神さまたちのいた街で 書評|早見 和真(幻冬舎)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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【書評キャンパス】大学生がススメる本
更新日:2018年1月6日 / 新聞掲載日:2018年1月5日(第3221号)

『神さまたちのいた街で』 早見 和真著
桃山学院大学 小田 由志

神さまたちのいた街で
著 者:早見 和真
出版社:幻冬舎
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自分の幼いころと比べると、「宗教」というものはグローバル化や外国人観光客の増加等により日本人にとって更に身近な存在になってきたと感じている。本書はその「宗教」を土台に、我々が生きている日常や家庭を舞台として描かれた小説である。

本書は小学5年生になったばかりの主人公・征人とその家族の朝の風景から物語が始まる。新しい教室で新任の先生が担任だという期待や、2年間同じクラスだった親友・龍之介と違うクラスになってしまうという不安を感じているとき、征人の父が事故に巻き込まれたという知らせが届く。最低2週間の入院で済む事故だったが、この事件をきっかけに征人を取り巻く環境は原形をとどめないほどに壊れてしまう。征人の両親が相反する宗教に入信し、学校から帰ると父に無理やり集会へ連れていかれ、さらには集会から帰ると狂乱した母に集会に行ったことを詰られヒモで背中を叩かれる。そんな世界から助けを求めて新任の先生にすがるも、彼も征人の父と同じ宗教の信仰者であった。このようなことを背景に、征人やその妹のミッコ達は何を思い何に希望を見出し、どのようにあがき生きていくのかを描いている。

本書の主な魅力は非常によく出来た人物設定にある。周りの環境のせいで精神的に大人にならざるを得なかった主人公、友達を失い孤立してしまった妹のミッコ、宗教に頼らざるを得なかった主人公の両親等、しっかり練られた魅力的な登場人物により演出される、登場人物全員が本当にいたかのように感じる表現力やどうしようもなさといった非常に強い絶望感には驚かされた。この絶望感は、物語の終わりで征人が見出した「希望」を際立たせ、読了後の余韻を非常に心地よいものにさせている。

また、文章中に散りばめられた著者のメッセージも非常に魅力的である。本書には幾度も「不寛容」という言葉が征人の周りの大人を表現するのに用いられている。本書におけるこの語は「自分本位」で「他人に自分の常識を押し付ける」といった意味に近いのだが、この言葉はおそらく作中の人物だけに向けられたメッセージではなく今の日本に対して向けられた、「不寛容になってはいけない」といったメッセージであると考える。多くの外国は他国と大陸でつながっており、非常に多様な考え方と交流する機会があったため「他者と自己の考えは異なる」という意識が根付いているが、対して日本は島国で、江戸時代の鎖国や、戦前まであった階級制により同じ身分の人としか対話できなかった。このようなことにより、自分と違った感覚を持つ人と触れ合うことが少なく、階級制により上位者からの圧力に対抗するために考えをある程度同調する必要があった。この同調が時を経て現代社会の企業本位的な傾向や日本人独特の保守的考え方といった「不寛容」になってしまったのだ。

本書は、読者に多様な観点を持つことや己の意見は正しいか問い続けることにより、「不寛容」の危険性を読者に訴え感じることができる作品である。小説として非常に面白く一気読みしてしまうほど魅力的なので、特に難しく考えずに読んで読了後の余韻に浸っていただけたら嬉しい。
この記事の中でご紹介した本
神さまたちのいた街で/幻冬舎
神さまたちのいた街で
著 者:早見 和真
出版社:幻冬舎
以下のオンライン書店でご購入できます
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