私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびて 書評|オルガ・R・トゥルヒーヨ(国書刊行会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年1月6日 / 新聞掲載日:2018年1月5日(第3221号)

性暴力が被害者の精神に与える深刻な影響を開陳 
今、本書が登場した意味を考える

私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびて
著 者:オルガ・R・トゥルヒーヨ
出版社:国書刊行会
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本書は31歳のとき「解離性同一性障害」と診断されたヒスパニック系アメリカ人女性(職業は弁護士となっている)が、その原因とする幼少期からの父親および男兄弟による性的虐待の過去と、社会人になったのちに受けた精神科医による治療の過程とを記したものである。「解離性同一性障害」などというと、いかにも難解な響きがあるのだが、以前は「多重人格」とよばれて、精神医学領域のみならず広く一般にも知られていた。かつての一時期には、多重人格に関する本が流行し日本語にも翻訳された(『失われた私』『24人のビリー・ミリガン』など)。また、日本でも連続幼女殺人事件の被告の精神鑑定でこの病名が挙げられて話題となった。

こうした多重人格はどのようにして生まれるのであろうか? 本書をはじめとする多くの書物には、その背景に虐待とそれに伴う外傷体験があるとする。すなわち、耐え難い恐怖や苦痛を伴うストレス体験には、それを記憶から切り離そうとするメカニズムが働く。しかしながら、この解離された記憶は完全に無化するわけではなく、別人格(本書のタイトルにある「私の中のわたしたち」)を形成してその中で生き続ける。つまり、不快で恐怖に満ちた体験とそれに伴う記憶が切り離されて別人格がそれを引き受ける形で存続する。

もっとも、こうした「解離」という状態が科学的に解明されているわけではない。精神医学の領域にも似たような概念や症状(臨死体験、離人症、精神運動発作、健忘症など)はあり、その背景にある精神疾患も、統合失調症、部分てんかん、気分障害、PTSD、自己愛性人格障害など、実に多様である。また、人格障害とは何か、さらに人格とは何か、という基本的な疑問に対して精神医学は未だ明瞭な答えを用意できていない。

かつて精神分析の生みの親フロイトは、当初ヒステリー患者に性的虐待(近親姦エピソード)の記憶があることから、ヒステリーの原因をそうした過去の外傷体験に求めたが、まもなく否定する。それらは患者の単なる幻想にすぎないとの結論に至ったからである。

こうした精神医学と精神分析の前提に立つのなら、多重人格や解離といった概念自体に疑問符がつくのだが、それを敢えて無視すれば、本書は性的虐待などの性暴力というものが、いかに被害者の精神に深刻な影響を与えるのかを生々しく開陳しているものといえるだろう。実際、著者も、精神科医の治療を受けたのち(つまりは自らの解離症状が「人格の統合が進むにつれ」軽快したあと)アメリカ全土で性暴力被害者のための講演活動を精力的に進めていく。著者によるウェブサイトのみならず本書自体もまた、そうした著者の啓発活動の一環として書かれたものと思われる。

ところで、本書がなぜ今この時期になって、新たに登場したのかの意味を考えることは、社会的また文化史的にみても興味深い。

折しも、アメリカでは男性政治家や有名人の過去のセクハラ疑惑が、相次いでマスコミを騒がせている。そのきっかけは、いずれも被害女性からの告白であり、訴えである。

また、現在の精神医学や臨床心理学においては、いわゆる当事者研究がさかんである。当事者とは、まさに本書の著者のような被害者ないしは患者のことにほかならない。

こうした流れが、総じて今後の日本社会でも進展してゆくことは間違いないであろう。その道程は、少し長い歴史の目で見るのなら、日本でもこれまで長く続いてきた男尊女卑の社会慣習が完全な男女平等へと修正されていく中長期的な歴史的潮流の現われなのではないか。これに伴って男女の性差や役割分担にも、今後より大きな変化がいっそう顕在化してくるものと思われる。(伊藤淑子訳)
この記事の中でご紹介した本
私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびて/国書刊行会
私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびて
著 者:オルガ・R・トゥルヒーヨ
出版社:国書刊行会
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小俣 和一郎(おまたわいちろう)精神科医・精神医学史家
精神科医・精神医学史家、1950年東京都生まれ。1974年岩手医科大学医学部卒業、同年国立医療センター(現・国立国際医療センター)内科研修医、1975年名古屋市立大学医学部大学院入学(臨床精神医学専攻)、1980年同修了(医学博士)。 1981~83年ドイツ連邦共和国給費留学生(ミュンヘン大学精神病院)。1986年医療法人財団・大富士病院(静岡県)副院長。1990年上野メンタル・クリニック(東京都)院長、2015年退職。2002~2006年東京保険医協会理事。 主要著書:『ナチスもう一つの大罪』(1995年、人文書院)、『精神医学とナチズム』(1997年、講談社)、『精神病院の起源』(1998年、太田出版)『精神病院の起源・近代篇』(2000年、太田出版)、『近代精神医学の成立』(2002年、人文書院)『ドイツ精神病理学の戦後史』(2002年、現代書館)、『検証 人体実験』(2003年、第三文明)、『精神医学の歴史』(2005年、第三文明)、『異常とは何か』(2010年、講談社)など。共著・分担執筆:『系統看護学講座・精神保健福祉』(医学書院)、『Psychiatrie im Kulturvergleich』(VWB-Verlag)、『臨床精神医学講座』(中山書店)、『精神医学文献事典』『現代精神医学事典』(弘文堂)など。 主要翻訳書:G・セレニー『人間の暗闇』(2005年、岩波書店)、W・グリージンガー『精神病の病理と治療』(共訳、2007年、東大出版会)、J・フォン・ラング『アイヒマン調書』(2009年、岩波書店)など。
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