生と死と祈りの美術  日本と西洋の信仰のかたち 書評|細田 あや子(三弥井書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年3月3日 / 新聞掲載日:2018年3月2日(第3229号)

古今東西の根源的なイメージを検証

生と死と祈りの美術  日本と西洋の信仰のかたち
著 者:細田 あや子
出版社:三弥井書店
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私たちは聖なる者――神さまや仏さまなど――の前で、手を合わせる。それは、ごく自然な身振りだ。しかし、考えてみれば、とても不思議なことである。東洋でも西洋でも、あるいは古代であろうと中世や近世であっても、人は変わることなく、おなじ動作を繰り返し聖なる者へと捧げてきた。その身振りには、人間の心の奥深くにある、なにか根源的なイメージが込められているのではないか。

本書は、こうした疑問から始めて、古今東西のさまざまな根源的なイメージを検証する。第Ⅰ部では釈迦とイエスの死の表象をめぐって、第Ⅱ部では人間の一生や成長を階段の上り下りで図示した絵画について、第Ⅲ部では東西の他界観の比較、第Ⅳ部では生命の樹を中心にした宇宙の構造に着目して、幅広い思考を巡らす。

たとえば、一本のたよりない木に一人の男がしがみつく。その木の根元を黒と白の二匹のネズミが囓っている。いずれ木は折れて、男は落下するであろう。下方では恐ろしげな猛獣が男を喰らおうと待ち構えている。ここにおいて、木は「人生の危うさ」を、ネズミは「月日の流れ」を、猛獣は「死の恐怖」を象徴する。そうしたイメージが、西欧キリスト教世界の絵画や彫刻、あるいはインド・中国のレリーフ、さらには日本の絵巻物にも表象されているのだ。著者によれば、こうしたイメージの背景には、もともとは仏教文化圏で伝承されていた説話が、遙か遠くキリスト教文化圏にまで影響を与えた事実が見出されるという。東から西へのイメージの伝播の事例である。

これとは反対方向の、西から東へのイメージの伝播の事例もある。本書では触れられていないが、近年の美術史学界では、山梨・栖雲寺が所蔵する一枚の絵が物議を醸し出している。これまで、本作品は虚空蔵菩薩像を描いた日本の仏画だと考えられてきた。しかし、実はマニ教(サーサーン朝ペルシャの宗教)の聖職者がまとう着衣を身にまとい、景教(ネストリウス派キリスト教)のイエス像を象徴する十字架を手にした本像は、中国・元時代の宗教画であることが判明したのである。

こうした事例は、私たちが想像してきた以上に、世界は歴史的・地理的に繋がっていることを示している。しかし現在のところ、こうした事実を前にして、自らの専門を狭い地域の短い歴史に限定し考察することで研究者であることを自負してきた輩のうち多くは、ある者は沈黙し、またある者は目を逸らし、それに気づかぬふりを装っている。

こうした学問の現状を越えるための道標として、著者の長年の研究から得られた知見を披露する本書は、たいへんに意義深い。

これに加えて、評者である私は次のような夢想を抱いている――イメージの連環は、伝播や影響といった地域や時代の近接性にのみ還元され得るものではない。そうではなくて、それを越えた「なにものか」が作用を及ぼしているとは考えられはしないだろうか。ユングの言うところの「シンクロニシティー(共時性)」の原理に基づくような、同じイメージが同時多発する現象が、世界に見出される可能性を探るべきだと思う。人生とは何か? 死後の世界はあるのか? 聖なる者とは一体誰か? そういった問いは、世界中のあらゆる時代の人々にとって、普遍的な謎であったはずなのだから。

「美術史」の袋小路から「イメージ人類学」の広野へ! 本書に導かれて、新しい視界を開眼した読者による、今後の研究の多様な深化に期待したい。
この記事の中でご紹介した本
生と死と祈りの美術  日本と西洋の信仰のかたち/三弥井書店
生と死と祈りの美術  日本と西洋の信仰のかたち
著 者:細田 あや子
出版社:三弥井書店
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