谷川電話『恋人不死身説』(2017) ぼくとして今日もお家を出ることの恍惚feat.不安が|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2018年3月6日 / 新聞掲載日:2018年3月2日(第3229号)

ぼくとして今日もお家を出ることの恍惚feat.不安が
谷川電話『恋人不死身説』(2017)

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恋人不死身説(谷川 電話)書肆侃侃房
恋人不死身説
谷川 電話
書肆侃侃房
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「青山テルマ feat.soulja」みたいに、主にミュージシャンがコラボレーションをするときによく使われる表記が「feat.」(フィーチャリング)。ヒップホップやR&Bなどブラックミュージック系で見かけることが多い。この場合後に来る方が大物であり、前に来る方が頼んで協力してもらっているという意味合いになる。この表現を使ったときのスタイリッシュな印象が逆に面白いのか、パロディ的に短歌に取り入れてしまった例がこの一首である。本来の意味合いを考えると、「恍惚」が偉大なるミュージシャン「不安」さまに頼み込んで特別にコラボレーションしてもらっているということになる。そのシチュエーションを想像するとちょっとおもしろい。「こうこつふぃーちゃ・りんぐふあんが」と、カタカナ発音にしてしまえば完璧に七七になっているところもポイント。

あまり行きたくない学校や会社に向かうときは、だいたい誰もがこんな気分といえるかもしれない。自分はあくまで自分であるということは気持ちのいい恍惚であるはずなのだが、自分であることを引き受けて責任を取らなくてはいけないのだと考えた途端、その恍惚は不安とコラボしてしまう。「ぼく」という存在は実に厄介なやつだ。

ところでfeat.表記を見るたびに思い出すのだが、m-floがfeat.の代わりにlovesの表記を用いていたのはなんだったんだろう。昔mixiで歌会をしていた頃にこのloves表記を導入した短歌が提出されて、ずいぶんびっくりしたものである。
この記事の中でご紹介した本
恋人不死身説/書肆侃侃房
恋人不死身説
著 者:谷川 電話
出版社:書肆侃侃房
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