追 悼 西部邁死去の報を受けて 情理兼ね備わった男 西部邁|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年3月2日 / 新聞掲載日:2018年3月2日(第3229号)

追 悼 西部邁死去の報を受けて
情理兼ね備わった男 西部邁

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1997年12月26日「朝まで生テレビ!」忘年会スナップ。 前列左から西部邁、水口、小沢遼子、 水口の後ろは渡辺宜嗣(のりつぐ)アナウンサー
三〇周年を迎えた「朝まで生テレビ!」を現在の激論トークの番組に育てあげたのは、日下雄一プロデューサーで、田原総一朗の活躍も日下の力にあずかっている。彼は十数年前、六〇歳の定年どきにがんが再発し、元旦、「朝まで生テレビ!」の番組を夢うつつに聴きながら旅立った。彼はすべての出演者に死力をつくしていた。西部邁は討論中怒って退席することがあった。日下はその後を追い、西部と朝まで怒りがおさまるまでつき合う九州男子だった。

亡くなった一月、「朝生二〇周年」にからめて、日下を偲ぶ会があった。日下夫人は、仕事に殺されたとの思いもあって、出席したがらなかった。さもありなんと私は思っていた。日下とリタイア後の闘病のことなどギリギリ話し合っていた最中だった。「妻は電話を布団に包んで押し入れに投げ込んじゃってね」という苦笑からは、余命いくばくかにある日下のめんどう見のよさと苦渋が察せられた。

私はANAホテルの会場控室にともかく一番に出向いた。夫人の愛別離苦の思いを受けとめる役を買うつもりだった。相当早く行ったのに、まずかけつけたのが西部邁、次が小沢遼子だった。「夫人のためにはぼくは今日は歌を唱いますから」と顔をほころばせ、舞台では朗吟のごとくに鎮魂の歌を唱った。愛唱歌の「月の砂漠」ではなく、もっと哀愁のある歌だった。

札幌南高校で、彼は作家の渡辺淳一の後輩にあたるが、情理兼ね備わった男なんだナと片隅で涙ぐんだものだ。

彼の『無念の戦後史』(講談社)のマイ・ヒストリーから、二つ、彼に代わって弁明を拾っておく。<私は東大教養学部で「贋」の委員長をやっていた。つまり票をひそかにごまかして圧倒的に人気のあった共産党の候補を蹴落としてしまったのである。…当時の私はデモクラシーに何の価値もおいていなかった。とくに共産党との喧嘩の次元では、その価値否定をつらぬく以外になかったのである。…><私の娘は何人かの左翼人士から「かんば美智子さんを殺したのはお前の親父だ」というようなことをいわれている。…彼女は私より年長で左翼過激派組織「ブント」の重要メンバーの一人である。かつては私に共産党入党を勧誘する立場にあった人である。彼女を危険なデモの先頭に立たせたのは、私の先輩(東大本郷ブント)の男たちである。…

それから三十五年ほども経ってから、あるテレビ番組の司会者が「樺さんは西部さんの恋人だったそうです」と冗談を飛ばし、私は、樺さんの遺族に申し開きができないので、その場を去った。…>
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