2017年回顧 フランス文学 刊行されるコレクションの形となったその一部に驚かされることが何度も|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年12月24日 / 新聞掲載日:2017年12月22日(第3220号)

2017年回顧 フランス文学
刊行されるコレクションの形となったその一部に驚かされることが何度も

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一冊の本という概念そのものが、もはや消滅しかかっているのかもしれない。例えば、フランス国立図書館のデジタルアーカイヴ「ガリカ」はフロベールやプルーストの草稿、ヴァレリーの『カイエ』まで公開していて(http://gallica.bnf.fr/accueil/)、作品の果てしない広がりに触れる機会を与えている。専門家でも読み切れない膨大なテクスト群から、愛好家が思いがけない発見をすることも不可能ではない。
ジッド『贋金つくり』(二宮正之訳、筑摩書房)は、テクスト空間が拡張してゆくこの状況を象徴的に描いたかのような小説である。生きることと書くこととがどのように関係するのかという核心にある問いを、この作品は何重にも増幅してゆく。作中では、少年たちの冒険・陰謀の物語と、彼らに深い関わりをもつ作家エドゥアールの日記が絡み合い、言葉による「フーガの技法」が展開される。同時に、小説執筆にまつわる作者の創作ノート『《贋金つくり》の日記』、それらを包摂する作家ジッドの日記が刊行されている。世界が作家に提供するものを、作家はどのように創作へと変容させるのかという問いかけが、一冊の本という形に収まりきらず、多元的なテクスト空間へと接続されてゆくのだ。原書刊行は一九二六年だが、簡潔にして要を得た注・解説と見事な訳文によって、『贋金つくり』は現代の新たな小説として蘇った。

この『贋金つくり』は『アンドレ・ジッド集成』として世に送りだされた。『V』の刊行で『アンドレ・ジッド集成』は完成と予告されているが、今年を振り返ると、あるコレクションの一部が刊行され、形となったその一部に驚かされることが何度もあった。ロラン・バルト『断章としての身体1971-1974』(吉村和明訳、みすず書房)は、全十巻の『ロラン・バルト著作集』を完結させる最後の一冊。しかしその〈全体〉にどのような展望を持ちえるのかという疑問を考える以前に、収録された個々の文章、とりわけ「エクリチュールの変奏」と題された〈新発見〉の文章の充実ぶりに思わず引きこまれる。話し言葉と書き言葉は本質的に異なった言語活動ではないかという疑問からバルトが次々に繰りだす断章を読んでいると、未解読の文字、解読しようのない文字のような形をふくむ書き言葉の可能性にめまいを覚える。モーリス・ブランショ『終わりなき対話Ⅱ 限界―経験』(湯浅博雄・岩野卓司・上田和彦・大森晋輔・西山達也・西山雄二訳、筑摩書房)を気になるところから読みすすめてゆくと、ブランショの書評作家として側面が鮮やかに見えてくる(十一月下旬に『Ⅲ』が出版されて翻訳は完結。ただし書評者は未読)。
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例えば「悲劇的思考」は、パスカルの悲劇的世界観を、『パンセ』第一写本を初めて忠実に再現した「ラフュマ版」(1951年)の刊行と切り離せない形で論じている。新たな作品・作品集の刊行だけでなく、重要な批評作品もそこにからめて論じながら、「地獄」、「忘却」、「ニヒリズム」等の複雑な思想へと練りあげてゆくブランショの身振りは、抽象的思考の根底に手で触れられる本の物質性が一貫してあることを示している。

パスカル・キニャールの未完の連作〈最後の王国〉(水声社)(『さまよえる影たち〈1〉』(小川美登里・桑田光平訳)、『いにしえの光〈2〉』(小川美登里訳))は、それ自体では完結しない、断片的なテクスト群のうちに、小説とは異なるジャンル意識の芽生えがあることを明らかにしている。小説のように主観を伸び伸びと開花させながら、検証可能な文献資料も同時に駆使するスタイルで、散文の自由な展開と、詩の反復回帰するリズムを兼ねそなえた独自の世界が構築されている。同じコレクションの『約束のない絆』(博多かおる訳、水声社)は、一人の女性の生と死を複数の声によって語り、ブルターニュ北部の風景、ディナールやメンヒルの残る崖沿いの道の風景が鮮やかに印象づけられる小説作品。このコレクションは、小説に収斂する書法と、そこから拡散する書法の二つを同時に展開するシリーズのようだ。結局、本と広大なテクスト空間はたがいに排除しあうものではないのかもしれない。手に取ることのできる一冊の本と、そこに接続される広大な文化の記憶空間は、テクストのもつ二つの切り離せない顔なのではなかろうか。

ネミロフスキーの短篇集『処女たち』(芝盛行訳、未知谷)は、母と娘、兄弟・姉妹の骨肉の愛が、時を越えて新しいものであり続けることを教えてくれる。ル・クレジオの短編集『心は燃える』(中地義和・鈴木雅生訳、作品社)は、家や社会からの解放に憧れ、それによって暴力にさらされる少年・少女というこの作家の根源的モチーフを変奏している。ウィリアム・マルクス『文人伝――孔子からバルトまで』(本田貴久訳、水声社)は、テクストという世の役に立たないものに取り憑かれた人々の一生を、ひとつの人生として描く作品。マルセル・シュウォッブ『架空の伝記』を一人物の伝記として展開した趣がある。エドゥアール・グリッサン『痕跡』(中村隆之訳、水声社)は、精神の苦痛がどこから来るのかを理解するには、個人ではなく、集団の過去を明らかにする必要があるというクレオール文学の核にある認識を、独自の書法で展開した小説である。

研究面では、土田知則『現代思想のなかのプルースト』(法政大学出版局)が、ベンヤミン、バタイユ、バルト等の作家・批評家が、プルーストをどのように読んだかを論じている。膨大な文献読解と核心を掴みとる手際の鮮やかさが際立っている。塩塚秀一郎『ジョルジュ・ペレック――制約と実存』(中公選書)は、厳格な規則に則って作品を構築するペレックの創作態度が、形式的なものにとどまらず、作家の実存に深く関わっていることを明らかにした。足立和彦『モーパッサンの修業時代――作家が誕生するとき』(水声社)は、二十代のモーパッサンが没頭していた詩作・劇作を紹介しながら、そこからどのようにして「脂肪の塊」の作家が誕生するのかを追跡する。小倉孝誠『ゾラと近代フランス――歴史から物語へ』(白水社)は、ゾラがバルザックやフロベールと異なるどのような独自性をもった作家であるかを多角的に論じている。

最後に、製本職人による三百年前の本づくりの世界を緻密にたどった野村悠理『書物と製本術――ルリユール/綴じの文化史』(みすず書房)を上げておきたい。一冊の本は情熱の対象であったし、おそらく今もそうであり続けている。
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