澁澤龍彥のいる文学史 「新編 日本幻想文学集成」(全9巻) 刊行記念トークイベント載録|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年8月19日 / 新聞掲載日:2016年8月19日(第3153号)

澁澤龍彥のいる文学史 「新編 日本幻想文学集成」(全9巻) 刊行記念トークイベント載録

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7月16日、神田神保町の東京堂ホールにて、編者の一人である諏訪哲史氏を迎えて「澁澤龍彥のいる文学史」と題した「新編・日本幻想文学集成」(全9巻)の刊行記念トークイベントが行われた。イベントの後半ではスペシャルゲストとして、同集成の編者でもある山尾悠子氏も参加し、澁澤龍彥をはじめ、それぞれが編纂した日影丈吉や倉橋由美子についての話で会場を盛り上げた。その一部を載録する。  (編集部)

澁澤さんが好きなも の=幻想文学だった

礒崎
先月から刊行が始まりました『新編・日本幻想文学集成』ですが、「新編」とあるようにこれには当然旧版があります。この旧版が一番最初に出始めたのが一九九一年ですのでもうすでに25年前になります。旧版は物故作家を一人一冊三十三巻という構成でしたが、今回この三十三巻を基本に一冊を四人から五人でまとめて八冊にして、旧版刊行以降にお亡くなりになった作家、安部公房、倉橋由美子、中井英夫、日影丈吉の四人を増補巻としました。それを安藤礼二さん(安部)、山尾悠子さん(倉橋)、高原英理さん(中井)、諏訪哲史さん(日影)と新しい編者の方四人に編集していただいて全九巻となりました。
諏訪さんはこの旧版が出た時にまだ大学生だったということですが、旧版の時の思い出は?
諏訪
国書さんはすでに『世界幻想文学大系』、『フランス世紀末文学叢書』、『ドイツロマン派全集』などを出されていて、今度はついに日本だというのが学生の時の思いでした。それで最初に刊行された須永朝彦さん編集の『泉鏡花』などを真っ黒になるまで線を引いて読んで、須永さんに泉鏡花というものを改めて教えてもらった感じがしました。同様に各巻目から鱗が落ちるような編集がされていて、特に松山俊太郎さんなどは型破りでした。梅木さんの銅版画の表紙もインパクトが凄く強くて、僕らの中では「あの白い本」という言い方で羨望の的になっていたんですよ。だからこれは大人の買い物だという感じがしていて、これを集めるのが僕らの暗黙の目標みたいなものでした。
実は昨日、澁澤龍彥さんの没後30年ということで、ここのすぐそばの山の上ホテルで会がありましたが、現在の主要な関係者の方はだいたい50代ぐらいの方が一番多かったような気がするんですよ。僕の印象では澁澤さんや種村先生がいわゆる幻想文学を紹介というか先導していって、その後は礒崎さんや東雅夫さんといったちょうど同い年ぐらいの一連のお仲間がそれらを几帳面に本にされていった気がするんです。あの「幻想文学」という雑誌も僕らにとってのバイブルみたいなものでした。
礒崎
今回のイベントのテーマを「澁澤龍彥のいる文学史」としてみたんですが、実際この旧版の33人の物故作家を選んだ時に、一番古いのは幸田露伴とか漱石、鴎外とか明治の作家で、33巻中いちばん若かったのは実は澁澤さんなんですね。
諏訪 哲史氏
諏訪
澁澤さんはもうちょっとで編者のほうになるべき方でしたよね。
礒崎
ご存命だったらボルヘスの『バベルの図書館』の日本文学版で澁澤龍彦個人編集の日本幻想文学史というのもありえたでしょうね。そのぐらい澁澤さんの存在は、日本文学を幻想文学史として捉える時に非常に大きいと思います。
諏訪
僕は澁澤さんが好きなもの、というのが自分にとってイコール幻想文学だと昔から思っていて、ツヴェタン・トドロフなどは幻想文学とはとか文学史的に定義しようとしたけど、僕はやっぱり人というか、まさに「澁澤龍彥のいる文学史」なんです。それが僕にとっての日本の幻想文学であり、日本から世界を眺めた幻想文学となっていったところがあります。
礒崎
澁澤さんの場合、一般的には特に晩年は小説家であったり、それとフランス文学者としてのサドやユイスマンス、コクトーら海外作家の翻訳家・紹介者というイメージが強いですけれども、日本幻想文学史ということに関しても澁澤さんの存在はとても大きい。特に『偏愛的作家論』という澁澤さんの好きな日本の作家を論じた本など、当時の幻想文学愛読者にとってはバイブル的な存在であったと思います。
諏訪
僕はその辺から澁澤さんに入っているんですね。高校の時に三島由紀夫が好きで、三島のことを知ろうと思って『三島由紀夫おぼえがき』を読んで、『偏愛的作家論』を読んだんです。そうしたら石川淳やら稲垣足穂やらいっぱい出てきて、そこからまた世界が広がりましたが、やっぱり決定的だったのは選者のどなたもが言う『暗黒のメルヘン』でした。
礒崎
一九七一年に立風書房から出た澁澤さんの日本文学アンソロジーですね。これは20人ぐらいの作家の短篇を選んだものですが、一番古いのが鏡花でしたか。新しいほうでは倉橋由美子さんだとかも入っています。今回諏訪さんが『新編・日本幻想文学集成』第一巻で編纂された日影丈吉などは、実はこの当時はかなり忘れられた作家になっていました。けれど澁澤さんが『暗黒のメルヘン』で「猫の泉」を選んだことで、その後の日影さんの認知度や評価が大きく変わった感じがします。
諏訪
あのアンソロジーの中で何が好きかと言われたら「猫の泉」は相当上に来る作品なんですよ。今回もあれは最初から絶対に入れることを決めて編纂しました。日影さんは僕にとって長いこと謎の作家で、今回のお仕事をいただいてようやく勉強させてもらったところがありました。それまでは牧神社の四巻本ぐらいしか手に入らなくて、あとは文庫で長篇を読むぐらいは出来たものの全体像はよく分からなかったんです。種村先生が晩年河出書房新社から出された『日影丈吉選集』で何となくは分かってきてもやっぱり見えない。見えない作家というのが僕の中ではある。今回この仕事をさせていただいて国書さんの『日影丈吉全集』を読ませていただきましたが、それでも見えてこないぐらい正体不明の人なんですよ。どこからとっついていいか分からない作家でしたけど一所懸命編んでみました。

日影丈吉の今まで見 えてこなかった部分

第1巻「幻戯の時空」
礒崎 今回諏訪さんから日影さんのアンソロジーリストをいただいた時に正直言って最初相当びっくりしたんですよ。「猫の泉」だけは入っていますが、いままで日影作品として評価が高くていろんなアンソロジーに入っているものはことごとく使わず、一般読者からすればほとんど聞いたことがない作品ですとか、晩年に書かれて単行本にも入らなかった作品、逆に初期の若い頃の戦前に書かれた作品などで編まれています。このセレクションは相当戦略的な意図をお持ちだったんですか。
諏訪
戦略はあまりなかったんですけど、日影丈吉というのはいぶし銀で玄人好みのちょっと一見さんお断りというイメージのようですが、そうではなく何というかキラキラした作家なんだと全集を読んで思ったんですね。実はそういうものを持っていながら、若い頃から大家のような顔をして、ミステリの大変な地位に置かれてしまった作家なのではないか。それが晩年だんだん身が軽くなって行った時に筆の自由さみたいなものが出てくる。だから今回僕の選んだ中には初めと終わりの頃のものが多く入っているんです。プロ作家として活動されていた時はもちろん優秀な作品がたくさんおありなんだけど、そうではない、ご本人がもし生きていらっしゃったらそれは選ばないでくれよといいそうな若書きや晩年の筆のすさびのようなものの中に研ぎ澄まされたものがいっぱいあるんです。それを今回は存分に読者に読んでもらいたいと思ったんです。習作とは作家本人にとっては恥ずかしいものでしょうが、僕が読んで感銘を受けたものはそういう実験的と言ってもいいような作品にあるんです。日影さんがこんな小説も書かれるんだという。たとえば「さんどりよんの唾」とか「硝子の章」です。
礒崎
両方とも戦前の作品ですね。
諏訪
「かぜひき」なんかもそうですが、詩にちょっと近い。幻想ってそういう一面もある。というよりはもっと言えば純文学とか大衆文学とかSFとか推理・ミステリとかといった垣根を抹消させる言葉の力がいわゆる幻想文学だと。つまりノージャンルでありながら読者をどんな方法でもいいから言葉で遠くに連れてゆく文学が僕の中の幻想文学で、そういうものが書きたいと自分でも思っているんです。それはどんなものだと言われたら、『日本幻想文学集成』に載っているような作品だと答えるでしょう。日影さんの作品には少々俗っぽいものもある反面、文学少年が熱い思いで書いたようなものもあります。でもそれが僕の中ではリアルなんです。時代が離れた会ったこともない作家でありながら、僕が一番リアルだと思うのは日影さんの中で「日影丈吉」というところから少し離れたもの。それが今回選ばせてもらった作品群です。そして理由のもうひとつは種村先生だったら日影丈吉を選ぶだろうなと。
礒崎
やっぱりそうですか。諏訪さんの生涯の恩師であった種村さんが全五巻の『日影丈吉選集』を編んでいますよね。これに対するライバル心というのじゃないですけど、師匠を抜いてやるというような……。
諏訪
そんな僭越な! しかしまあ少しは意識しちゃいましたね(笑)。あの『選集』は本当に傑作ばかりなんですよ。たとえば「吉備津の釜」や「月夜蟹」や「東天紅」や「かむなぎうた」などいっぱいあって、それは僕も好きですし、日影さんは今でもあのラインナップで評価されているけど、もうひとつの評価のされ方、切り口があるはずだとこだわったところはあります。とはいえ先生が選んだものの反動で選んだというわけでもないですよ。僕は僕の価値観というか、好み、嗜好で選ばせていただいて、自信のあるセレクトではあるんです。
礒崎 今回『新編・日本幻想文学集成』の第一巻に入った日影丈吉のセレクションを通して読むと今までの日影さんの文庫とかそういうものでは見えてこなかった部分がかなりはっきり見えてくると思います。
諏訪
ええ。ぜひそこを読んで欲しいですね。

各巻の収録作家で 座談会を開いたら

山尾 悠子氏
礒崎
ちなみにですけど諏訪さんがもし旧版の選者に選ばれて、露伴から澁澤までの33人の中から誰でもいいからやってくれとなったら誰を選んでますか。
諏訪
そんな面白いこと言われたら、それをおかずに僕は三週間はチラシを見ながら遊んでいられますね。悩んで悩んで、でもどれと問われれば、僕は島尾敏雄と石川淳が好きです。
礒崎
島尾敏雄は旧版で種村さんがやられてますね。
諏訪
そうなんですよね(笑)、やっぱり先生と被ってしまう。
礒崎
もうひとつこの機会に諏訪さんにお伺いしたいと思ったのは、今回新旧合わせて37人の日本を代表する幻想作家が選ばれているわけですが、ご自分で資質とか作風とかで似ていると思う作家はいますか。
諏訪
それでまた三ヶ月はそれをおかずにニヤニヤしながらご飯が食べられるな。でも、島尾敏雄でしょうね、やはり。島尾さんの影響は自分の中ではちょっとはっきり過ぎるほど受けちゃっているなと思っています。だからなるだけそれを排しないとと思って書いているつもりが出て来てしまう。僭越ながら、資質と言われたらそうなるのかなと思うんですが。
礒崎
私は諏訪哲史さんもかなり多面体の作家だと思っているんですが、ある種の資質としては結構内田百彥なんかを思うんです。近親性を感じないですか。お好きですよね。
諏訪
いやあ、ものすごく好きです。『偏愛蔵書室』でも取り上げました。
礒崎
どこら辺のものが。
諏訪
やっぱり『冥土』あたりですね。「青炎抄」とか「梟林記」なんかも好きですね。
礒崎
今回第八巻は「漱石と夢文学」となっていて、漱石を始めに百彥、豊島与志雄、そして最後に諏訪さんが一番お好きだと言った島尾敏雄が入っているわけですが、そうなるとはからずも百彥と島尾敏雄にも共通性があるんでしょうか。
諏訪
そうかもしれません。ある種の心的強迫性が言葉の遊戯や、ついには崩壊までを引き起こす、双方ともに徹底して言葉の作家だという点でしょう。
少し話が変わりますが、今回の集成では一巻に作家がそれぞれ四~五人ずつ入っていますね。仮に各巻の収録作家で座談会を開くとして、何巻の座談が一番面白いかな、と昨日の晩考えていたんです(笑)。そうしたら一番は第二巻。澁澤、吉田健一、花田清輝、幸田露伴。何を喋るか興味津々。とにかくもう知識の披瀝しあいみたいな話になるかなと。あとは四巻。
礒崎
ちょっと怖いですね。
諏訪
四巻はね、たぶん最後に誰かが死ぬ(笑)。夢野久作、小栗虫太郎、岡本綺堂、泉鏡花とエッジの立った人ばかりなので、久作が殺すのか殺されるのか、とにかく誰か一人は死にますね。バランス感覚のある綺堂あたりがまあまあと仲裁に入りつつも、結局何かしら凶事が起きそうなのが四巻で、合本にしちゃってよかったのか心配になるほど禍々しい(笑)。
昔、拙作『りすん』に、登場人物たちが、読者が目を放している隙に、あの本という函世界の中でお喋りして遊んでいるということを書きましたが、この人たちも強引に合本されたらこそこそ喋ると思うんですよ。それに耳を澄すとしたら、一番面白そうなのがさっきの二巻と四巻で、四巻からは叫び声、ぎゃーっという断末魔の叫びがいつかするだろうなと(笑)。
礒崎
そういった意味では逆に一番まとまりがあるのが九巻の「鴎外の系譜」でしょうね。
諏訪
ええ、漱石の巻もね。ここらはやっぱり上下の序列がきちっとしていますから。絶対的な先生がいらっしゃる。確かにこの辺が一番常識をわきまえた方々がいらっしゃるな。
礒崎
一作家一巻という形もいいんですけど、今回九巻建てにしてこうして四人とか五人にまとまることによって、またちょっと違った意味が出て来ますね。
諏訪
そうですね。ぶつかり合いがあったり脈絡があったり。だからここに入っているものが、これから当分日本の幻想文学の代表、たたき台になっていくのだろうと思います。

倉橋由美子への思い 澁澤龍彥への思い

礒崎
ではここで第一巻のもう一人の編者でもいらっしゃる山尾悠子さんにもご登壇いただきます。山尾さんどうぞよろしくお願い致します。

今回倉橋由美子さんの巻の編纂をやってくれないかと名指しでお願いしました。それは以前から山尾さんが倉橋さんを非常に好きだということを知っていたからですが、倉橋さんに対する思いみたいなものをちょっときかせて下さい。
山尾
  若い頃にリアルタイムで読み始めたのが初期の終盤辺りで、『反悲劇』とか。
礒崎
今回は『反悲劇』から一作入っていますね。
山尾
  あの頃から読んでいました。倉橋さんは私の20歳年上で、とにかく格好良いお姉様だ、という感じでしたね、当時の感覚としては。
礒崎
ずっと愛読されていたのですか。
山尾
  はい。ブランクがおありになってからの後期のお仕事もずっとリアルタイムで読ませていただきましたけれど、やはりどうしても初期のものが特別に感じられました。個人的にそう思うだけでなく、特別な立ち位置にあった特別な書き手であったと思うので。だから今回声をかけていただいて、倉橋由美子の自由な選び方をしていいと言われて最初に思ったのは、初期作品だけで選んでしまおうかなと。それから『酔郷譚』からは選ばないと。あれは最新で現役の文庫ですから、すでによく読まれているだろうと思いまして。どのみち年代順に偏りなく選ぼうと思っても、そもそもちょっと難しいんですね。解説にも書きましたが、初期のものはかなり長さのある短篇中篇が多いんですけれど、後期になると長篇以外はシリーズものの掌篇ばかりになってしまうので、どう選んでもアンバランスになってしまうのは仕方がないと。そして幻想小説としても晩年の代表作である『酔郷譚』から選ばなかったのはやはり間違っていたかなと、最後になってちょっと後悔しました。
礒崎
実は山尾さんがこういうアンソロジーの仕事をはたしてなさるのかなという、疑問といいますか、まあ駄目元みたいな感じでお願いしたんです。そしたらすぐやりますっていうご返事で。
山尾
  その時はあまり深く考えてなかったんです(笑)。大好きな倉橋さんの作品に関われるという楽しいイメージだけで。引き受けてから私などが編者をやってもいいのかという思いがずっとありました。
先ほどお話に出ていた『暗黒のメルヘン』ですけれども、あの中で女性作家で選ばれているのは倉橋さんだけなんですよね。そのことに触れておけばよかったなと後になって思いました。倉橋さんの当時の立ち位置みたいなものがその辺りによく表れているかなと。旧編日本幻想文学集成では女性の巻がわずか2巻だけで、幻想小説方面での過去の女性率の低さはただごとではないですね。そもそも女性作家というものが非常に少なかったこともありますけれど。女性の資質が幻想や豊かな空想力とは相反しているなどという事実はまったくないということは、現在の表現の世界の中で十分に証明されていますけど、それと較べて昔の状況ってなんだったんだろうかと。私が書き始めたのが40年ぐらい前ですけれども、途中でブランクが長かったものですから40年前と今との違いを余計に感じますね。40年前って本当にきつかったです。理解があって世に出られたんだろうという言われ方もするんですが、たいへん好き嫌いの分かれる作風だったわけでもありますから、こんなものを書かれては困りますという現場からの反発もはっきり言ってありました。初期の倉橋由美子のようなものは認めないという古いタイプの編集さんに出くわしたこともありましたね。私よりも20歳年上の倉橋さんが、当時どれほど大変な立場だったのかは想像するしかないんですけれども、想像出来るような気がします。だから倉橋さんの編纂をどうかと言われた時に、そういうところもちょっとあって引き受けさせていただきました。まあずいぶん僭越な書き方をしたと思えるところもあるんですけれど。
諏訪
倉橋さんも非常に理性的な抑制の効いた文体の方ですよね。海外だとそういう女性作家はたくさんいらっしゃるわけですが、山尾さんご本人の場合、海外の作家の影響だとかはお受けになっているんですか。
山尾
  海外で過去の女性作家で幻想というくくり方をするなら、シュルレアリスム系の女性作家とかユルスナールとか、これも現在でなく過去限定で振り返るなら案外少ないんじゃないでしょうか。日本でお手本にしたいと思うような女性作家の方というのはとにかく倉橋さん、その後いろいろ多くの方が出てらっしゃるんですけど。
諏訪
幻想のあり方においては、女性が幻想文学を書くとなれば、男性がやっていた時よりも一層フィールド、可能性が広くなると思うんです。
山尾
  倉橋さんがとにかく孤独な先駆けとして出て来られた。あのような文壇の寵児でいらした方と、私のような者の立場を較べてはいけないんですが、私はたまたま縁があってSF畑から出発しまして、SFの場所というのが40年前は女の書き手がただのひとりもいないという特殊な場所だったんですね。そういうところへ最初に入っていったわけで、だから非常に珍しく貴重な見聞が出来たという意味では得難い経験だったとも思いますし、当然ですが風当たりがきついところもありました。
諏訪
山尾さんの澁澤龍彥に関しての思い出は何かありますか。
山尾
  だからとにかく『暗黒のメルヘン』なんですね。幻想小説のアンソロジーはあれが日本では初めてですか。
礒崎
そう言っていいと思います。
山尾
  それであのクオリティ。
礒崎
いまだにあれを抜いているものはないんじゃないかと思います。
山尾
  だから当時若い頃はとにかく『暗黒のメルヘン』のようなものを澁澤さんがまた編まれるとして、その中に選ばれるような小説を書きたいというのが大きな目標としてありました。
諏訪
僕もそうです。澁澤さんという「メートル原器」というか「不変のハードル」というか、要するに高い目印があるというのは確実に書く側のモチベーションになりますね。

山尾悠子さんは、本当にもう溜息が出るほど幾何学的な幻想世界を書かれて、深く尊敬していますが、生前会ったことはないけどあの人には認められたかった、という方はいますか。
山尾
  あの『領土』をお書きになった、優れた幻想小説作家である諏訪さんに褒めていただいてたいへん光栄です。で、認められたかった相手といえば、だから澁澤さんですよ。
諏訪
え、澁澤さんとは一度も?
山尾
  私の創作は読んで下さっていたそうで、人づてに伝言をいただいたりはしていましたけれど、直接お目にかかってはいないので。鎌倉のお宅までいっしょに連れて行ってあげるよと言ってくださる方もあったんですけれど、とにかく畏れ多くて。腰が引けているうちに、あれほど早く亡くなられるとは思わなかったので、本当にあの時はショックでした。このかたから認められたいと思う相手はもう澁澤さんしかいないという感じでしたから、当時は。
諏訪
倉橋さんともお会いになってませんか。
山尾
  澁澤さんや中井英夫さんならば、私もお世話になっていた共通の編集さん、担当さんが複数いらっしゃいましたけれど。倉橋さんは純粋な文学畑のかたで、住む世界がまったく違いましたから。
礒崎
中井さんにはお会いしているんですよね。
山尾
  ええ。羽根木のお宅に若いひとたちも大勢招かれて、気軽に参加できるパーティーがよく催されていたので。一対一で格式ばってお目にかかったわけではないですね。
諏訪
さっき幻想文学って何だろうって話が出ましたが、山尾さんはどんなものが幻想文学だと思いますか。僕は文学で幻想的じゃないものって余りないんじゃないかという気がするんです。幻想文学のようでないようで、実はこれぞ幻想文学だというものって、本当はありすぎるぐらいあるんじゃないかと。幻想性のあるなしも、結局は個々の読み手次第というか。
山尾
  正直言って、幻想をあまり特別なものだとは思わない気持ちもどこかにありますね。極度に人工的な文章、人工的なスタイルで創りあげられた作品世界であれば、内容がいわゆる幻想っぽい奇矯な夢のようなものじゃなくても、たとえば日常生活を描いたものでも幻想になると思っているので。
諏訪
そうなんですよ。たとえば柳田国男の『故郷七十年』とか、ただの回想みたいなことだけでも幻想文学になりうると思うし、宮本常一の『土佐源氏』みたいに無名の誰かが語った事実の羅列や日記でも優れた幻想文学になってしまうものもあるはずだと。そういうことをよく考えます。
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