2017年回顧 中国文学 知の復興 高行健の貴重な提言/余華の切れ味鋭い批評|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年12月24日 / 新聞掲載日:2017年12月22日(第3220号)

2017年回顧 中国文学
知の復興 高行健の貴重な提言/余華の切れ味鋭い批評

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民主化を訴えた言論が理由で獄に囚われていた二〇一〇年ノーベル平和賞受賞者の劉暁波が今年七月に無念の死を遂げた。作家でもあった劉氏の言葉はもう聞けないが、フランスに亡命した二〇〇〇年ノーベル文学賞作家の高行健から、現在の世界状況に対する危機意識を含む貴重な提言が届いている。『三田文学』秋季号(慶應義塾大学出版会)と『アステイオン』八七号(CCCメディアハウス)に訳出された講演録で高行健は、「政治を超越し市場の功利を求めない文学芸術は今の時代において可能なのか」と熱く問題提起し、世界中に広がる反知性の嵐に抗して、文学は知を守るために越境するルネッサンスを巻き起こすべきだと主張する。二〇一二年ノーベル文学賞作家の莫言が受賞後にほとんど文章を発表していない(今年は上海の文学雑誌『収穫』第五号に一六頁の短編を発表したのみ)のと対照的に、高行健の発言は言葉を使って芸術創作する作家こそ、自分が生きる時代と向き合うべきだとする知の言葉である。
その視点から今年の中国文学を見れば、何よりもまず余華『中国では書けない中国の話』(飯塚容訳、河出書房新社)を取り上げるべきだろう。欧米のメディアに発表した評論を集めたもので、エスプリのきいた文章の各所に中国社会への鋭くかつ冷静な批判が展開されている。『ほんとうの中国の話をしよう』(飯塚容訳、河出文庫)も文庫本化されるなど、日本でも読者が着実に増えている作家だが、風刺や皮肉に満ちた切れ味鋭い批評性が際立つ。一九三〇年代に魯迅が書いた社会評論の継承者と言ってもいいかもしれない。
余華は初期の短編小説集『世事は煙の如し』(飯塚容訳、岩波書店)も今年刊行されている。その物語は予定調和を破壊するように理不尽で理解を越える出来事が連続して、カフカの作品を思わせるところがあり、表題作に至っては登場人物名が数字で表記されるという奇妙な短編小説である。不明で不可解な人間社会への観察眼が鋭い。

余華の日本語訳書にはなぜか原書にない「中国」という単語が使われるが、市場戦略なのかどうか、張愛玲『中国が愛を知ったころ』(濱田麻矢訳、岩波書店)も同様に書名と原題に直接的関係はない。ただ、愛を語らせたらとびきりの小説を書くことができる伝奇的な作家の短編小説が、久しぶりに日本語で読める好企画である。

台湾文学にも、人と自然の共生への希望をつなぎとめる知の言葉がきらめいている。津島祐子ら日本の作家とも交流のあるシャマン・ラポガン『大海に生きる夢』(下村作次郎訳、草風館)は、離島に暮らすタオ族の自然観、世界観を背景に、島が孤立した空間ではなく、大海に開けた開放空間であることが如実にわかる佳作と言えよう。残念ながら、その島にも反知性的な人間社会の政治と経済原理が押し寄せ、一九八〇年代には核廃棄物貯蔵所が建設されている。その原発問題をSF形式で小説化したのが伊格言『グラウンド・ゼロ』(倉本知明訳、白水社)である。福島原発事故を念頭に読むと、このディストピアが恐ろしい未来図ではなく、現実のルポルタージュのように見えてくる戦慄のフィクションである。

最後に、高行健の提唱する越境ルネッサンスで言えば、ツェラン・トンドゥプ『黒狐の谷』(海老原志穂他訳、勉誠出版)に注目したい。モンゴルの血統を持つチベット作家が繰り出すブラックユーモアに満ちた批判精神が、小説の中で見事な花を咲かせている。
この記事の中でご紹介した本
世事は煙の如し 中短篇傑作選/岩波書店
世事は煙の如し 中短篇傑作選
著 者:余 華
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
中国では書けない中国の話/河出書房新社
中国では書けない中国の話
著 者:余 華
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
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