汪暉氏に聞く<アジアにおける「世紀」の誕生>|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年1月8日 / 新聞掲載日:2018年1月5日(第3221号)

汪暉氏に聞く<アジアにおける「世紀」の誕生>

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第3回
(反)帝国主義

汪 
 さてもう一つの問題、今度は二〇世紀の末(終焉)です。中国の歴史においては、その終焉は特別なものでした。つまりソ連と東欧、その地域における二〇世紀の終焉は、徹底的な断裂として表われました。つまり社会主義制度の終わり、全体としての政治体制の終焉として表れました。しかし、中国は違います。二〇世紀の終焉は、一九八九年の天安門事件からはじまった。それこそ二〇世紀の終焉の始まりを意味したけれど、しかし中国自身は倒れなかった。このようにして我々は、中国の連続性を考えることになる、そこで革命とポスト革命の連続性ということが問題になるのです。

現在、今日の中国を理解するには、たとえばグローバリゼーション、中国の資本主義の発達を理解するのに、革命とポスト革命との連続性は欠けてはいけない要素です。如何に二〇世紀の中国革命、特にアジア(ユーラシア)の革命を理解するか――このことは、これらの革命が農業国家で発生したものであるものの、しかしその名目は「共産主義革命」であったことを踏まえる必要があります。たとえば中国においては実際、労働者(プロレタリア階級)の数は非常に少なかった。そこで、柄谷さんが繰り返して言っている「置き換え」という概念を使いたい。つまり、中国の社会主義革命において、新しい主体が生まれました。それはヨーロッパ風のプロレタリア階級ではなくて、しかし新しい関係の中で生み出された主体であった。しかもそれは、ヨーロッパと無関係であるわけでもない。つまり、帝国主義との関係です。そして中国革命において、被圧迫者というと実は「階級」ではなくて、「民族」となりました。名目上においては無産階級とかが使われていますが、むしろ農民が無産階級へと「置き換え」られた。二〇世紀アジアはヨーロッパの革命を反復しましたが、内容そのものを見ると、この「置き換え」があった。いずれにせよ、ここにおいて世界の大きな変化が発生した、つまり(反)帝国主義です。

一九〇〇年、梁啓超が「二〇世紀 太平洋の歌」で帝国主義問題を論じた翌一九〇一年、幸徳秋水は『二〇世紀の怪物 帝国主義』を書き、また同じ年、馮自強が横浜で幸徳に呼応して「二〇世紀の発展と帝国主義の前景を論じる」を発表。それを受けて一九〇二年から〇三年、また梁啓超は「二〇世紀の巨霊 トラスト」を書く。興味深いのは、梁にせよ幸徳にせよ、「怪物」あるいは「巨霊」という言葉を使ったことです。梁啓超の方は、主に生産洋式(経済関係)に注目しましが、一方の幸徳が「怪物」として着目したのは、むしろ帝国主義とナショナリズムとの結合関係、つまりその政治的側面の方でした。そしてさらに、海の反対側ではホブソンが一九〇二年に『帝国主義論』を出し、また一九〇三年にマルクスの娘婿のラファルグが「米国のトラスト」を書き、また一九一〇年にはヒルファーディングの『金融資本論』が出されています。続いて一九一三年に、ローザ・ルクセンブルクの『資本蓄積論』が著され、それへの応答として、ロシアやオーストリア・ハンガリーで、様々な帝国主義をめぐる議論が展開される。たとえばオットー・バウワーによる多文化的ナショナリズムの議論はその一例で、同時期ブハーリンも、ローザの議論に対して批判的議論を行なっています。そして一九一四年、もっとも重要な本が出ます。カウツキーの『超帝国主義論』です。そして最後、一九一六年、レーニンによって『資本主義の最高の段階としての帝国主義』(通称『帝国主義論』)が発表される。このような系譜を見ると、アジアにおける様々な「置き換え」及び反復は、帝国主義に対する認識から生まれたものであった、ということです。ヨーロッパ・マルキストのカウツキーの議論では、民族解放や民族自決といった概念は排除されています。つまり彼にとって、被圧迫民族の革命は重要なことではなかった。しかしレーニンはそれに反して、世界のプロレタリア革命を、非圧迫民族の革命へと「置き換え」たと言えます。

さて世紀という概念に戻りましょう。つまり二〇世紀とは、世紀の概念そのものと同じ構造を持っている。つまり、二〇世紀がなければ「世紀」も生まれなかった。もう一つは、それは帝国主義時代の権力の核心が、大西洋から太平洋へ移り変わり、そして全世界に帝国主義が到来したということ。すると、この共時性のシステムのもとで、そこでの不均衡性を議論しなければならなくなった。すなわち、誰を除いても叙述ができないという相互の関係、たとえば東方とか西方といった二元論だけではだめになった。
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