愛 (愛・性・家族の哲学 第1巻) 書評|藤田 尚志・宮野 真生子(ナカニシヤ出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年9月9日 / 新聞掲載日:2016年9月9日(第3156号)

愛 (愛・性・家族の哲学 第1巻) 書評
若い書き手中心の野心的シリーズ ――愛・性・家族を考える契機に―― 

愛 (愛・性・家族の哲学 第1巻)
出版社:ナカニシヤ出版
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愛・性・家族の哲学と銘打たれたこのシリーズは、藤田尚志・宮野真生子編の『愛―結婚は愛のあかし?』『性―自分の身体って何だろう?』『家族―共に生きる形とは?』の三巻からなる本である。タイトルからしても興味深く、書き手も若い著者が多く、野心的な本である。

第一巻の『愛』では、第六章の「近代日本における『愛』の変容」(宮野真生子)が、読み応えがある。宮野は、「愛」という言葉を中国語、やまとことば、キリスト教のLOVEと腑分けし、キリスト教との接触ののちに、「愛」が「無償の」「誓うもの」といった高尚なイメージが付加されるようになったという。「恋愛」という言葉が明治時代に発明されることによって、恋愛は女性の地位を向上させるものとなった。肉欲を排するキリスト教的なLOVEを媒介にすることで、「本当の恋愛」が「愛ある結婚」へと結びつく契機が得られたのだと主張される。

ところが北村透谷の例を持ち出すまでもなく、実際には恋愛と結婚は激しく対立してしまう。「恋愛と理想化された結婚のあいだに存在する大きな断絶をキリスト教の信仰をもたない者はいかにして超えるのか」。そこで登場するのが、「一つになる」「距てなくつながりたい」という願望であると、宮野は考える。これまで麗しいとされてきた高村光太郎と智恵子の恋愛は、「光太郎を選ぶことが、そのまま「芸術の価値を知りぬいて居る」「人間の奥底の見える」自己同一性を選択することだと錯覚できるような眩惑を含む、巧妙な罠」(黒澤亜里子)そのものであり、智恵子は「新しい女」、近代的で自由な人間になろうとしたからこそ、この罠にはまってしまい、最後には狂気に陥るしかなかった。「一つになる」という恋愛のプロジェクトは、そもそも不可能な試みなのである。

第二巻の『性』では、第四章「「脳の性差」と「自然」―「男脳」「女脳」って―」(筒井晴香)が、興味深かった。私たちの社会にみられる「脳が男だから」「女は脳まで女なのだから」「文系脳」といった表現は、厳密に脳について考察しているというよりは、たんなるメタファーの次元にとどまっている。筒井はまず、私たちはなぜそういった語りをするのかと問いかける。

脳における性差はさまざまな研究があるが、まず科学研究の世界では、「差が見られない」ことよりも「差がある」という結果が出た研究のほうが、刊行されやすいというバイアスがある。また性差にかんしては、研究によって測定するものがばらばらであったり、時代によってかつては見られた性差が見られなくなったり、などなどの研究上の問題点があるという。確かに、私たちは成績などの達成を家庭などの社会学的な格差の結果としてみることに熱心であり、生得的な能力差としてみることにかんしてはある種の慎み深さがあるのに、なぜ性差にかんしてのみ、生得的なものとしてみることに情熱を燃やすのかという疑問がわいてくる。筒井は、思春期や成人におけるテストステロンは、攻撃性を高めず、むしろ競争心や攻撃的な気分が生じた結果としてテストステロンが上昇するという説を紹介しているが、この視点の転換は面白いと思った。

結局は、科学は何を証明したいと私たちが考え、結果をどのように解釈するのかという、社会的な問題と無関係ではいられない。もしも脳に性差があるという結果があったとして、その結果として性別役割分業を肯定するとしたら、それは自然主義的誤謬であると筒井は主張する。交通事故が起こることは、交通事故が起こるべきだという命題を生み出さない。むしろ、その防止に意識が行く。そうであるならば、性差をむしろなくすようにするべきだという結論が導き出されたとしてもよい。また平均で差があるとしても、その差を絶対としてステレオタイプを作り上げることは、暴力として機能することすらあると筒井は警鐘を鳴らす。個人的には、「脳」を理由にすることは、合理的で理性主義的な人間像を批判し、「人間のより現実的な側面の受け皿として機能」しているという説に賛同する。「脳がこうだから、仕方がないのよね」というように。

第三巻の『家族』では、第一章「結婚の形而上学とその脱構築―契約・所有・個人概念の再検討―」(藤田尚志)が有益であった。結婚を支える概念系としては、「契約・約束」「所有・優先権」「人格・個人」の三つの柱があるという。「契約・約束」系では、結婚を契約の側面から定義するカント、それを止揚するヘーゲルを紹介する。また「所有・優先権」としては、あらゆる所有の放棄を求めるマルクス、所有に時間性を組み込むアドルノ、「人格・個人」の公理では、ドゥルーズ=ガタリから始まり、「ポリアモリー」の試みまでをすっきりと紹介していく。わかりやすい。

ただ優れた紹介であることを前提にいえば、個人的にはもう少し、フェミニズムの理論が入ってもよかったのではないかと思う。例えば、性器中心主義の批判のあたりは、私であったらかなり前に同様のことを述べているイリガライで記述するだろう。ぎゃくに上野千鶴子の結婚の定義は、「性を異にする二人の人格の、性的特性を生涯にわたって相互占有するためになす結合」というカントそのものであり、そういった側面からフェミニズム思想を検討することもできるなと考えたりするのも、興味深かった。

全体を通じての感想としては、アンソロジーという性質上、本全体の構成も、個々の論文のあり方においても、いろいろな議論を広く浅く網羅的にまとめてもらえるとありがたく感じた。ある特定の立場に立って議論を喚起するようなタイプの論文は、なかなか紙幅の都合上深く論じることは難しく、とくに(私が)筆者の立場に賛同できない場合は、少し消化不良の気持ちが残った。それでも愛・性・家族を考える契機としても、面白い本である。
この記事の中でご紹介した本
愛 (愛・性・家族の哲学 第1巻) /ナカニシヤ出版
愛 (愛・性・家族の哲学 第1巻)
著 者:藤田 尚志・宮野 真生子
出版社:ナカニシヤ出版
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