時代を「写した」男 ナダール 1820-1910 書評|石井 洋二郎(藤原書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年1月27日 / 新聞掲載日:2018年1月26日(第3224号)

写真機械と化した怪人 
ナダールは消え、透明になる

時代を「写した」男 ナダール 1820-1910
著 者:石井 洋二郎
出版社:藤原書店
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この本は写真家とモデルの交錯する視線を中心においた、中身の濃いナダール評伝である。

ほとんどの写真でモデルはナダールを見ている。「妖気」漂うボードレールが(図0―1)、犀利なジョルジュ・サンドが(図0―2)、花を口にくわえた妻のエルネスチーヌが(図0―4)、写真家に視線をそそぐ。

次の写真はどうか? ここではまなざしは石井も指摘するように、単純に一方向ではない、もっと複雑なはたらきをしている。一〇〇歳になった老化学者シュヴルールを撮った数枚である。一八八六年、六十六歳のナダールは三十歳の息子ポールを伴って高齢の化学者にインタヴューした。石井が述べるように、特集記事は新聞の一面に発表され、「対話と写真を組み合わせたルポルタージュという形式は、当時としては最初の斬新な試みであったから」、大きな評判を呼んだという。

撮ったのはポールである。プルーストの写真を撮り、写真史に名を残す写真家だ。そのポールが撮り、父のナダールがインタヴューした写真は、シュヴルールのポートレイト写真も、インタヴューの写真も、ともにポール撮影の写真として本書に収録される(図16―6、7)。当然である。

ところがなんと、これがフランスの叢書「フォト・ポーシュ」の写真集『ナダール』では、ラストから二枚目と三枚目に収められる。その集のラストは、『明るい部屋』のロラン・バルトが「世界中でもっとも偉大な写真家」と折紙をつけた、ナダールの妻の(先にあげた)写真である。母への服喪として書かれた写真論に当然掲出されるはずの、母を撮った写真の代わりに置かれた、バルトが世界最高の写真家の最高の写真と認めた作品である。

ポールの撮ったインタヴュー写真が、ナダールの名を冠した写真集の、最重要の位置におかれる。これはどういうことか?「フォト・ポーシュ」の編集に手違いがあったのか? 

そうではない。ここでは石井の述べる、もっと高度な、視線をめぐる今日的な出来事が進行している。もう一度、本書の写真ページをごらんねがいたい。インタヴューではシュヴルールはむろんインタヴュアーのナダールを見ている。しかし(写真家の方を向く平板な一枚を除いて)、写真家を見ていない。ナダールもむろん写真家を見ていない。老化学者は口角泡を飛ばす勢いで、ナダールは横顔をのぞかせるだけだ。その手にはプロのカメラマンの黒手袋が見える。

ナダールも撮影に携わったのか。シュヴルールの顔面を照らすライトや、カメラの位置を指示したのか。ナダールが影武者なのか? いや、ここではナダールはモデルになり、被写体になって正面にまわる。

写真としてすぐれているのは、ポートレイト写真である以上に、ポールがインタヴューを撮った一枚だろう。ここには著者がこれらの写真を論じて、正確な時代意識で指摘するとおり、当時最新のイーストマン・コダックのフィルムが可能にした、「瞬間」の写真が生々しく息づいている。

話に熱中するシュヴルールも、巨体の左半身を見せるナダールも(これこそ石井の言う「怪物」の身体だ)、そして両者のインタヴューを撮るポールも、一個の魁偉な〈ナダール〉という写真機械と化して、傑作の完成に邁進したのではないか? この写真では個人の名前や写真家の個性は消えて、おそるべき写真機に化けたナダールが動き出したのではないか? これは妖怪が撮った、「怪物」の写真ではないのか? 

『時代を「写した」男 ナダール』――いみじくも名づけたものである。その時代というのは、本書ですぐれた歴史書さながらに生き生きと活写された、第二帝政から普仏戦争をへて第三共和政にいたる、パリがもっとも華やいだ時代。世界最大のポートレイト写真家は、この一枚の写真で自分を消し、〈私〉を消して、時代を写したのである。メディアを写したのである。

ナダールは大部の本書で、あますところなく彼の怪物性を開示している。

怪人の生涯を「写した」、瞠目すべき評伝の誕生だ。
この記事の中でご紹介した本
時代を「写した」男 ナダール 1820-1910/藤原書店
時代を「写した」男 ナダール 1820-1910
著 者:石井 洋二郎
出版社:藤原書店
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