『死靈』の生成と変容  埴谷雄高のヴィジョンと無限の自由 書評|立石 伯(深夜叢書社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年12月16日 / 新聞掲載日:2017年12月15日(第3219号)

『死靈』論の新地平 
基礎的な作業を綿密克明に追求する

『死靈』の生成と変容  埴谷雄高のヴィジョンと無限の自由
著 者:立石 伯
出版社:深夜叢書社
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今は末法の世ではないのかと思う。しかもこの末法は釈迦の教えが廃れたばかりではない、モーゼの教えもイエスの教えもモハメットの教えも、みんな有効期限が切れてしまったのだ。仏教では、末法の世から救ってくれるのは五六億七千万年後に出現する弥勒菩薩だとされているが、その頃は太陽系そのものが消滅している計算だと、藤枝静男が皮肉に書いていた。しかしそれは案外、仏教的虚空思想の真実なのかもしれない。

立石伯が一〇月三〇日の同日付けで二冊の著書を刊行した。『「死靈」の生成と変容』(深夜叢書社)と『随感録』(同)である。前者は傍題に「埴谷雄高のヴィジョンと無限の自由」とある。『死靈』論であるが、それを通しての埴谷雄高の思想像であり、その思想の目指した世界像である。「ヴィジョン」とした所以であろう。具体的には、一つは埴谷雄高没後に公開された「『死靈』構想ノート」とぶっつけながらの『死靈』読解、構想段階と実現した作品との対比検討である。二つは、『死靈』は「近代文学」に連載されてきた四章までと、それから二六年の空白を挟んで「群像」に発表されて行く五章から九章までとでは様相を変えているところがあるが、その変容の実態や原因の究明。三つは、『死靈』の最終章発表後に書かれた『〈虚体〉論―大宇宙の夢』、『「死靈」断章』などのエッセイと『死靈』との関連、その読解である。『死靈』論はたくさんあるが、こうした基礎的な作業をここまで綿密克明に追究した例はまだないと思う。著者はそのうえで、最後に「世紀を超えて生きる『死靈』」なる結論的一章を置いて、『死靈』の、いわば未来的な意味、意義を概括してる。そのアウトラインを言えば、こんな一節がそれをよく表象しているであろう。
「『死靈』もセルバンテス『ドン・キホーテ』、ポオ『ユリイカ』、ドストエフスキイ『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』、トルストイ『戦争と平和』、ゲーテ『ファウスト』、スタンダール『赤と黒』、プルースト『失われた時を求めて』などとともに、世界文学の一翼に位置づけられるようにさえなってきたのである」

こういうところを読んで、私は大きく頷いた。それが埴谷文学なのだが、実は、これがまさに立石伯の『死靈』論なのだ。『死靈』を『ファウスト』や『ドン・キホーテ』、ドストエフスキイやポオと並べて読む、そういう仕事を、彼は一貫して、そろそろ五〇年になろうという間やり続けてきたのである。それはまた、本多秋五の言った、若者よ「戦後文学を最低の鞍部で越えるな」ということばの実践であり、その志の継承なのだ。むろん、それが世に充分通じたか、十分な説得力を持ったかどうかはまた別の問題だ。それは百年二百年経ってみなければ分からない。それは、どんな文学も同じことだろう。だが、にもかかわらず、それをしなければいられない人だけがいつもそれをやる。すべては志とその持続なのだ。こんな一節もある。
「『不合理ゆえに吾信ず』における言葉の世界は、極度に凝縮されることによって反対に、作者をして虚構の深遠で広大な小説を書きつづけることをしいるものであった」「五〇年以上にわたって維持されてきた…おどろくべき精神の集中力・持続力だといえよう」「六四年間ほどのながい永い期間にわたって、『死靈』について想像し、思索しつづけてきたということができよう。この精神のあり方自体が謎であり、驚異である」

この、『死靈』に憑りつかれた埴谷雄高の「謎」も「驚異」も、それはそのまま埴谷雄高という存在に憑りつかれた立石伯という批評家のそれなのだ。
 スペースがなくなったが、もう一冊の『随感録』。こちらには「現実の感受と熟視のために」と傍題が付されている。現代の、ますます深くなる人類の闇に直面して、まず自分自身への説得、納得という意味も含まれているのだろう。「『テロリズム』について」を冒頭に、以下「戦後派文学者の卓抜な予見性」、「九月の《変革なき変革》」、「子供の貧困、虐待、凌辱、死」、「権力について」の五章と、付録としての「文学の力について」まで、講演録を含む六編の、いわば社会批評、文明批評、文学論が収録されている。いずれもここ数年の仕事であるが、おそらく、前記『「死靈」の生成と変容』を書き考えるなかで自ずから促され、背中を押されるようにして書かれてきた仕事であるだろう。この二冊が同時に刊行された所以であると思う。

私はこの紹介文の初めに、今は末法の世ではないかと書いたが、そんな思いは、実はこの『随感録』を読むなかで呼び起され、促された感懐でもあった。立石伯は言っている―「わたし達は想像力や創造的な発想により、いまだ未知の闇に隠された現実の諸相や人間の新しいあり方に光を当てていかねばならないでしょう。三月一一日以降、このような精神的努力はさらに飛躍的に構想されなければならない」と。私も、まったく及ばずながらではあるにしても、「三月一一日」以前と以後を貫く棒の如き神を、我を、疑いながらも希求し模索し続けている一人として、深い共感を以て読んだのである。



この記事の中でご紹介した本
『死靈』の生成と変容  埴谷雄高のヴィジョンと無限の自由/深夜叢書社
『死靈』の生成と変容  埴谷雄高のヴィジョンと無限の自由
著 者:立石 伯
出版社:深夜叢書社
以下のオンライン書店でご購入できます
随感録  現実の感受法と熟視のために/深夜叢書社
随感録 現実の感受法と熟視のために
著 者:立石 伯
出版社:深夜叢書社
以下のオンライン書店でご購入できます
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