多言語主義社会に向けて 書評|平高 史也(くろしお出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!
▶メールマガジン登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

読書人紙面掲載 書評
2018年2月17日

多文化・多言語は「あたりまえ」であることに気付かせてくれる本

多言語主義社会に向けて
著 者:平高 史也、木村 護郎クリストフ
出版社:くろしお出版
このエントリーをはてなブックマークに追加
東京オリンピック・パラリンピックの開催を2年後に控え、今後増加するであろう海外からの訪問者にどのように対応するかという議論が方々でなされている。特に外国語については「漠然」とではあるがその重要性にあらためて注目が集まっている状況である。「漠然」と書いたのは、世間一般では「何となく」外国語の学習や異文化理解が重要であることは認識されつつあるものの、たいていの場合その外国語は「英語」であり、「英語」を低い年齢から始めることであたかも問題が解決するような胆略的な考えが蔓延っているからである。

本書は様々な言語の研究をする専門家たちにより書かれた研究書である。当然のことながら15の章それぞれが、筆者たちの研究で裏付けされている。しかし、同時に私たちが思っているよりはるかに身近なところにある、様々な言語そして文化、そしてそれらどう関わっていくかを今すぐにも一人一人が真剣に考えていかなければならないという現状を知るための最適な入門書である。

本書は15の章をトピック別に3部に分けて構成されている。第1部は「日本における多言語教育の実態と展望」として、小学校から大学、さらに放送による多言語教育の事例中心の4章、第2部は「日本における/海外在住日本人の多言語管理の実態と展望」として国内外の日常生活における日本語、日本文化と他言語、多文化との事例と接触を扱う6章、そして第3部は「ヨーロッパにおける多言語教育・使用の事例と展望」として、多数の言語文化が入り交ざり、多言語、多文化の環境がより身近なものであるヨーロッパの事例を中心とした4章が続いている。そして研究書ではありながらどの章も専門家でなくともわかりやすく書かれている。

特に研究が目的ではない一般の読者の皆さんには、是非第2部の各章から読んでいただくことを勧めたい。島国で、単一民族、単一言語の国家であると多くの人々が思い込んでいる日本の姿は全く幻想にすぎないことを実感できるだろう。本書の中にも書かれているように、日本の在留外国人の総数は宮城県の人口にも相当し、その多くは英語を母語としないアジアや中南米出身者である、また沖縄県の「しまくとうば」(琉球語)についてはそれぞれの地域変種がお互いにコミュニケーションが取れないほど独自に発達している。それにも関わらず私たちの多くは全く気が付いていないのである。

私たちの近くに他文化、他言語との接点がいくつも存在し、その数が増していくにつれて、それぞれの地域に応じた多文化共生の施策が必要となってくる。冒頭で述べたように、単に「英語」を学べば異文化間の問題が解決するというような言説が根拠なしに拡がっている事態も、本書を読めば、いかに表層で、賞味期限の過ぎたピザにトッピングを乗せ直して見かけだけを美しく見せたようなものであることがよくわかるだろう。

多文化・多言語の環境があたりまえであるヨーロッパでは多文化共生、少数言語の維持、母語による教育など様々な施策が試みられている(第3部)、そしてごくわずかであるが、国内の学校でも多言語の教育実践が試みられている(第1部)。しかし、いくら「国際化」「外国語教育の充実」「海外からの訪問客への対応」などが叫ばれても残念なことに私たちが普段見聞きする外国語に関する話題はほとんどが英語の話であり、具体的な施策について英語教育や案内標識等の英語表記で終わってしまいがちである。

オリンピック、パラリンピックがあるから、英語を学んでおもてなしをしようというような軽い気持ちではなく、多文化・多言語の社会はあたりまえであることと捉え、一人一人が対応していかなければ、国際社会からおいていかれてしまう。その「あたりまえ」に気付かせてくれる一冊である。
この記事の中でご紹介した本
多言語主義社会に向けて/くろしお出版
多言語主義社会に向けて
著 者:平高 史也、木村 護郎クリストフ
出版社:くろしお出版
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年2月16日 新聞掲載(第3227号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 言語学関連記事
言語学の関連記事をもっと見る >