『ドキュメンタリー映画術』(論創社)刊行記念 金子遊×森達也トークイベント レポート|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2017年11月29日

『ドキュメンタリー映画術』(論創社)刊行記念
金子遊×森達也トークイベント レポート

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一〇月三十一日、ジュンク堂書店池袋本店で、金子遊氏(批評家・映像作家)の『ドキュメンタリー映画術』(論創社)刊行を記念して、森達也氏(映画監督・作家)とのトークイベントが行われた。その一部を、レポートする。
第1回
■ドキュメンタリーとは何か


森 達也氏
本書は、羽仁進、羽田澄子、大津幸四郎など記録映画の大御所、大林宣彦や足立正生などドキュメンタリーを作る劇映画監督、鎌仲ひとみ、綿井健陽などの最近のジャーナリスト/映像作家のインタビューと、ドキュメンタリー映画の批評・論考を合わせた一冊である。

本書について森氏は、「一章でインタビューの対象としているのは、往年の映画監督が多いですね。それがとても面白い。羽仁進さんなどは、作品ができていく経過も含めてドキュメンタリータッチで、いろいろ考えさせられました。

二章では、ドキュメンタリーの“虚と実”について思考されているのですが、特に日本ではドキュメンタリーが事実を提示するものであり、何らかの市民運動と結び付く傾向の強いジャンルだと考えられてきたけれど、果たしてそれでいいのかと、様々な作品に言及しながら解析している。ドキュメンタリーという概念を解体するような文脈で構成されていて、スリリングで、面白く読みました」と感想を述べた。

金子氏は、「おそらくドキュメンタリーは、まだ若い表現ジャンルだと思う」と応え、「ドキュメンタリーの父と言われるロバート・フラハティには、カナダの北極圏で撮った『極北のナヌーク』(一九二二)という作品があります。あるいはイギリスでは、ジョン・グリアソンが、二〇年代にドキュメンタリーという概念を定義しています。でもそれらは、私たちが思い浮かべるドキュメンタリーではない。例えばフラハティは先の映画で、自身が集めてきた人々にイヌイットの家族を演じさせている。現代の英語圏の研究では、そうした表現を「ドキュフィクション」と呼んでいます。

日本では戦中に、『戦ふ兵隊』(一九三九)という名作を撮った亀井文夫さんがいますが、森さんの『ドキュメンタリーは嘘をつく』には、亀井さんが中国人の子どもを羽交い絞めにして、日本軍が攻めてきて泣いているようなカットとして使った、と書かれていましたね。つまりドキュメンタリーとみなされている作品も、フィクショナルだったということです」と語った。それから、日本の戦後の文化映画や記録映画と呼ばれるPR映画に言及し、「例えば戦後、黒木和雄さんが、東京電力のために発電所のドキュメンタリーを撮っています。でもそれは企業からお金が出ている、PRの範疇を出ない作品です。そうしたPR映像から抜け出て、自分たちの表現をしていこうという闘いがあり、現在のいわゆるドキュメンタリーが撮られ始めたのは、わずか五〇年前、六〇年代に入ってからだと思います。小川紳介さんが『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』を撮り、土本典昭さんが水俣病を撮り始めた。

こうして遡ってみると、ドキュメンタリー表現は、確固たる様式になり得ているわけではないのに、ドキュメンタリーとは事実を提示する、報道ジャーナリズムと近いものだ、と捉えている人が多いように思います。だから僕は、ドキュメンタリーとは何ぞやと、ドキュメンタリー映画史をこの本でやり直している。ただ、どれだけ調べても、ドキュメンタリーが報道の一ジャンルであるとか、事実に基づいているものだとは、誰も言っていないんです」と説明した。
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この記事の中でご紹介した本
ドキュメンタリー映画術/論創社
ドキュメンタリー映画術
著 者:金子 遊
出版社:論創社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年11月24日 新聞掲載(第3216号)
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