お春 書評|橋本 治(中央公論新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年9月9日 / 新聞掲載日:2016年9月9日(第3156号)

お春 書評
谷崎作品へのオマージュ 見栄を切りながら花道を闊歩する「夢のような愚かさ」

お春
出版社:中央公論新社
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お春(橋本 治)中央公論新社
お春
橋本 治
中央公論新社
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昨年の谷崎没後50年と、今年の生誕130年を記念して、新全集も刊行している谷崎ゆかりの版元からオマージュ作品の企画として委嘱されたシリーズの一巻である。今回の作品は「刺青」を代表とする江戸末期を舞台に書かれた作品へのオマージュというべきだろう。帯に作者の言葉として、普及版全集が刊行され始めた二十四歳の時に第一巻所収の『刺青』の冒頭――<其れはまだ人々が「愚」と云ふ貴い徳を持つて居て、世の中が今のやうに激しく軋み合はない時分であつた>を読んで、「我が事か」と思った由が書かれている。本書はそんな作者が「夢のような愚かさを書いてみました」という――ほとんどそれは豪語というべきだろう――野心作なのである。

安政二年、浅草の乾物商の大店北国屋の一人娘、十七歳のお春は、手代の中で一番若い二十一歳の清七に心を寄せているが、ある夜大胆にも寝所にやってきたのは三十過ぎの二番番頭の伝九郎だった。しかし彼女は色事を知りたい欲求を抑えられず、むしろ進んで身を任せてしまう。二年前に死んだお春の母親は、美しく奔放な女で、死んだ際には見知らぬ男の子供を孕んでいた。そんな母への嫌悪と裏腹に、未熟な若い娘でしかない自分に苛立ち、母譲りの淫蕩な血が騒ぐのを抑えきれないのである。

お春が母の遺品の着物に見入って溜息をもらす場面がある。質素なはずの木綿の縞物であるにもかかわらず、見事なほど手の込んだ、上品な誂えだった。その描写は次のようだ。
<濃い藍の織糸の中に濃い紫の染め糸が入り込み、淡い藍の中には萌黄の糸が忍び込ませてある。袖口から顔を覗かせる裏地は紅絹で、その色が下から木綿の生地に不思議な色気を与えている。>

衣装が人格も心も包みこんで表してしまう。まさに江戸の粋である。それに対して、縁談相手との顔合わせのために桜が満開の隅田川へ舟遊びに出かける衣装にお春が選んだのは、「大振りの麻の鹿の子模様を大胆に赤と浅黄で染め分けた絞りの振袖」と、「金茶色の地に扇と八重桜を散らした縫い取りの帯」であった。不在の母へ葛藤というより、女同士の意地を張った競争が、お春の行動を操っている。相手となる男は、つねに自分の女を上げるための道具でしかない。この物語を貫くのは「恋」ではなく「色」なのだ。

さて、お春を襲った伝九郎は使い込みが露見して行方をくらますが、舟遊びの晴れの場に現れて、彼女を駕籠に押し込んで誘拐してしまう。そのあたりから芝居を見ているような臨場感あふれる活劇となってくる。その危機を一人の#kanji51DB々しい侍が救ったが、一転して今度はこの男の屋敷に連れ込まれ、彼女は囲われて暮らすことになる。季節は春から陰気な梅雨へ、がらりと雰囲気が変わる。屋敷には人影がほとんどなく、一人いるだけの女中から嘲りの視線を向けられながら、お春は男を迎え続ける。女への不信を抱えたこの男もまた、心にトラウマを病む厄介な男なのである。

ペリーの黒船が浦賀に現れたかと思うと、大地震が江戸を襲う激動の時代を背景に、情痴に魅入られて人生が狂っていく人間の「愚かさ」を、最期の仇花のような江戸文化の華やぎを纏わせて本書は物語る。谷崎は前近代の<「愚」と云ふ貴い徳>の中に、マゾヒズムという近代を盛り込んだが、本書はさりげなく家族という因果がもたらす今日的なトラウマを盛り込んでいる。しかしお春は、淫蕩な血に呪われて堕落する不幸な女ではなく、一貫して堂々としている。決して後悔せず嘆かず、胸を張って生きていく。人の「愚かさ」を目くじら立てて責めるばかりの現代の世相に向こうを張るように、本書の「夢のような愚かさ」は見栄を切りながら花道を闊歩しているのである。
この記事の中でご紹介した本
お春/中央公論新社
お春
著 者:橋本 治
出版社:中央公論新社
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