セザンヌの地質学 -サント・ヴィクトワール山への道- 書評|持田 季未子(青土社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年2月3日 / 新聞掲載日:2018年2月2日(第3225号)

大学の窓に映るサント・ヴィクトワール山

セザンヌの地質学 -サント・ヴィクトワール山への道-
著 者:持田 季未子
出版社:青土社
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不思議な本だ。今、セザンヌについて書くことは勇気がいる。小説家ゾラとセザンヌの関係を描いた映画『セザンヌと過ごした時間』の公開を追う時期、昨年十一月に持田季未子が著した『セザンヌの地質学 サント・ヴィクトワール山への道』は、どのように造山された書籍なのか。

セザンヌを巡る状況を見る。没後百年を迎えた二〇〇六年を中心に世界各地で展覧会が開かれ、日本でも二〇一二年の国立新美術館ほかで幾度か展覧会が実施された。作品の前で繰り返し確認できるのは、この画家の再々読解可能性だ。論文生産も持続的で先行研究を把握するのも難しい。近年の国内では雑誌『ユリイカ』(青土社、二〇一二年四月号)で「セザンヌにはどう視えているか」という特集が組まれ複数の刺激的論考が書かれた。平倉圭「多重周期構造」はローレンス・ガウィングを踏まえつつタッチの分析を推し進め複数の“空間周波数”が折り重なる構造に着目する精細さを見せている。更に平倉の論を起点に佐藤雄一は「リズモロジーの方へ――セザンヌリズム」を書いた(『ARTTRACEPRESS』02、03、04、ARTTRACE、発行は各二〇一二、一五、一六年)。こちらもドメインという発想のもとユニークな文章となりえた。いずれにせよデジタル的ともいえる高密度はセザンヌ分析において踏まえるべき水準となった筈だ。

本書はそのような密度の追求とは異なる考え方で書かれている。持田は(平倉や佐藤と違い)セザンヌが「いかに」描いたかではなく「何を」描いたかを関心の的にすると明言する。初期作品の切り通しの断面の暴力性、レスタックの風景画の足場のなさやガルダンヌを描いた作品の抽象的構成への近接を一瞥しつつ、ビベミュスの石切り場あるいは「人の住まない家」の作品の特徴などが観察される。セザンヌの位置が不確定である事などは本書の注目する要素として気になる。非人間性または鉱物性というような興味深い主題が、しかし厳密に掘り下げられるというよりは散りばめられ、読者の関心を次々に宙に浮かせる。

問題点は指摘する必要がある。論点に対し出される結論が著者の推論「~ではないか」と感想「AとBは似ている・関係している」にとどまるため、専門書というよりエッセイ的で物足りない。七章「巨人のいる場所」は多くを占めるプッサンへの記述と出番の少ないセザンヌの関係が十分に説得的ではない。各テーマは様々なエピソードに分断され、その連続が冒頭に書いた不思議な読後感になる。本書が『ユリイカ』と同じ青土社から出される事もあり、同誌セザンヌ特集の反映は望まれると思うのだが『セザンヌの地質学』の書かれ方を見れば、こういった期待の先にある本ではないことは体裁上示されるべきではなかったか(この点は著者以上に編集者の見解を訊ねたい)。

『セザンヌの地質学』というモティーフの追求は、この本の数倍の厚みを必要としているのかもしれない。著者は本格的なプッサン論を構想していると書いているが、プッサンであれセザンヌであれ、本書の先には何らかの形でより深い掘削と精練があるものと信ずる。主要文献は巻末にリストがあり(上記『ユリイカ』も挙げられている)この本を契機に深い論を読みたくなった者には助けになる。春の大学新入生を前にした、素材や教養が不意に散らかっている授業、それを書き留めたノート――この本はそのような形で手に取られることが、読者・著者双方にとってより幸福ではないか。
この記事の中でご紹介した本
セザンヌの地質学 -サント・ヴィクトワール山への道-/青土社
セザンヌの地質学 -サント・ヴィクトワール山への道-
著 者:持田 季未子
出版社:青土社
以下のオンライン書店でご購入できます
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