柴田元幸氏インタビュー 小説の良さを伝える翻訳 『ハックルベリー・フィンの冒けん』(研究社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2018年2月9日

柴田元幸氏インタビュー
小説の良さを伝える翻訳
『ハックルベリー・フィンの冒けん』(研究社)刊行を機に

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第2回
翻訳は自然さも等価じゃなきゃいけない

――この小説を日本語に訳す際に柴田さんは、ハックは学校に行かされたこともあるのだから、彼が日本語を書くのであればこの程度の漢字は書けるだろうということで、たとえば「冒険」を「冒けん」とされたようにかなりの言葉をひらがな混じりの表記にされています。翻訳にあたってどの言葉をどのように表記するか苦労されましたか。
柴田 
 そこはいつも考えていましたね。苦労ではないけど、つねに「ハックにこの字は書けるか?」と自問して、表も作りました。

――原文のハックの語りは文法や句読点の位置が通常とは違っていたり、単語の綴りが間違っていたりするわけですが、この語りを日本語にするのは、文字表記の問題だけではなくかなり難しかったのではないかとも思ったのですが。
柴田 
 そうでもないです。この小説に限らず、翻訳しているときは、こいつはどう喋っているのかと耳を澄まして、聴こえてくるものを書き取っているという感じなんですね。で、良い小説のほうがくっきり聴こえてくるんです。だから良い小説のほうがむしろ訳しやすい。大衆小説の紋切り型に乗っかった、ボイスが定まってない小説からはそうしたものが聴こえてこないので、むしろ訳しにくい。その意味ではこんなに訳しやすい小説はないとも言えます。幸い英語はそんなに難しくないしね。それとマーク・トウェイン研究はすごく盛んだから、マーク・トウェイン・レキシコンというトウェインの語法に重点を置いた辞書もあるし、注釈本もいっぱいあるので、そういうのを見れば、この英語は何を言っているのかわからないといったことはほとんどありません。で、意味、聴こえ方、漢字、この三点を意識ながら訳していって、実際日本語にした時に読んでわかりやすい字づらになっているかを考える。たとえば、この漢字はちょっとハックには書けないかなと思っても、「鐘が鳴る」とかの「鳴る」をひらがなにするとすごくわかりにくくなるから、そこはあえて漢字にする。わかりにくいと思わせたら負け。ようするに翻訳者の自己満足だと読者に思われたらもうおしまいなので、そこはすごく計算します。語り方、書き方のリアルさと読みやすさをどう噛み合わせるかですね。とにかく原文で引っかからないのだったら訳文も引っかかってはいけないということは結構意識します。その結果がうまく行っているかどうかは、読者に決めてもらうしかありませんが。

あと、読者はいちいち意識しないかもしれませんが、漢字とひらがなが混じっているということが、ある種知的なものに対する揶揄というか批判になっているということは伝わってほしいです。解説にも書きましたが、たとえば原文ではcivilise(文明化する、しつける)がsiviliseと綴りが違って表記されているところなどは明らかに皮肉な意図が見えます。ようするにきちんとしたものをからかう姿勢があることは伝わってほしい。もちろんこれは、ハックが意図していることではないんですけどね。この小説は何が良いかというと、ユーモアはいっぱいあるけどハックはほとんど笑いを取ろうとは思っていないところなんです。だけどやっぱり無知だから変なことを言ったりしてそれが笑いになる。さらにハックから見ればジムはもっと無知で、ジムの無知からいろんなおかしいことが生まれるのがハックにはわかる。でもハックの無知から生じるおかしさはハック自身にはわからなくて読者にはわかる。そういう意味ではヒエラルキーの一番下にいるジムが、道徳的には一番正しいことを言うという逆説もとても大事なんです。

――それが日本の読者に伝わるように意識されて訳されたということですか。
柴田 
 すべての小説について言えることですが、こういう時に日本人は日本語ではこのようには言わずにこう言うんだ、と判断して、だいぶ意味は違うけれど思い切って意訳することは常にあります。この小説の場合はそれが多いですね。つまり翻訳ではいろんなことを伝えなきゃいけないわけです。いろんなことを等価で再現しなきゃいけない。もちろん意味が等価であるというのはひとつありますが、自然さも等価じゃなきゃいけない。よくすごく不自然な日本語の訳を作って、原文ではこう書いてあるんだからこれでいいんだと言う人がいますけど、自然さも等価じゃなきゃいけないというところが全然抜け落ちていたりする。こういう小説の場合には自然さはとても大事です。もしかしたら場合によってはいわゆる表面上の意味以上に大事かもしれない。
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この記事の中でご紹介した本
ハックルベリー・フィンの冒けん/研究社
ハックルベリー・フィンの冒けん
著 者:マーク・トウェイン
翻訳者:柴田 元幸
出版社:研究社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年2月9日 新聞掲載(第3226号)
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