代表の概念 書評|ハンナ・ピトキン(名古屋大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!
▶メールマガジン登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

読書人紙面掲載 書評
2018年2月17日

代表概念を解剖する 
代表制の問い直しをめぐる論争の第一線にあり続けた書

代表の概念
著 者:ハンナ・ピトキン
出版社:名古屋大学出版会
このエントリーをはてなブックマークに追加
政治理論分野では近年、代表概念の再検討が活発になされ、そのような趨勢はしばしば「代表制的転回」と呼ばれる。このトレンドは、自由民主主義の不調とセットで論じられることが多い。つまり、以前のように民主主義の巧く行かなさを代表制に押し付けて、古代アテナイを範とする直接民主主義の理想化に勤しむわけにいかないとすれば、私たちの代表の理解をアップデートすることで、議会と民意のズレを調律し、ゆっくりとチューニングしていくほかはない。そのようななか、ほとんどの文献において参照されつづけ、代表概念の問い直しをめぐる論争の第一線にあり続けたのが本書である。これは五十年前に刊行された政治理論系の著作としては、やはり珍しいことだ。

「代表representation」は、「文字通りには存在していないものが、文字通りではない意味で存在していると考えられることである」と定義される。しかしこれではまだ代表の正体は、遠目でははっきりと見えたつもりでも、近づくと消える蜃気楼のようなものだ。この茫漠とした対象にアプローチするために、ピトキンがとった方法は、私たちがこの言葉を日常的にどのように用いているかの分析である。これは一般的には「日常言語学派」のものであり、広い意味で概念分析の手法が用いられている。

本書において、ピトキンはいくつかの代表観を分類しており(「形式主義的代表観」として、「権威付与型代表」と「説明責任型代表」、さらに「実質的代表観」として「描写的代表」と「象徴的代表」等々)、各章は概ねそれぞれの詳述に当てられている。ここでそのニュアンスに満ちた議論を要約することは難しい。さしあたり注意すべきことは、これまで少なからずの読者が誤解してきたように、ピトキンの目的が、いずれかの代表観を特別に擁護したり、ましてや来るべき代表制を提示することでもないということだ。そうではなく、いずれの代表観にもそれぞれの理由があり、代表の概念には互いに相容れない諸観念が縺れるように雑居している。ピトキンの関心はその絡まりをほぐすというより、それらがどんな風に絡まっているのか、その絡まりの構造を示すことに向けられている。くわえて本書には、ホッブズやバーク、そしてマディソンらの代表観の分析も含まれており、代表の「政治思想」としても興味深い考察を提供していることも付記しておこう。

「訳者あとがき」によると、そもそもピトキンが代表概念に取り組んだのは、大学院セミナーでのレポートがきっかけであったらしいが、同時に本書の刊行が、座り込みや街頭行動など、米国において直接行動がもっとも盛んとなり、こんにち以上に「代表制民主主義」に強い疑義の眼差しが向けられていた時期であったことも想起しておきたい。だとすれば、そのようなヒリヒリとした現実との緊張感が本書に現れていないのは、いくぶん奇妙なことである。じつのところ、ピトキン自身、のちに本書の議論を振り返りつつ代表制民主主義への行く末について悲観的に語っているのだが、本書の同時代への沈黙こそ、その成功と限界を説明する、そのように思えてならない。

本訳書刊行の知らせを受け取ったとき、思わず嘆息がこぼれた。ハンナ・ピトキンの著作、しかもその「代表作」がとうとう日本語で読めることに。さらに頁を捲って嘆息がまたひとつ。いたるところに散りばめられた訳者の細やかな配慮と工夫に。本書はけっして易しい読み物ではないし、そのいくらか回りくどい議論のために、読者には多少の辛抱も要求される。しかし、複雑奇怪な代表概念にかんして拡がる澄みきった読後の風景からすると、このような忍耐など、じゅうぶん支払いに値するコストではないか。(早川誠訳)
この記事の中でご紹介した本
代表の概念/名古屋大学出版会
代表の概念
著 者:ハンナ・ピトキン
出版社:名古屋大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年2月16日 新聞掲載(第3227号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
山本 圭 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 政治学関連記事
政治学の関連記事をもっと見る >