引き離されたぼくと子どもたち どうしてだめなの? 共同親権 書評|宗像 充(社会評論社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年3月3日

夫婦の葛藤、苦悩を曝け出す 
父親の視点から家族の在り方を描く

引き離されたぼくと子どもたち どうしてだめなの? 共同親権
著 者:宗像 充
出版社:社会評論社
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子育てするなかで、シングルマザーの家族との出会いは幾つもあった。別居のきっかけは、夫の暴力や浮気、金銭問題などそれぞれでも、離婚にいたる理由は、子育てや家族としての価値観が違ったのだという人が多い。

確かにこの「価値観」というものが厄介で、育った家庭や境遇が違う他人どうし暮らしていれば、ぶつかることは避けられない。その度、夫婦の間に亀裂が入り、溝を埋めることに疲れ果てると、ふと別離も頭をよぎる。それでも踏み止まったのは、親たちの狭間で惑う子どもたちの姿も見ていたからだ。

幼子を連れて家を出るしかなかった母親の大半は、夫からの養育費も途絶え、必死で働きながら子育てしていた。子どもには父親の記憶がほとんどなく、大人の男性を怖れる子もいれば、園で会う他のパパたちに人懐こく甘える子もいる。やがて親が再婚した相手になじめず、祖父母のもとへ行った子もいた。

夫婦の別離によって、子どもはどんな思いを抱えることになるのか。そして、子どもから引き離された父親の視点から、家族の在り方を描いたのが本書である。著者が、一歳と四歳になる二人の娘と別れたのは二〇〇七年。それから二年半の歳月をかけ、子どもたちと再会を果たすまでの日々が綴られている。

そもそも著者にとって、長女は妻の前夫の子であり、妻とは籍を入れない事実婚だった。その後、次女を授かるが、子育てに追われる妻と口論が絶えなくなり、諍いもエスカレートしていく。家を出たのは、彼の方だった。

二人もまた「価値観」の違いから別れ、著者は娘たちを引き取って暮らし始める。だが、突然に裁判所から届いたのは「人身保護」請求。親権者の意向を無視して子どもたちを無断で連れ去り、引き渡しの要求にも応じず、最終的にネグレクトをしているから、子どもを引き渡せという請求を妻が起こしたのだ。

子どもと引き離された著者は調停を申し立てるが、親権のない親には面会することも法的に保障されない。同じように我が子と引き離された親たちの自助グループと出会い、共同親権運動のネットワークを結成。調停を重ねた末、ようやく子どもと面会が許されたのはわずか二時間。そのうち娘たちは「パパ」と呼ばなくなり、面会も拒むようになった。

その渦中で著者は思う。〈家族はどうして家族なのだろうか。家族は家族を積み重ねることでしかできていかない〉のだと。ならばなぜ積み重ねることができなかったのか。著者は夫婦の葛藤を克明に語り、自身の苦悩も曝け出すが、実は読むほどに澱のように胸につもるものがあり、最後まで消えなかった。壊れゆく家族のなかで、誰より惑い苦しむのは子ども。それは親たちにも言えないのだから。
この記事の中でご紹介した本
引き離されたぼくと子どもたち   どうしてだめなの? 共同親権/社会評論社
引き離されたぼくと子どもたち どうしてだめなの? 共同親権
著 者:宗像 充
出版社:社会評論社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年3月2日 新聞掲載(第3229号)
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