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読書人紙面掲載 書評
2018年1月27日

言葉(文字)に向けられた眼差しの執拗さが浮かびあがる

楽天の日々
著 者:古井 由吉
出版社:キノブックス
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楽天の日々(古井 由吉)キノブックス
楽天の日々
古井 由吉
キノブックス
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平成が終わりつつある。三十年という歳月をふり返る。西暦と交差させつつ東西冷戦の崩壊から動乱とか激変という言葉を用いたくなり、国内においても平成二十三年、二〇一一年の東日本大震災が生々しい記憶として現前している。

古井由吉のこのエッセイ集は、一九九〇年、東西ドイツ統合の折にドイツ、ウィーン、プラハなどの旅の記録「平成紀行」から近年まで二十七年に及ぶ、雑誌や新聞に発表してきた文章の集積である。

講談社文芸文庫に再録された自作(『雪の下の蟹―男たちの円居』は昭和六十三年の文章)についての解説(『水』『山躁賦』『槿』『仮往生伝試文』『夜明けの家』『聖耳』『白暗淵』そして「本」に発表した『野川』の自作解説)も収録されているので、この半世紀にも及ぶ古井文学の全貌をはるかに眺望することもできるだろう。

『杳子』(芥川賞・一九七一年)で文壇に登場して以来、古井由吉という作家は小説というジャンルを広げかつ深化させながら、明治近代化からの言文一致、口語文の歴史のピークを形づくってきた。近刊『ゆらぐ玉の緒』(二〇一七年)もそうであるが、それは西洋語からの翻訳文学としての近代小説と、この国の千年の日本語による古典の表現の峰とも遠望させずにはおかない内実を持っているが、本書前半に集中する「文体」をめぐるエッセイからは、この作家の言葉(文字)への異様ともいえる凝視が浮かびあがってくる。言葉(文字)に向けられた、その眼差しの執拗さは中島敦の『文学禍』やホフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』を連想させる、あえていえば何かしらの狂気を孕んでいる。

《明治に生きた文学者たちの文章には、達意に自足したような境地が随所に見える。文語文あるいは漢文の骨に支えられているせいか。しかしよくよく読めば、苦渋に満ちた文章でもある。達意どころではない、と著者が目を剥くようなところがある。あるいは明治こそもっとも文体の昏乱した時代であったのかもしれない》(「達意ということ」)

漱石、荷風、秋聲、藤村、芥川の作家の文体への関心が、その作品というよりは文字通り言葉(文字)への眼差しから語り起されている。各々のエッセイはもちろん短いので断片的な記述ではあるが、たとえば芥川の遺稿『歯車』に頻出する「が」という接続の文字から、次のように指摘するくだりは驚く他はない。

《もしも無数の半透明の歯車が互いに噛みあって回りながら、音にはならぬ軋みを伝えているとすれば、「が」の反復こそ、これと響き交わすか。不協和音は古来、天地の安寧を乱すものと忌まれるそのまた一方で、霊異の出現に伴うものとされていたらしい。/ここから初期の作品を振り返ってみれば、「老年」は伝来の口調を踏まえた利により、接続の佶屈を綺麗にまぬがれている》(『「が」地獄―芥川龍之介』)

これは芥川論というよりは、芥川の言葉(文字)に憑依する古井氏自身の、近代口語散文との「不協和音」の証しであり、それは嘉村礒多の小説を読み返したときの次のような指摘も同じである。

《……私はこのたび読んで、嘉村の小説の中ではしばしば、私小説の核とされている自我までが、こわされているのではないかと思った。(中略)ひとたびこわれた「私」の永却のような反復からか。考えるほどに、極地まで行った私小説の、背理に行きあたる。この背理が力なのかもしれない》(「達意ということ」)

古井氏の「読み」は批評家のものでも、単なる精読者のそれとも違うのはすぐに気づく。そこには小説家自身の書くこと、エクリチュールの身体が受肉しているからである。本書の中を流れる時間、つまり平成の三十年という歴史もまた、この時代の唯中で小説を書き続けてきた作家の「身体」との関わりによって叙述される。

《それにしてもどうして、世の中の変動と自身の故障と、その時期がおおよそにして重なるのか。まずは偶然の符合である。しかし戦後を何十年も生きてきた者として、その間に世の中に溜まって限界にまできた歪みに、身体の内にも溜まった歪みがおのずと反応する、ということもあり得る》(「平成随想―後記」)

むろん「偶然の符合」ではない。古井文学の読者ならば、この三十年の作家の一作ごとの言葉の登攀とうはんが、この「世の中」と古井氏自身の「身体」との葛藤と軋轢から生み出されてきたのは明らかであろう。最後に、本書のタイトルから容易に連想されるのは、平成二年(一九九〇年)に連載が始まる『楽天記』である。八〇年代後半の狂躁の景気の果てに現れて来るものの正体――それは経済バブルの崩壊や冷戦の終結という顕在化した事件や激変ではなく、その底にあって沈黙した獣のように不気味にうずくまっているもの――を、その不可視のものを放蕩息子の帰還から描き始める『楽天記』。この真に戦慄すべき作品を改めて今日、読み直すためにも、このエッセイ集はひとつの契機になるだろう。
この記事の中でご紹介した本
楽天の日々/キノブックス
楽天の日々
著 者:古井 由吉
出版社:キノブックス
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年1月26日 新聞掲載(第3224号)
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