吉岡斉追悼(綾部広則・菅波完・柿原泰) 原発ゼロ社会を創造する 「万人を不幸にする原発」に抗して|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年2月23日 / 新聞掲載日:2018年2月23日(第3228号)

吉岡斉追悼(綾部広則・菅波完・柿原泰)
原発ゼロ社会を創造する
「万人を不幸にする原発」に抗して

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吉岡 斉
日本の原子力政策の生き字引として、「核・原子力」の問題に長年携わってきた吉岡斉氏が、一月十四日亡くなった。六四歳だった。内閣府原子力委員会専門委員など政府関連の委員を務めながら、「原発ゼロ社会」に向けて、常に提言をつづけてきた科学技術史家である。早稲田大学理工学術院教授・綾部広則、高木仁三郎市民科学基金事務局長・菅波完、東京海洋大学海洋政策文化学部門准教授・柿原泰の三氏に、吉岡斉の仕事の意義について鼎談をしてもらった。 (編集部)
第1回
原子力市民委員会

柿原 泰氏
柿原 
 吉岡斉さんが一月十四日に亡くなられました。最初に吉岡さんのお仕事の全体像について、ごく大掴みに紹介いたします。吉岡さんは、二〇代から三〇代にかけての『テクノトピアをこえて』(社会評論社、一九八二年)、『科学者は変わるか』(社会思想社、一九八四年)をはじめとし、多くの著書を出されてきました。その分野は、基本的には科学技術史、特に現代の科学技術史、科学技術政策も含めた科学技術論、中でも原子力の問題に長らく携わってこられました。原子力に関するお仕事としては、『原子力の社会史』(朝日選書、一九九九年、新版、二〇一一年)に代表される学術的な歴史研究があり、それに加えて、原子力関連の政府各種委員会の委員を、二〇年以上にわたって務めてこられました。さらに近年では、原子力市民委員会の設立に携わり、二代目の座長としての活動も、お仕事の中心にあった。
その成果のひとつとして、亡くなる直前、昨年十二月、報告書『原発ゼロ社会への道 2017』が刊行されています。今日は、最近のそうした原子力市民委員会における仕事と、科学技術史家としての業績を中心に議論していきたいと思います。吉岡さんは「現在史」という表現をよく使われていましたが、戦後日本の科学技術をテーマにした通史のシリーズを、中山茂さん、後藤邦夫さんと共に編集されていた。それは『戦後科学技術の社会史』(朝日選書、一九九四年)と『「通史」日本の科学技術』全六巻+別巻(学陽書房、一九九五~九九年)、さらに綾部さんも編集の中心メンバーに加わった『「新通史」日本の科学技術 世紀転換期の社会史 1995年~2011年』全四巻+別巻(原書房、二〇一一~一二年)といった書物にまとめられています。そこでまずは菅波さんに、原子力市民委員会と吉岡さんの関わり、またそのお仕事ぶりについてお話しいただければと思います。
菅波 
 吉岡さんとのお付き合いは、私が高木仁三郎市民科学基金の事務局を引き受けた二〇〇二年頃にはじまります。そこから現在の原子力市民委員会も含めて、いろいろ教えていただきました。原子力市民委員会設立の経緯を、簡単に説明しておきます。二〇一一年三月に福島原発事故があった後、高木基金に、まとまった額のご寄付がありました。具体的な使い道についての指定はなかったのですが、十年にわたる新しい事業を立ち上げて欲しいというご希望でした。そこで吉岡さんにも加わっていただき、高木基金の関係者等で一年がかりで新しい事業の検討をしました。吉岡さんには、二〇〇一年の高木基金設立当初から、市民研究への助成に関わる選考委員をお願いしており、六年間委員長を務められた後も、顧問として関わっていただいていました。そして三・一一以降にいただいた寄付を基にして、どのような新しい事業を立ち上げたらいいか。起こしてはいけない事故を起こしてしまったことを踏まえて、日本は真に脱原発へと政策転換をしていかなければいけない。そのための具体的で現実的な政策作りをしようということで立ちあげられたのが、原子力市民委員会です。

委員会は二〇一三年の四月に設立され、初代座長が舩橋晴俊さん、吉岡さんは座長代理でした。市民委員会には、NGOのメンバーや、福島原発事故で直施被害に遭っている方、原子力に関わるエンジニアもいます。ご承知のように、吉岡さんは、日本の原子力政策の生き字引のような方であり、また柿原さんも言われたように、政府の委員会の委員も長年務めてこられた。吉岡さんは、その経験もふまえ、原子力市民委員会として、政府が実際に使えるような政策を、市民の側からきちんと提起することを目指しておられました。ただし原子力市民委員会も一枚岩ではなく、原発反対の立場で、電力会社や政府とたたかってきたメンバーもいれば、吉岡さんのように政府の委員会のメンバーもいる。ご本人は「御用学者」だとよく言っていましたが、内部でやってきた立場から、政府がそのまま使える現実的な原子力政策を作ろうというのが、吉岡さんの考えだったと思います。

市民委員会設立の一年後、二〇一四年には最初の報告書が出ました(『原発ゼロ社会への道 市民がつくる脱原子力政策大綱』)。これは三年に一度の書き直しを目標としており、昨年末に、『原発ゼロ社会への道 2017―脱原子力政策の実現のために』を出すことができました。終章の「原発ゼロ社会を創造するために」は、吉岡さんが執筆されています。脱原発をどう実現していくか、その政策的アプローチとはいかなるものか。読者には、吉岡節を存分に味わっていただけると思います。ひとつだけご紹介すると、本当に吉岡さんらしいフレーズだと思ったのが、「原子力発電は万人を不幸にしている」と述べたところです。市民だけではない。経産省や電力会社、メーカーも含めて、関係するすべての人間を不幸にしているということです。

付け加えておくと、吉岡さんや、前の座長の舩橋さんは、研究者として原子力政策を論じる面があったと思います。しかし委員会の中には、市民の立場、NGOの立場で議論する人も多かった。言葉遣いひとつとっても、随分違いがありました。ある意味では、六年間で、吉岡さんもかなり変わられたんじゃないか。正直言うと、最初は水と油ぐらいの違いがあった。それが、最後は馴染んでいた。だから今回、吉岡さんが亡くなって、運動の現場の人たちからも、惜しむ声をたくさんいただきました。現場の人間に頼りにされていたことを、改めて実感しました。
柿原 
 つづいて綾部さんには、「通史」のお仕事を中心に、吉岡さんの学術的な業績について、その特徴や意義をお話しいただけますか。
綾部 
 『「通史」日本の科学技術』(以下『通史』と略)は、日本科学史学会の『日本科学技術史大系』(第一法規出版、一九六四~一九七二、全二五巻+別巻)(以下『大系』と略)の戦後版を作ろうという意図で始まったと聞いています。一九五〇年代までの記述で終わっているからです。『大系』の副産物として、廣重徹さんが書かれた『科学の社会史』(中央公論社、一九七三年、後に岩波現代文庫)がありますが、夭逝されたため、一九七〇年頃までの記述で終わっています。そこで続編をという動きが高まりました。その頃、吉岡さんの師匠にあたる中山茂さんが科学技術史・科学技術政策に関心を抱く、若手・中堅を集めて研究会を開催しており、それを核に一九八二年に『通史』の母体となる「科学と社会フォーラム」(中山茂代表)が組織化されました。ただし、『通史』の記述は一九七〇年代からではなく、終戦後から始まっています。岩波現代文庫版『科学の社会史』のあとがきに書かれた吉岡さんの説明では、そうせざるを得なかったのは、廣重さんの戦後に関する分析が貧しかったためだとのことです。つまり、廣重さんは戦後についても、戦前の科学技術動員体制モデルをもとに分析しているが、そうした枠組みの硬直性ゆえに、戦後に関する歴史分析が貧しいものになっている。したがって続編を書こうとするならば、終戦後から始めなければならないと。
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この記事の中でご紹介した本
原発ゼロ社会への道 2017 ― 脱原子力政策の実現のために/原子力市民委員会
原発ゼロ社会への道 2017 ― 脱原子力政策の実現のために
編 集:原子力市民委員会
出版社:原子力市民委員会
以下のオンライン書店でご購入できます
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