ビートルズが教えてくれた 書評|田家 秀樹(アルファベータブックス)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!
▶メールマガジン登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

読書人紙面掲載 書評
2018年1月6日

証言に時代の実像を読む 
定点観測を可能とする媒介・ビートルズ

ビートルズが教えてくれた
著 者:田家 秀樹
出版社:アルファベータブックス
このエントリーをはてなブックマークに追加
ビートルズが日本でどのように受けとめられてきたか?吉田拓郎の有名曲を書名にして綴ったインタビュー集。

前半はリアルタイム世代、後半は遅れてきた世代の証言だが、圧倒的に面白いのは前者だ。時代風俗が60年代とどのように現在と異なっていたか?「あ~そうだったけな?」と日本という国家の変遷についても考えさせられるエピソードが多い。

例えばチューリップの財津和夫は、1966年日本武道館の公演で隣に座った男性が、デッキシューズとヨットパーカーというオシャレな格好で驚いたという。僕の記憶でもそこまでのオシャレ男は当時近所で見なかった。一方福岡から上京した財津は白シャツ黒ズボンに下駄履き、靴は持っていなかったと。わずか9年後、やはり吉田拓郎作によるかまやつひろし「我が良き友よ」は1975年「下駄を鳴らして奴が来る」と歌ったが、実際には、下駄を履いた学生はあがた森魚のファン以外は、完璧に消滅していた。オシャレな印象の財津が下駄?も驚きだが、以後の社会には圧倒的な変化があった。少なからずビートルズはその重要なキッカケとなった。

元東芝音楽工業のディレクター、草野浩二(作詞家漣健児=草野 昌一の実弟)は、ビートルズの日本人による最初のカバー曲(スリーファンキーズ)を手がけたが、ハーモニー、コード進行が全く違うので、対処できなかったことに苦しんだ。そのためビートルズを「嫌いな人達だった」とはっきり述べている。しかし「歯が立たなかった」悔しさをバネにして筒美京平を始めとする歌謡曲作家を育てるきっかけとなった。歌謡史転換の場面である。このように当時の日本人にとってビートルズは圧倒的に違和感のある存在だ。現在ビートルズ・マンセーの声が溢れているが、そうした付和雷同の姿勢に対するアンチこそが、当時のビートルズとファンのあり方だったはずだ。そんな感慨も生まれる。

現在世界で最も大きいファンクラブ「ザ・ビートルズ・クラブ」の元となった「ビートルズ研究会」の浜田哲夫の話も面白い。レコード会社からも独立した運動体として始まった同会は、自主的な映画上映運動だったという。大隈講堂でやった「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」監督のリチャード・レスター作品上映会に対し、女子高生が「こういうの定期的にやって!」といわれたことから運動が始まった。サエキは当時のことを調べているが、60年代後半においては先端的な感覚を発散したのは男性ではなく女性だった。特に女子高生、中学生だ。こうした証言に、時代の実像を読み取ることができる。

この書名となった曲の作詞家岡本おさみは、「ビートルズが教えてくれた」という曲を「髪と髭をのばしたボロを着ている、吹き溜まりのスナックで腕を組みながら“うじうじ”と“考え深そうな”顔をしている」人達に対して発した「もっと陽気でいいじゃないか?」というメッセージだと述べている。当時の本をひもといても「日陰ばかりを好んだ青年」の実像はなかなか浮かんでこない。こうした言葉で示されて初めて思い出す70年代前半の男の実像だ。確かに学生運動挫折後の若者は本当にそんな感じだった。
「チャラ男」や「インスタ女」が溢れ、新たな狂躁の時代を迎えている日本。ビートルズのように定点観測を可能とする媒介で、初めて明らかにされる面があると実感させられた。
この記事の中でご紹介した本
ビートルズが教えてくれた/アルファベータブックス
ビートルズが教えてくれた
著 者:田家 秀樹
出版社:アルファベータブックス
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年1月5日 新聞掲載(第3221号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
サエキ けんぞう 氏の関連記事
田家 秀樹 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
芸術・娯楽 > 音楽関連記事
音楽の関連記事をもっと見る >