【横尾 忠則】昨日も今日も古代文明や宇宙を髣髴とする超自然的な夢ばかり|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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日常の向こう側ぼくの内側
更新日:2017年12月19日 / 新聞掲載日:2017年12月15日(第3219号)

昨日も今日も古代文明や宇宙を髣髴とする超自然的な夢ばかり

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2017.12.4
 新兵器の難聴補助装置を時々使用するが、やっぱり十分聴き取ることはできない。それ以上に自分の声が機械的に変質してしまっているので、他人の声を聴くより自分の声を聴く方がよっぽど苦痛である。咽の奥に変声装置のようなものが埋め込まれていて、自分が知っている自分の声ではない第三の声が物を言うんだからたまったもんじゃない。だけどこの第三者と死ぬまでつき合うのかと思うと、ゾッとしないでもない。こーいう経験を病的というのか、何と言えばいいのか。人生を長く生きたせいでもあろうか。誰もが滅多に経験しない体験をしていると思えば誰に感謝をすればいいのだろうか?

2017.12.5
 スペクタクルズなハリウッド映画のポスターみたいな、まるで「バーバレラ」のジェーン・フォンダが扮した女勇者が地面が割れた大地の底にドドドーと崩れ堕ちていく黄金の神殿を背景に剣を片手に何やら雄叫びを上げているこの光景は一万二〇〇〇年前のムー大陸沈没の瞬間に立ち合っているぼくが目撃した終末の再現である。久し振りに非現実的な夢らしい夢に興奮するのだった。

こういう超自然的な夢を見た日の日常を記録しても実につまんない。

2017.12.6
 島田雅彦さんが3人で映画を作ろうよと提案した。最初のシーンは島田さんの演出で誰かによって島田さんの口の中ににぎり飯が押し込まれる、するとその次のシーンを演出するぼくは、島田さんがヴァーと叫んで押し込まれたにぎり飯を吐き散らす。その米粒が島田さんの横で耳の絵を描いているぼくのキャンバスに飛び散った。その一粒を指でつまんでぼくが食べるというところまでを映画にすることになっている。そして場面はガラリと変って島田さんと地球上のUFOに乗って、宇宙に飛び立とうとするのだが遊園地のジェットコースターみたいにガタガタ揺れるが、いつの間にか漆黒の宇宙空間を飛行している。目の前に全長何百メートルもある母船が停泊しており、その母船から燃料補給を受けることになって、母船にわれわれのUFOを接近していく、まるで宇宙映画のようなシーンだ。

昨日も今日も古代文明や宇宙を髣髴とする超自然的な夢ばかり見ると現実が色褪せて見えてくる。こんなスケールの大きい夢を見たあとにおでんが大きいネズミを獲ってきて、ぼくのベッドの上で、バスケットボールをトスするようにネズミを放り投げて遊んでいる。これは夢ではない、現実である。

2017.12.7
 河鍋暁斎記念美術館の河鍋楠美館長来訪。館長さんは暁斎さんの曾孫で眼科の医師でもある。この方の話言葉が猛烈に早口で、ぼくには全く聴き取れず、2時間の間で理解した部分は暁斎さんは酒豪で58歳で亡くなったということしか聴き取れなかった。

「アイデア」のぼくの近作ポスター(2010年以来)を集録した特集号が出た。絵画制作の合間に描いたもので、趣味のつもりだが、ウーン? 何んていえばいいのかなあ? 他人の意見を聞くしかないね。

2017.12.8
 西脇が織物で景気がよかった時代の商店街を高倉健さんが紺のフェルト製のテンガロンハットを被って歩いている。似合ってはいないが本人が自信を持ったオシャレだから妙な存在感がある。アッ、ソーカ、オシャレは自信なんだなあと、ぼくも「やってみよう」と思うところで目が覚める。

このところの日常は夢に食われてしまっていて、特に記すこと無し、ってところかな。

2017.12.9
 日記が段々夢に押されているが、このままでいくと、夢が日常にとって代ってしまう感じだ。だから両方の世界に生きていると思えばいい。例えば今朝見た夢などは夢の中で、これは夢じゃないよな、と自問している。磯崎新さんのオフィスへ行って、磯崎さんと展覧会場に行くんだけれど、チラッと篠山紀信さんが顔を出したりするが、結局ぼくひとりで街頭に出る。その時、ぼくに声を掛けた人がいたが、もしや伊東順二さんでは? でもぼくはひとりで車が激しく往来する青山通りを横切って草月会館の前から渋谷方面に向う。するとさっきの伊東さんが横にいて、「重い絵でもサラッと短時間で仕上げたように見える絵でなきゃね」とひとり言を言いながらついてくる。これってぼくのセリフだよ。こーいう夢は日常そのものでクリエイティブのない夢だ。

2017.12.10
 映画のタイトルバックの打ち合わせをかねて山田洋次さんと松竹の濵田さんと増田屋で会う。こういう仕事は知らぬ間に描いて、知らぬうちに出来ていくので、全く負担にならない。そーね、本業の絵も文章もそーいえば負担になることはほとんどない。だから「やった」という達成感もない。最初から達成感など期待していない。
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