実用的な過去 書評|ヘイドン・ホワイト(岩波書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年1月20日 / 新聞掲載日:2018年1月19日(第3223号)

実用的な過去 書評
倫理的な歴史はいかにして可能か? 
相次いで刊行されるホワイトの翻訳

実用的な過去
著 者:ヘイドン・ホワイト、上村 忠男
出版社:岩波書店
このエントリーをはてなブックマークに追加
今年は日本語圏でヘイドン・ホワイトの翻訳書が三冊出版された。まず一九七三年刊行の主著で、「歴史の言語論的展開」を画した『メタヒストリー』(岩崎稔監訳、作品社)が四〇年を経てついに邦訳され、ホワイトの主要論文を編集した『歴史の喩法』(上村忠男編訳、作品社)も出た。本訳書が三冊目で、原著は二〇一四年の出版だが、歴史思想家ホワイトの最近の軌跡を辿ることができる。

歴史は過去に起きた出来事を、誰かが現在において語ることで「歴史」として認識可能なものとなる。言いかえれば、歴史とは事物や領域ではなく、「過去」を指示対象としてもつ概念に過ぎない。ホワイトによれば、「過去」は「痕跡」によってのみ知りうる。「痕跡」が指し示すものは何かが起きたという事実に他ならないが、それは謎であり、「謎への回答はたんに可能性にとどまるほかなく、それゆえ『フィクション』でしかありえない」(ix頁)。歴史的知識に関して、相対主義(過去をつくった者たちと過去に接近したいと望んでいる者たちの文化的前提が相対的であると認める)と、構築主義(歴史叙述を芸術的な散文というカテゴリーに属する構築物と見なす)の立場を取るホワイトは、政治哲学者マイケル・オークショットが提唱した「歴史的な過去」と「実用的な過去」との区別を採用する。「歴史的な過去」とは、「ひとつの構築物であって、かつては存在したがいまではもう存在しておらず、それらが存在した証拠もほとんど残していない、さまざまな出来事や事物の総体として理解された過去のなかから選択されたひとつのヴァージョンに過ぎない」(xiv頁)。すなわち「歴史的な過去」は、不断に変化する全体としての過去の一部に過ぎず、それゆえつねに、国家とか国民とか階級や制度といった特定の歴史主体を特定しなくてはならない。一九世紀初頭に西洋の大学で専門的な歴史叙述が確立したのも、ナショナルなアイデンティティの創造に役立つためだった。それに対して「実用的な過去」とは、個人や集団が実生活のなかで役立てる過去、「日々の生活や極限状況(破局、災害、戦闘、法廷闘争その他の抗争など、生存がかかった状況)のなかで判定し決断をくだすために参照する過去」である。私たちは誰でも日常生活のなかで過去から、現在の実践的な問題に対処するのに有用な情報やモデルを得ている。それは「記憶や夢、欲望からなる過去であると同時に、個人・集団双方にかかわる問題解決や、生存戦略・戦術の過去でもある」(12-13頁)。この「実用的な過去」を専門的な歴史家による言説としての「歴史的な過去」は周縁化し、学問的歴史家だけが真実と正義を結合すると主張してきたのだ。

ホワイトにとって、このような「実用的な過去」を使うために発展してきた主要なジャンルは、歴史を言及対象とした西洋近代のリアリズム小説であり、なかでもスコットやゲーテ、バイロンといった作家たちの歴史小説であったが、「歴史的な過去」だけを自分の研究対象とする専門的な歴史家たちは、小説を科学的・客観的な取り扱いには適さないという理由で排除してきた。西洋文学史において、このような伝統的なリアリズム小説は、プロットから歴史的な出来事を解放し「実用的な過去」を採用したモダニスト(ジョイス、パウンド、プルースト、ウルフなど)によって改変され、さらにそれがポストモダニズム作家(ピンチョン、デリーロ、ロス、ギャス、マッカーシー、クッツェーなど)によって新たな歴史小説として甦ったと、ホワイトは考える。その観点からホワイトは、二〇世紀におけるホロコーストやジェノサイド、人種差別、植民地主義の歴史、すなわち西洋近代の帰結として起きた民族・階級・人種・ジェンダーをめぐる暴力的な過去と「折りあいをつける」必要性から生み出され、「フィクションとは、歴史の抑圧された他者である」(ミシェル・ド・セルトー)という言明を実現した作品として、W・G・ゼーバルトの『アウステルリッツ』、トニ・モリソンの『ビラヴド』、プリーモ・レーヴィの『これが人間か』、H・G・アドラーの『旅』、ザウル・フリートレンダーの『絶滅の歳月』といった文学/歴史書について論じていくのである。

このように「実用的な過去」を重視するホワイトの姿勢は、カントが「実践的な問題」と呼んだ「倫理的な」問い、すなわち歴史的知識の正しい使い方と、誤った使い方との境界線はどこに引かれるのか、という難問を引き寄せる。「実用的な過去」は私たちが倫理に関心を持つときに振り返る過去なのだ。それは歴史修正主義、つまりホロコーストや「従軍慰安婦」、南京大虐殺を否定する言説、さらには昨今の「ポスト・トゥルース」といった現象とも切り離せない。これに関連して、岩波現代文庫で復刊される保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』のなかから、アボリジニの歴史実践をめぐって、歴史への「truth真正さ」ではなく「truthfulness真摯さ」を、という著者の提言を引用しよう――



 グリンジの歴史実践は、近代実証主義的な経験論とは異なる仕方で〈歴史への真摯さ〉を紡ぎだしているということができる。グリンジ・カントリーで営まれている「地方化され」「超自然的な」歴史分析において、大蛇もクックも<経験的な歴史への真摯さ>のうちにある。この〈経験的に真摯〉であるという特徴こそが、グリンジの「危険な歴史」が、例えばホロコースト否定論者が営む「間違った歴史」と根本的に異なる点である。というのも、歴史修正主義者の多くが、<真摯さ>を通じた多元的コミュニケーションを求めてはおらず、むしろ自分たちの〈歴史的真実(虚構)〉を排除的に普遍化しようとするコロニアルな欲望に基礎づけられているのに対し、グリンジの歴史物語りは、あくまでもローカルな文脈において歴史の多元性と共奏を基礎に営まれ、相互的交渉関係のなかでたち現れてくるからである。〈歴史的真実〉は、しばしば閉鎖的で排他的になる。しかし〈歴史への真摯さ〉は、他者に対して開かれている。(お茶の水書房版、230-31頁)



ここで「多元性」や「地方化」という語が示唆するように、歴史とは実証主義によって網羅できない、数限りない複数の事象に満ちた複雑怪奇な事象だ。「真摯さ」に基づく歴史実践は、自らの語りを唯一真正なものであると主張する必要はない。それは歴史修正主義のような他者支配の欲望とは無縁である。ホワイトの言葉によれば、「ホロコースト否定論者への正しい応答は『それは真実か』ではなくて、『その否定論を突き動かす欲望の根底にあるのは何か』と問い質すことなのだ」(55頁)。

人間を特徴づけるのは、あらゆる人がつねにすでに「歴史している」ということだろう。歴史を「歴史的な過去」の閉鎖性から解き放って「実用的な過去」の倫理的な関心を指向するホワイトの歴史実践は、専門的な歴史学者もアボリジニも含めたあらゆる存在を歴史する主体として認知することによって、「真実」の呪縛から歴史を「抑圧された他者」の領域へと開くのである。
この記事の中でご紹介した本
実用的な過去/岩波書店
実用的な過去
著 者:ヘイドン・ホワイト、上村 忠男
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
このエントリーをはてなブックマークに追加
本橋 哲也 氏の関連記事
ヘイドン・ホワイト 氏の関連記事
上村 忠男 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
歴史・地理 > 歴史学関連記事
歴史学の関連記事をもっと見る >