「新しい働き方」の経済学 アダム・スミス『国富論』を読み直す 書評|井上 義朗(現代書館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2018年2月24日

「貧困論」としての『国富論』
緻密な古典読解が導く新たな企業像

「新しい働き方」の経済学 アダム・スミス『国富論』を読み直す
著 者:井上 義朗
出版社:現代書館
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現代の企業中心社会で生き抜く人々にとって、「働く」という行為は日々の「くらし」そのものであろう。それは過去、現在そして未来へとたえず引き継がれ、問い直される壮大なテーマであり続ける。著者の井上義朗氏による本書は、スミス『国富論』の新たな潜勢力から当該問題に挑んだ知的格闘の結晶だ。

あくまで「現代」的な文脈に身を置いて、名著たる「古典」の意義と可能性を見極めることは、豊富なスミス研究が蓄積する日本において決して容易でない。古典と現代を有機的に架橋させようとする本書は、古典への深い愛情と尊重に満ちている。

序章で「富の本質と原因について、当時の通説に惑わされず、徹底的に考え抜いた書物が『国富論』である」(12頁)と述べる著者は、「貧困論」としてスミス『国富論』を再読するという雄大な構想を表明する。そして、「分業」「市場」「競争」「企業」などキー概念を精査しながら、現代資本主義で支配的な株式会社とは異なる新たな「社会的企業」の可能性をめぐる新鮮な考察を幾重にも及ぼしている。「人を排除する関係から、人を包摂する関係に、人と人の関係のあり方を変えること」(207頁)をめざす社会的企業の理解を深めることは、社会を織りなす人と人との関係性を主題とする、社会科学としての経済学を省察し、展望することともなろう。

周知のように、スミスは「国富」の本質を労働による必需品と便益品に求めたが、人々の多くがそれらを「失う」社会は、その社会の「貧しさ」を端的に告げている。「同感の原理」にもとづく彼の貧困認識は物質的貧困にとどまらず、「人としての尊厳を損なう精神的な危機」(23頁)としての相対的貧困をも包含する。

こうした「貧困」をなくし、人並みの必需品と便益品を多くの人々が享受できるような社会を形成するためには、抑制としての利己心(および共感)をもつ人々が自らの比較優位に応じて社会的分業に主体的に参加できるしくみが不可欠だ。「誰の恣意にも属さないメカニズム」(87頁)としての市場(競争)というしくみによって社会の根幹を維持していくことは、まさに「近代」理念の原点にほかならない。スミスのいう資本投下の自然な順序―農業から工業そして商業へ―は分業にもとづくそうした市場社会を実現するための前提条件をなしている。そして資本投下の自然な順序を回復する動態としての産業構造の原理こそ、「見えざる手」のコアであり、こうした順序を人為的に歪める重商主義は、富の偏在をもたらすだけでなく、「やがて国を貧困に導くのである」(58頁)。

市場価格を自然価格の成立する水準へ回帰させうる役割を担うのがスミスの競争(=コンペティション)であり、それは「自律的で、内省的な自己意識のあり方を求める」(93頁)ものでもある。だが収穫逓増の成立する資本主義の時代では、模倣や同化をつうじ競い合い相手を打ち負かすエミュレーションとしての企業間競争が支配的になる。そうした資本主義経済ではなく、あくまでコンペティションとしての競争にもとづく市場経済に期待したという『国富論』の潜勢力は、人々の社会参加のしくみを新たな「企業」(のかたち)という観点で問い直し、現代においてスミス的な近代市場経済の理念の復権をめざそうとする。

すなわち新たな「企業組織」とそこでの新たな「職場」のあり方を真に創造することから、新しい「働き方」は生み出されうる。貧困、失業、教育、地域振興や資源・エネルギーなど、多様な「社会的」課題に取り組むことを企業自体の本業とし、それを基本的に企業みずからの事業収入によって賄っていこうとするのが現代の社会的企業と総称されるものだ。いわゆるサードセクターの主役的な存在になることが期待される社会的企業は、多様な社会的課題やミッションを、「公共企業体としてではなく、市場部門と同等の民間企業体の立場で担おうとする」(173頁)。アメリカよりもはるかに古く長い起源と伝統をもつヨーロッパの社会的企業では、「社会的排除に対抗する手段」(166頁)としての機能的特性が重要視されていることはとくに着眼されてよいだろう。

大阪の「認定NPO法人Homedoor」と北海道を拠点とする「NPO法人北海道グリーンファンド」という2つの社会的企業が本書で紹介されている。2014年時点で日本の社会的企業数は20万5千社、付加価値額は16兆円(対GDP比約3・3%)と推計されている。たしかにそれは、すでに「無視できる存在でなくなっている」(178頁)。というより、両企業が実際に試みている活動内容の斬新さに思わず感嘆するほどだ。生きていくうえで人としての尊厳や他人からの承認、職場における人と人との多様かつ柔軟な繋がりは、総じて「人を包摂する関係性」のあり方を尊重することであり、そこにはおのずと自分の「居場所」がある。終章「『国富論』はよみがえるか?」は読者自身で読み進めてほしい。

人間の「尊厳」をめぐる経済学的主体像の虚構性や「近代」理念の今日的省察など、すこぶる重要で奥深い問題群も随所に提起されている。株式会社の起源をめぐる一連の歴史的考察もまた読み応えに富んでいる。のびやかでみずみずしい「古典」再論の作品。多くの方にぜひ本書の精読を薦めたい。
この記事の中でご紹介した本
「新しい働き方」の経済学 アダム・スミス『国富論』を読み直す/現代書館
「新しい働き方」の経済学 アダム・スミス『国富論』を読み直す
著 者:井上 義朗
出版社:現代書館
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年2月23日 新聞掲載(第3228号)
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