夜更けの川に落葉は流れて 書評|西村 賢太(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年2月24日

卑怯と内からの光と 
愚かで滑稽でも精一杯生きる人間の生の連鎖

夜更けの川に落葉は流れて
著 者:西村 賢太
出版社:講談社
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いまさらいうまでもないが、日本には「私小説」という独特のジャンルがある。自らの経験を告発するような語り口で、広義の意味では長く日本の小説の主流だった。自からをモデルにしたような、はたからと見る滑稽ですらある人物が主人公で、表面的には日常の些事が描かれ、挫折によって閉じられることが多い。現在は主流ではないが、私小説の系譜は連綿と続いている。

現代の無頼派といわれる西村賢太も、多くの小説は、自らをモデルにしたような滑稽な人物、北町貫多が主人公だ。やや大げさな少し古い印象を与える文体、もう一人の作者の分身である語り手の、主人公を思いっきり突き放した滑稽さを増幅する語りが、どうしようもない人物像を読者のなかに育て上げる。『夜更けの川に落ち葉は流れて』も、そのような系列の先端の作品集といえ、主人公のダメさぶりは絶好調といえる。表題作の「夜更けの川に落ち葉は流れて」から、そんなダメさぶりを強調する、語りの部分を引用する。 

 と、そんな自己憐憫的な大甘の、いじけ根性にも似た不貞腐れは、しかし先にも云った通り、そもそもが人並み外れた不貞腐れ体質の持ち主にできてる貫多には、すべてのことに無理にも諦観を強いる上で、案外に打ってつけの口実みたようなものにもなったのである。 

読んでいて嫌になるくらいの、くどくすさまじいこけおろしで、こんな語りが何度も現れる。確かに北町貫多はあまり会いたくない、それでいてどこにでもいそうな、情けなく嫌な人物に造形されている。言い訳がましく自己顕示欲が強く、楽天家の反面、時に悲観主義者であり、本人は深刻に考える体質と思っているが能天気。さらには、臆病で刹那的なうえ短気かつ酒乱と、どうしようもない人物である。ところが以下のような、素地が剥き出しになった文章に差し掛かると、その印象はがらりと変わる。 

いかな、すでにして人生の敗北を覚って開き直っていようと、その状態で歩む、この先の丸腰での道行きには、やはり堪らない不安を感じてしまう。 

北町貫多が客観的な苦笑を誘う人物ではなく、読者の中に入ってくるのだ。単なる滑稽な主人公でなく、誰でも内側に秘めている卑怯な部分が露呈したのが、北町貫多だということにふと気づく。そして、愚かな滑稽さも、不器用なまでの純粋さの発露だと思うときに、どうしようもなく嫌な人物の印象が、実に人間的な愛しい人物に思えてくる。

小説は大きな事件はなく、泥酔をしたうえでの失敗、男女の出会いと別れと傷害、短気の悪癖と報いと、日常の取るにも足りない出来事だ。しかし、そんななかで喜び苦しみ、泣き笑いする人たちの、滑稽なまでの生の営みが描かれ、生きる悲しみの本質にまで届いている。最後には現実の底が抜けたような、永遠に向かう一歩手前の闇にまで進んでいき、闇のなかに、かすかな内からの光が浮かぶのすら感じる。そこには愚かで滑稽でも、精一杯生きる人間の生の連鎖がある。光は主人公の日常の思考にまぎれ、一瞬に消えてしまうが、読後も残光として意識のどこかに灯り続けている。
この記事の中でご紹介した本
夜更けの川に落葉は流れて/講談社
夜更けの川に落葉は流れて
著 者:西村 賢太
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年2月23日 新聞掲載(第3228号)
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