汪暉氏に聞く<アジアにおける「世紀」の誕生>|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年1月8日 / 新聞掲載日:2018年1月5日(第3221号)

汪暉氏に聞く<アジアにおける「世紀」の誕生>

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第2回
歴史の連続性

汪 
 もう一つ、二〇世紀を描く場合に、共時的なグローバルな歴史叙述の考え方が必要であって、そうすると、二〇世紀は時間的な概念であると同時に、空間的な概念となります。それによって世界全体が繋がってしまった。二〇世紀と太平洋という概念が一緒に到来した時、中国の知識人は一つのチャレンジに向かいました。たとえば、梁啓超は日本の影響も受けていて、それをナショナル帝国主義と名前を付けました。そこに至るまで、梁啓超の歴史認識に関しては、二つの歴史事件の影響があります。一つは日清戦争の影響で、その時期日本は新型帝国主義に向かっていました。もう一つは一八九八年からの米国の動向。ハワイを占領、そして一八九九年にはフィリピン、そしてグアムやウェークを占領。ここで形成された空間システムは、今日になっても変わっておりませんね。そこで梁啓超は、それまでの帝国、特に中国の伝統的な帝国と帝国主義を区別しようとした。フランス革命の以降の国民国家の形成があり、さらに米国共和制や日本明治の立憲君主体制の成立があって、そういった政治体制がナショナル帝国主義に結びついた、と。そうすると、二〇世紀のロシア革命と中国革命は一つの課題を背負ったということになります。それまでのフランス革命やアメリカ革命に対して敬意を払っていますが、同時に、それらの革命を超えなければいけないということになった。現実として、当時のロシアと中国はまだ農業社会であったわけなのですが。

二〇世紀に起きた革命は、たとえばアフリカとかラテンアメリカとかにもありましたけれど、しかし最も大きな部分としては、中国やアジアでした。二〇世紀の革命の最初の事件としては、一九〇五年のロシア革命だと、レーニンはいっています。そのロシア革命は、内部のいろんな政治的な党派闘争の要因もありましたが、その背景には、クリミア戦争、それからヨーロッパにおける労働者運動の高まりという背景がありました。が、しかしもっとも大きな影響は、やはり日露戦争であった。したがって一九〇五年のロシア革命は、東アジア、太平洋における国々の力関係の変化を表している。その後では、一九〇五年から〇七年のイラン立憲革命、一九〇八年から〇九年のトルコ革命、そして一九一一年の辛亥革命、ぐるっと回って一九一七年のロシア革命です。ロシア革命に対しては、ヨーロッパの角度から見ることもできますし、またアジアからの角度で見ることもできます。さらにその後は一九二四年の中国の国民革命、そして国民革命の失敗した後の二七年の「共産」革命がひき続き起こる。そして一九四九年の中華人民共和国の成立。ただ、その後でも革命は続きます。六六年から文化大革命がはじまり、それが七〇年代の後半におわりますが、しかし七九年にはまたイラン革命が起きるという具合。つまり二〇世紀を通じてずっと現在まで私たちが住んでいる世界を形作ってきたのは、アジアにおいて起こってきた革命の結果であり、その成果の上に立って私たちがいる、ということです。

これからの中国の問題の「世紀」問題に戻りましょう。二つの糸口からはじめたいと思います。一つは二〇世紀の初頭、もう一つはその終焉です。中国に則して言うと、中国の学者たちの一般の傾向として、できるだけ自分たちの歴史に連続性を見出そうとしますが、それは中国人の伝統的な考え方とも関わっていると思います。つまり歴史がかなり長いので、いつも繰り返されているように見えてしまう。

まず、二〇世紀の初頭において中国が直面していたのは、亡国の危機です。しかし、類似の現象は二〇世紀初頭において、世界の各帝国にあった。一九世紀末から第一次世界大戦にかけて、次のような三つの特徴が表れてきました。一つは帝国内部に革命が起こったこと、もう一つは帝国内部において民族独立運動が起こった。そして三つ目として、帝国内部において遂行された「改革」が帝国の崩壊をもたらした、ということ。ここで例としてあげられるのは、ロシア帝国、オスマン帝国、またオーストリア・ハンガリー帝国などの崩壊です。清朝の末期から辛亥革命までの歴史を見ると、各帝国の崩壊との類似性を見いだせると思います。たとえば「外」モンゴルは、一九一二年に、モンゴル・チベット協定を結んでいる。また国の内部に各省が独立しようとする崩壊の兆候が表われた。そこで二〇世紀の観点から振り返ると、たとえばオスマン帝国にも、オーストリア・ハンガリー帝国においても、また前の旧ロシア帝国領内においても、それぞれが分裂して各民族国家が成立した。ところが、中国だけが帝国的素地を残した。「外」モンゴルを除いて、人口領域は清朝のまま残されました。この意味に従うと、連続性の概念は実は自然なことではないということ、結果として帝国規模を残した「革命」を理解しないと連続性の意味も理解できません。昨日の明治大学のシンポジウムでも述べたように、二〇世紀中国において、国家建設と、そして人民戦争は一緒にはじまって一緒におわる――そのプロセスを見ないと、その連続性が分からないのです。
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