20年前を回想していることが分かる。その時は母が語り手にパーキンソン病の罹患を告白した時であり、小説の出発点。さらに、「母の落ち窪んだ目は今でも決して忘れられない」という、印象的なイメージが描かれ、小説に引き込まれるのとともに、小説の主役の一人の母のイメージが鮮明に浮かぶ。あとには、パーキンソン病で入院し亡くなるまでの母が描かれていく。母の「死にたい」という言葉は常に通奏低音として響き、遺言にも似た、「ご、め、ん、ね、わ、た、し、が、し、ん、だ、ら、お、ま、え、が、ぜ、ん、ぶ、せ、お、っ、て、い、く、こ、と、に、な、る」という途切れ途切れの言葉に変容する。

次に語られるのは母の来歴。昭和二十年四月一日、東京大空襲からわずか三週間後に、新宿の東京鉄道病院の看護婦養成所に入学し、その後半世紀にわたり看護師に生涯を捧げたことが分かる。そして、「今の伊勢丹のあたりだったかな、中古の靴をたくさん売っていたの、道端で。初めてお手当もらったとき、そこでハイヒールを買ったのよ、赤いハイヒール」という、若いころの鮮やかな記憶が、母自身の言葉として記されていく。それは過去へと遡っていく小説の小さな支流でもあるだろう。

母親の死後、十年近く認知症の父親の介護に追われていた語り手は、父の死後、「父と母をモデルにした小説を書こう」という考えに至る。手だてになるのは、「実家に残された両親の古いアルバムや、数通の古い手紙、それから精進落としの席で親戚から聞いたささやかな思いで話」、父の「軍隊手帳」と母の学歴と職歴だけ。それでも、語り手の想像力は、昭和二十年四月一日の十四歳の母・美代子とその父の仙一を幻視し、フラッシュバックのように鮮やかによみがえらせる。

ここまではオープニングで、あとに若い母とその両親の家族史が記される。再び「ご、め、ん、ね……」という言葉が現れ、引き戻されるように今度はもう一人の主役の父が語られる。母とは対照的に、「日々の暮らしのすべてを母に任せていたので、父は銀行で預金を下ろしたこともなく、もちろんATMの使い方も知らない」と、生活力のないぐうたらな印象。さらに、統合失調症の妹も語られ、父親の満州での戦争の記憶や、「ほんとにおいしかった」という呟きが引き水になり、小説は少年時代の父の時間に遡っていく。

そこから本題の母と父の青春の時間を描き、やがて第二世界大戦の激流に巻き込まれていくのだが、これ以上は読んでのお楽しみ、ということで説明はやめよう。ただひとついえるのは、この小説が描くのは、どんな時代の中でも懸命に生きた、母や父をはじめとした人間の姿だ。その中で生き残る者は生き残り、死ぬ者は死ぬという残酷な現実でもある。母が焼け跡で買った赤いハイヒールが、鮮やかによみがえる時、家族史は、ありえなかった死者の無数の家族の夢とオバーラップし、時代に消えた人たちの鎮魂となるだろう。
この記事の中でご紹介した本
焼け跡のハイヒール/祥伝社
焼け跡のハイヒール
著 者:盛田 隆二
出版社:祥伝社
以下のオンライン書店でご購入できます
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