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更新日:2016年9月9日 / 新聞掲載日:2016年9月9日(第3156号)

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実験の精神と創造性の思想 松本俊夫の多様性と一貫性 


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『松本俊夫著作集成』(全四巻)の刊行が始まった。第一巻は、一九五三年から六五年までの文章が収録されており、真っ赤な表紙に逆さまの文字で「前衛芸術論のハードコア」と書かれた印象的な装丁となっていた。今後刊行される第二巻が一九七一年まで、第三巻が一九七九年まで、第四巻が二〇一二年までで、ほぼ六〇年間に及ぶ松本の文章をまとめて読むことができるようになる。

松本俊夫は、戦後を代表する映像作家であり、一貫して映像表現の実験性を追求した。松本の作品は、記録映画、PR映画、劇映画、実験映画、ビデオアート、さらには映像によるパフォーマンスやインスタレーションと多方面に及んでいる。戦後の実験映像の動向を一身に担った作家であって、さまざまな方面において先駆的な業績を残した。

一方で松本は、かつて美術評論家を目指したこともあり、映像作家として活動しながら評論家や理論家としての役割も担ってきた。松本にとって作品を制作することと文章を書くことは不可分の関係にあるが、『著作集成』を読むうえでは次の二つの側面に注目する必要があるだろう。

ひとつは、時代の証言としての側面である。松本の文章の多くは依頼原稿として書かれていて、当時話題になった映画の批評、同時代的な芸術の動向に対する分析、そのとき制作した自作の解説であったりする。論客であった彼は、当時の状況や論者の見解を鋭く批判しており、そこから論争が起こることもしばしばであった。松本の文章にはつねに同時代的な問題意識が反映されていて、それぞれの時代の状況や芸術を考えるための貴重な思索の記録となっている。

もうひとつは、時代や状況が変わっても一貫して主張されている思想としての側面である。松本は、ジャンルを横断しながら新たなスタイルを取り入れることで、映像表現のあり方を拡張してきた。その作品は実に多様だが、実験的な表現を試みている点で共通している。そして彼は、作品の前提にある実験の精神をさまざまなかたちで理論化してきた。

松本が一九五〇年代末頃に提唱した「前衛記録映画」はその原点といえるものだ。これは、外部の現実を捉える記録映画と内部の現実を捉える前衛映画という対立的な映画を弁証法的に止揚することで、現実を新たに捉え直そうとする方法だった。もともと「前衛記録映画」は、当時の硬直化した記録映画に対する問題提起として主張されたものだが、記録映画の問題を超えた普遍性をもっている。

一貫して松本の関心は、わたしたちの日常を暗黙のうちに覆っている制度的、イデオロギー的な自然らしさを引きはがすことに向けられている。ただしこのとき彼の念頭にあったのは、社会的な制度や政治的なイデオロギーだけにあったわけではない。制度的なものは外なる世界だけではなく、内なる世界、つまり人間の意識の内側にも存在する。わたしたちは、無意識のうちに規範的な見方に慣らされており、何事も決まった見方でしか見ようとしなくなっている。

松本にとって表現の実験とは、こうした惰性的な状態を打ち破るためのものであった。つまり、非日常的で新鮮な驚きをつくりだすことで硬直した日常性に揺さぶりをかけ、世界の活性化を図ることを目指すものだった。このときわたしたちは、未知の世界や自分自身に立ち合い、そのなかで新たな視覚や思考を誕生させることになるだろう。彼にとって新しい技術や斬新な技法は、この未知の世界を開示するための手段にほかならない。

この意味で実験とは、なんらかの目標に到達すれば終わりというものではない。それは、制度に支えられた膠着状態を不断に揺さぶり続けることであり、みずからをつねに新しい価値観に投げかけていく不断のプロセス、わたしたちと世界の関係を生き生きとしたものに変えていくための絶え間ない実践であった。

結局のところ松本の提示した議論は、創造性の問題に収斂するといえるだろう。それは、松本が作品を制作するうえでの前提であるが、あらゆる芸術表現に敷衍することのできる問題であり、さらにはわたしたちが世界に向き合うときの態度の問題でもある。松本は、映像表現を出発点としながら、人間が創造的に生きることの意味をたえず問い続けたといえよう。
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