2017年回顧 アメリカ文学 充実した多様性と着実な成果を生んだ研究書|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年12月24日 / 新聞掲載日:2017年12月22日(第3220号)

2017年回顧 アメリカ文学
充実した多様性と着実な成果を生んだ研究書

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時間と記憶のことを大学の授業で説明する際に「五歳のあなたは今はどこにいったのか」と問いかけることがある。そして、当惑や当然の言葉をひとしきり聞いた後で「あの子どもは、もういない。残念ながら、どこにもいない」と話すことにしている。問いかける本人もその度に不思議に思う。本当に、あの子はどこにいってしまったのか。あの子が今いないとすれば、自分は誰なのか。そのような不思議とともに生きているひとにとってポール・オースターの『冬の日誌』と『内面からの報告書』(ともに柴田元幸訳、新潮社)は、既視感めいた親しみを覚える作品である。「君」という二人称の語りが、過去の自分の喪失をなぞりつつ、その先の多くの世界へと導いてくれる。

F・スコット・フィッツジェラルドの『パット・ホビー物語』(井伊順彦・今村楯夫・中勢津子・肥留川尚子・渡辺育子訳、風濤社)では、逆に喪失のなれの果ての姿を見せつけられ、別の意味での親しみと悲哀と滑稽とを覚えることになりそうだ。作家本人の人生と重ねて読む向きももちろんあるだろう。
ロバート・クーヴァーの『ゴーストタウン』(上岡伸雄・馬籠清子訳、作品社)は喪失したのかしないのかがよくわからないまま入り乱れていく奇妙で賑やかな物語でもある。一二歳でハイチから米国に移住した経緯を持つエドウィージ・ダンティカの『ほどける』(佐川愛子訳、作品社)では、マイアミのハイチ人コミュニティに住む一六歳の双子の姉妹が突然の事故に見舞われ、ひとりが失われる。それから世界のいろいろなものが失われていく。ハイチが大地震とハリケーンに見舞われ大勢の犠牲者が出ていることも文脈に入れながら、ほどける、の意味を考える。気持ちが沈みがちになるとグレイス・ペイリーが読みたくなる。
『その日の後刻に』(村上春樹訳、文藝春秋)でペイリーが補充できる。まずそのタイトルに目が釘付けになるレベッカ・ブラウンの『かつらの合っていない女』(ナタリー・キーファー絵、柴田元幸訳、思潮社)をじいっと眺めるのもいいだろう。
ノンフィクションでは、一九世紀初頭に米国軍に抵抗し続け、投降後に通訳を介して自伝を執筆、一八三三年に出版した先住民ブラック・ホークの『ブラック・ホークの自伝』(アントワーヌ・ルクレール編、高野一良訳、風濤社)をまずあげたい。また、現在も米国で最新作がすさまじい勢いで読まれているタナハシ・コーツの邦訳が二冊出版された。
『美しき闘争』(奥田暁代訳)と『世界と僕のあいだに』(池田年穂訳)(ともに慶應義塾大学出版会)である。米国の「黒人」と「白人」とがどのようにして相手との差異の中で互いを再創造し続けてきたかを、かつてない言葉で次々と表現していく。

翻訳研究書では一九世紀の作家ホーソーンの古典的伝記、ランダル・スチュアート『ナサニエル・ホーソーン伝』(丹羽隆昭訳、開文社)が話題を集めた。『ケンブリッジ版 カナダ文学史』(コーラル・アン・ハウエルズ&エヴァ=マリー・クローラー編、日本カナダ文学会翻訳、堤稔子・大矢タカヤス・佐藤アヤ子日本語版監修、彩流社)を同じ北米ということでその出版を喜びたい。
研究論集では二十世紀英文学研究会編『二十一世紀の英語文学』(金星堂)や塩田弘・松永京子・浅井千晶・伊藤詔子・大野美砂・上岡克己・藤江啓子編『エコクリティシズムの波を超えて 人新生の地球を生きる』(音羽書房鶴見書店)など、英米共通に問題となる観点からのアプローチが充実した多様性を見せている。単著研究書も着実な成果を生んでいるものが目に付いた。
伊藤詔子『ディズマル・スワンプのアメリカン・ルネサンス ポーとダークキャノン』(音羽書房鶴見書店)は、その幅広さと緻密さから文学という「コミュニケーション」が時空と文化を超えて何を繋ぎうるのかを示した理想的な例となっている。ポーといえば西山知則『エドガー・アラン・ポーとテロリズム 恐怖の文学の系譜』(彩流社)は、現代にまで及ぶポー作品の創造的影響力を丹念に検証する。里内克巳『多文化アメリカの萌芽 19~20世紀転換期文学における人種・性・階級』(彩流社)はジェイコブ・A・リースからジトカラ=シャ、フランシス・E・W・ハーパーらをはじめとして欠けていた領域をカバーし図書館に入れたい一冊である。
大井浩二『内と外からのアメリカ 共和国の現実と女性作家たち』(英宝社)と亀井俊介『亀井俊介オーラル・ヒストリー 戦後日本における一文学研究者の軌跡』(研究社)はそれぞれの研究の独自性が押し進められた成果となった。

カズオ・イシグロの受賞スピーチを聞きながら文学の重要性をどう伝えるかということを考えていたのだが、次のような丁寧な成果を手にすると、いろいろな形の光が差してくるように思える。大島由起子『メルヴィル文学に潜む先住民 復讐の連鎖か福音か』(彩流社)は、その魅力的なタイトルが示すとおり独自の着眼点からの研究を結実させた、読みごたえのある一冊である。吉田美津『「場所」のアジア系アメリカ文学 太平洋を往還する想像力』(晃洋書房)は、日系アメリカとその文学の軌跡を静かで密度の高い言葉で追求する。中村理香『アジア系アメリカと戦争記憶 原爆・「慰安婦」・強制収容』(青弓社)は現実の歴史と文学とのあいだの接続とほころびを浮かび上がらせて問いかける。ひときわユニークなタイトルを持つ鷲津浩子『文色(あいろ)と理方(りかた) 知識の枠組み』(南雲堂)も、一九世紀作品群を独特の視点から検証しつつ、文学の存在理由を変動する「知識の枠組み」との関係性において探求する。こうした積年の言葉の集成は、それ自体が文学の存在理由を体現してもいる。失われないものも(少しは)ある。
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